見出し画像

あみの3ブログ

佐生城@滋賀県東近江市五個荘町 令和三年(2021)8月28日

お城検索は→こちら



佐生城は近江守護・六角氏の居城である観音寺城の築かれた繖山から北方に伸びる尾根先端のピークに位置している。城跡には「後藤但馬守城跡碑」が建立されているが、城主についての詳細は不明である。
 同城は単郭の小規模な山城であり、繖山に伸びる尾根を切断する明確な堀切は認めらないことから、観音寺城と一体として機能していた城と見ることができる。特徴は石垣によって築かれた城であるが、石材は大半が自然石であり、矢穴技法で割られた石材は認められないなど、観音寺城の石垣と石材の加工に大きな相違がある。
 六角氏は有事の際観音寺城を退去し小堤城山から甲賀の三雲城へ逃げ込む戦略で、二つの城に本城と同じ石材技法で石垣を整備していたと考えられている。六角氏が織田信長の脅威に対処するために繖山の北端に出城として築きその守備を後藤但馬に担ったと考えられている。(六角氏が逃げ込む城では無いので石垣が緻密ではないという意味か?)高石垣が残る南山麓には東山道(後の中山道)が走っており、南方を強く意識して築かれたものである。しかし信長の侵攻に際し戦うことなく放棄されたものと考えられている。、、、中井均先生著「近江の山城を歩く 31佐生城」より引用


場所は賀県東近江市五個荘町、 JR琵琶湖線・能登川駅の近くです。
登城口は二つ
一つは県道52号線(栗見八日市線)と202号線(佐生五個荘線)が分岐する近江鉄道「佐生バス亭」から、県道202号線に入り「瓜生川」を渡る手前を右に入るとすぐに登城口がありこちらは麓から登っていくルートです。しかし車を停める場所が見つかりません。



なので迂回して山の上から降りていく、もう一つのルートを選択。
まず県立能登川高等学校を目指します。
瓜生川を渡たると能登川高校が右手に見えます。橋詰を左折して「猪子山公園」方向に川沿いを進みます。



公園や能登川病院のある辺りに岩船神社の鳥居が見えますのでそこを右折し、林道を山の方向に登っていきます。
狭いですが舗装されており落石や倒木などありませんが、能登川高校の生徒さんがクラブ活動の一環としてランニングしているので人身事故に注意です!

林道を登っていくと、大きくカーブしたところに「北向岩屋十一面観音」の駐車場がありますのでそこに車を停めます。


階段を登れば「北向岩屋十一面観音」



駐車場に設置されている周辺イラスト看板
繖山山系から連なる様子がわかります(一部加筆)



城跡へは、その駐車場から尾根を下って行く感じです。
駐車場から見えるところに「佐生城日吉跡370m」の案内看板が設置されています。




尾根からの眺望
佐生町と、のどかな田園風景。右手に奥に見えるのが繖山の裾野。



尾根上の巨石
その1
道しるべ的ですw


その2
腰かけ的ですw


その3
門柱的ですw
まるで虎口のようですが、まさか人為的なものではないでしょうね(;^ω^)




当日の行程を縄張り図にて説明します。中井先生作図佐生城跡概要図(ブログ管理者加筆)

単郭の城跡で南西角から進入、南面石垣から東側登城口、南東隅から東面、東側虎口から主郭、北側尾根周辺、北西側虎口、西面石垣、元来た南西角虎口へ戻るルートで城跡を見学しました。




緩やかな下りが、登り坂に変わって暫くすると、それは突然目の前に現れた!!


南面西側の高石垣隅部


同角石


南面折れ部
横矢を意識したものと考えられています。


南面



南面東端



東面南側、案内看板


東面虎口
石垣の中央で平虎口が開口



東側窪み
堀切状の方形の窪み



東側登城道の巨石


東側登城道
麓に向かって下っている。


東面虎口から本丸に侵入



本丸北東面土塁



本丸削平地


本丸石碑
「後藤但馬守城址」と刻まれています。
裏側銘 「陸軍大佐 正五位 勲三等 功五級 後藤貞継建之」
御子孫が建立されたのでしょうね


本丸北側尾根、西法面の石垣
南方向


同、北方向


同、虎口
西面の石垣は明瞭だが対をなす北東側の痕跡は少ない
中央には石段が残されていたという



本丸北側法面に僅かに残る石1か所目


同、石2か所目



北側尾根の巨石1か所目


同、2か所目
主郭から離れた尾根上に巨石が鎮座している景色は、本年7月に訪れた「三雲城」に酷似しています。
違うところは三雲城にが「矢穴技法」の割石が残されているところです。


北側尾根堀切
中央には土橋があったと考えられています。


北尾根石垣の痕跡でしょうか


北側尾根斜面に生えた古木が石を抱え込んでいる
どう見ても加工された石ですよね


北側尾根、東面石垣の痕跡




西面石垣



西面中央部


西面南側石垣



西面石垣の南端隅部と


南面石垣も西端、隅部で虎口を形成しているように見える。



繖山に通じる西尾根
北尾根
麓に通じる東尾根


現在残っている南面の高石垣は、遊歩道から見やすいので目立つけど
東面、西面にも石垣は残っています。
そして北尾根の西側にも部分的に石垣の痕跡が見られます。
北東側斜面は藪に覆われ、崖となっているので確認しずらいが痕跡がありそうです。
虎口についても、3か所の尾根にそれぞれ石垣の開口部が設けられていると感じました。

つまり三つの尾根の中心にある三角の形をした佐生城は、繖山北端に築かれた高石垣の出城だったのでしょうね。


【佐生城】
《》

名称(別名);佐生日吉城,佐野山城
所在地;滋賀県東近江市五個荘町下日吉及び佐野町
城地種類;丘陵城
標高/比高;160m/60m
築城年代;室町期
廃城年代;
築城者;後藤但馬守
主な改修者;
主な城主;後藤氏
文化財区分;なし
主な遺構;曲廓・土塁・堀・石垣・虎口・竪堀
近年の主な復元等;


※出典、、、
地図;
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「城歩き」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事