あまねこブログ

守護天使のメッセージを降ろし、お手紙でお届けします✽あまねこ占✼心里遇ころりの見えない世界スピリチュアルな日常ブログ

光の射すほうへ⑭

2024-07-21 19:17:00 | 見えない世界
自己紹介は「ごあいさつ」
の記事に書いております。
ご一読の上お読みいただけますと
お話しが解りやすいと思います。
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子どもの頃の話を書くにあたり
「虐待」というキーワードは
避けて通れません。
このテーマが苦手な読者様には、
ここからの数話は読まずに
飛ばしてくださることを
おススメいたします。

そう前置きさせていただいた上で、
続きを書いていきます。
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小学校も高学年になると
言葉による暴力に腕力の暴力も
加わるようになっていた。

じっと耐えるほど
それはエスカレートしていった。

父は長期の出張が多かった。

「この人」による「痛み」が
烈しく、治まる逃しが見えないとき
お空に向かって祈った。
「早く帰ってきて」
「お父さんが早く帰ってきますように」
一体、何に向けて祈っているのか
自分でよくわかっていなかったが
自然と手を組み空に向かって
祈った。

そんな中、時折
「あっ…父が帰ってくる」と、
突然何処かから降って来るように
わかる瞬間があった。
また、夢の中で、
学校から帰ると駐車場に
父の車が停まっているのを見つけて
喜びと安堵に浸る自分の姿を見たので
「お父さん帰ってくるよ」と
妹弟に予感を知らせたりした。
そんなことのあった翌日、やはり
帰宅すると父の車が駐車場にあった。
夢で見た通りだった。

私は妹弟に
「ほ〜らね。」
なんて言っていた。
所謂、デジャヴとか正夢だろうか。
夢で知らされることはよく有った。

だから「神様なんていない」
思って生きて来たが、
少しずつ、
見えないけれど何かの存在は
「いるかもしれない」と、
思うようになっていった。

だからと言って
何かが見えたわけでもない。
ただ自分の中に、説明できない
ある種の感覚を受取る体質がある
のは薄々、気づきかけていた。

世の中には、人には見えないものが
見えてしまう、という子もいた。
霊能力とはそうしたものであって、
自分のように何かを感じ取る感覚は
そういう特別な物ではない
思って封じていた。

そんな時期。
ある事に引っかかりを覚えていた。

親戚の伯父叔母たちが、
我が家の子ども達を
他人に紹介するとき
私だけ決まって
「この人は別だから」
と説明するのだ。

「ん?」
「別って何?」
と、子ども心は傷つく。
どんなに慣れていても傷つく。
いや、こんなことに
慣れっこになるのもどうかと。

それって、自分だけ
他人てことじゃないのか?
私は他所の人間なのか?
だから殴られるのか?

しかし、「この人は別」の理由を
キチンと説明してくれる大人は
誰もいなかった。
父さえも、
何も話してはくれなかった。

ハッキリさせたい気持ちもあったが
想像したことが正解だった場合、
この家に居て良い理由が
全く無くなりそうで
自分からはとても
怖くて聞けなかった。

なんだか何時も
心に寂しさを抱えて
青年期へと成長していく。

大人になりかけていた次期。
自我を抑え込むには
限界を迎えていた。






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