雨宮 ピアノ教室(出張レッスン)

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ドビュッシー   その2

2012-04-14 21:01:21 | 音楽について
この前は、ドビュッシーが普仏戦争のために、小学校教育を受けられなかったことを書きました。

しかし、裕福な伯母の家にいた時に、モォテ夫人のピアノの手ほどきを受けることが出来たのでした。
 
モォテ夫人はドビュッシーの音楽の才能を見向いてパリで本格的なピアノレッスンを始めました。
そしてわずか10歳パリ音楽院(コンセルヴァトアール)に受かり入学しました。

   
  パリ音楽院(コンセルヴァトアール)とは・・・。
   
   『のだめカンタービレ』にも出てきましたね
   
    フランスの国立音楽専門学校。1795年設立。

      
      1795年 ・・・・日本は江戸時代 元号は『寛政』
                徳川11代将軍 徳川家斉の時代です。

    1976年に100人余の教師と351人の学生でパリ音楽院を発足し、
    ヨーロッパで最古の、水準の高い音楽教育の場と広く知られて、
    フランスの名高い作曲家や演奏家でこの学校で学ばなかった者は 
    ほとんどいないとされています。
    パリ国立高等音楽院。

その後ドビュッシーは優秀な成績を収めていましたが、
貧しかった彼は、ピアノ教師として稼がなくてはなりませんでした。
そして18歳になった時にモローサンティ夫人の声楽サロンのピアニストになりました。
そのサロンで演奏しているときにヴァニエ夫人(裁判所の書記をしている人の奥さん)に
ドビュッシーの才能を高く買われ、物心両面でドビュッシーに便宜を図りました。
俗にいう(パトロン)ですね
でも音楽家はこういう事が多かったのです

ドビュッシーはヴァニエ家の蔵書の詩集を読み
その詩に音楽を(曲をつけて)つけてヴァニエ夫人に
プレゼントしていました

今日はここまでにします。

日本は江戸時代、フランスではサロンでピアニストが演奏・・・
国が違うとだいぶ違いますね。

また近日中に・・・

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