壇ヶ城は、戦国時代の末期、浄土真宗本願寺教団により組織された一向一揆が立て籠もった山城(砦)跡として知られています。中略
ここに立て籠もったのは、一向一揆の大将、嶋田将監と伝えられています。一向一揆勢力は、当時、勝山市域に大きな力を持っていた平泉寺と戦い、天正2年(1574)4月14,15日の両日、村岡山に陣取り、平泉寺を破りました。その後一向一揆は、越前に侵攻してきた織田信長とその家臣、柴田勝家によって平定され、はく山麓に逃げ込んだ最後の一向一揆勢力も、天正8年に掃討されました。
城跡は、見晴らしの効く高台にあり、前面の九頭竜川や平地の人々の行き来が手に取るようにわかります。また、城の前面は急斜面となっており、攻めにくく守りやすい場所に存在しています。さらに城跡付近の窪地には、飲料水となる水も湧いています。このように、壇ヶ城は、自然地形を巧みに取り入れた山城と言えます。、、、現地説明板より
場所は福井県勝山市堀名中清水
中部縦貫道「勝山IC]下車、県道260号線を右折。二つ目の三差路を左折し、すぐ先の県道31号線で右折。九頭竜川を渡り、国道416号線を越え、皿川という小さな川を渡る県道112号線を左折。そこから約900m先で右折すると「日吉神社」(勝山市荒土町堀名清水町1)があります。
自分のナビでは日吉神社の住所が設定できなかったので、交差点角の建設会社の地番(福井県勝山市荒土町堀名中清水7−7−1)でおおよその場所を設定するのもいいでしょう。
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登山口は日吉神社と右隣の民家の間にある道を山に向かって進みます。
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害獣除けのフェンスがあり、こちらはファスナーで開閉します。入山したら必ずファスナーを閉めましょう。
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あとは案内看板に従って登るだけです。
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途中「銀山」に向かう分岐と壇山清水の分岐がありますが城址方向の指示にしたって登ります。
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巨石のところにある看板が最終案内です。
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ここで当日の行程を縄張り図で示します。
現地説明板より抜粋(ブログ管理者加筆)
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目的地は右上にある三段になった郭ですが、縄張り図ではその左に描かれている郭群のほうがはるかに規模が大きくて、主郭のようでもあります。
この曲輪群は壇山清水分岐看板のある辺りで、南に開けた山の谷あいにあたります。清水が湧き、自然の平坦地を利用して、城兵を駐屯させていたのかもしれませんが、今は藪化して立ち入ることはできませんでした。
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登城口には大きな石が積まれていると言うか、散乱していますがこれは虎口なのでしょうか?
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主郭削平地には城址碑が建っています。
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尾根の舌状に付き出た先端に階段状に三段の郭を並べた構造となっていす。
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二段目
岩盤を利用して区切っています。
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二段目と上段の郭の間には堀切があります。
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堀切断面
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堀切は崖に向かって竪堀となっています。
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下段の郭の先端に石垣の跡が残っています。
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行動履歴です
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今回は福井県勝山市に残る「壇ヶ城」と「村岡山城」の2城を攻城してきましたが、いずれも一向一揆勢力が築いた城で、柴田氏によって掃討された歴史を後世に伝える城でもありました。
後に勝山を支配した柴田勝安は平城の「勝山城」を築き統治にあたりましたが、賤ケ岳の戦いで討ち死にしたと言われています。
村岡山城の記事は→こちら
勝山城の記事は→こちら
【壇ノ城】
《だんのじょう》
名称(別名);壇ケ城
所在地;福井県勝山市堀名中清水
城地種類;山城
標高/比高;174m/60m
築城年代;戦国期
廃城年代;
築城者;嶋田氏
主な改修者;
主な城主;
文化財区分;
主な遺構;曲輪・石垣・堀切
近年の主な復元等;
地図;