見出し画像

あみの3ブログ

松根城跡 @石川県金沢市松根町 令和三年(2021)2月13日

お城検索は→こちら

富山城郭カードは→こちら

いしかわ城郭カード→こちら


昨年「とやま城郭カード」を頂きに「砺波市埋蔵文化財センター」を訪れた際、登録されているお城のリストを貰った。→こちら

それによると現在「50城」がカードとして発行されており、そのなかでも「国指定史跡」は「安田城」(富山市)、「高岡城」(高岡市)、「増山城」(砺波市)、「松根城」(小矢部市)の4城だけで、そのうち未訪問は「松根城」(小矢部市)1件であることがわかりました。
そうなってくると、どうしてもここだけは攻略せずにはいられない(笑)

あいにく冬の積雪期に入り、山城歩きははしばし中断😿
しかし、季節外れの高温が続いた2021年2月13日
絶好の山城歩きの天候にも恵まれ、ついに登城を果たしました。

ルートや見どころは以下を参考にさせて頂きました。ありがとうございます♪
《参考資料》
人に教えたくない北陸パワースポット→こちら
金沢市観光公式サイト「金沢旅物語」→こちら


場所は富山県と石川県の県境、国道8号線より山側を走る国道359号線の「内山峠スノーシェルター」がある辺りです。


松根口バス停から「チェリーゴルフクラブ金沢東コース」に向かって進みます。


同ゴルフ場との分岐に「松根城跡」の入り口標識があります。



一帯は金沢市の調査によって国の指定史跡となり 加越国境城跡群及び道 ー松根城ー として整備されています。
休憩場やトイレもあり


ここからの展望は心癒される風景です。


城の歴史や特徴、縄張り図などの案内板が整備されています。



かつて府中三人衆と呼ばれた佐々成政と前田利家。与力として仕えていた柴田勝家が本能寺の変後対立していた羽柴秀吉に賤ケ岳で敗退し自刃。
その結果、秀吉方となった前田利家(加賀領主)とそれに反目する佐々成政(越中領主)の間で緊張が高まり、加賀と越中の国境付近(加越国境)で対峙することとなった。

この両者の対立を物語る最大の発見は「小原越」の道跡の確認と、その「小原越」が「大堀切」で遮断されている事。
加賀側からの侵攻を防ぐために「小原越」を切断し、幅約25mの堀で「戦時封鎖」した可能性が考えられると発掘にあたった金沢埋蔵文化センターの報告書は結ぶ。

天正13年8月の羽柴秀吉による越中出陣(富山の役)により佐々成政は降伏し、越中の西半分の2郡(射水郡・砺波郡)が前田利家の嫡男利長に与えられ、加越国境付近の緊張状態は解消され城郭群は不要になったと考えられる(同報告書)




【加越国境付近の勢力図】






【縄張り図】
標高308mの山頂部を中心に造成され、主郭や土橋で結ばれた平坦地、それらを囲む堀や大堀切によって構成され、防御的な出入り口(外枡形虎口や馬出)を随所に配置しているなど前田方の他の山城と比べて高度な縄張り技術を駆使している。



「大堀切」
幅15m、深さ3m前後の大堀切が加賀側に掘られ防衛力を向上させている
残雪が白い川のようです



遮断された「小原越」
本流に注ぐ支流に見えるのが旧道小原越
山城が軍事的に道路を遮断した事例



城域を迂回して松根峠へ向かう小原越は廃城後にその道筋になったものと考えられるそうです。




「馬出虎口」
城域の南端部にあって小原越、越中方向への出入り口



「横堀」
馬出から主郭までの間に見られる横堀



「櫓台跡」
馬出と主郭の間にあった曲輪の見張り台か



「切岸」
主郭と馬出側の曲輪を分断する大きな堀切



「主郭平坦地」
松根城本丸



「松根城跡石碑」



主郭にある「三角点碑」



「本丸からの展望」
遥か先には日本海まで見渡せる
右手奥は内灘、左は金沢方向



「内枡形虎口」
主郭部と馬出側の曲輪との出入り口を防御する施設
写真ではうまく表現できませんでした



「二の丸」
主郭から一段下がった位置にある



二の丸から見上げる主郭
段差がわかる



「二の丸標識」



「堀切」
二の丸と三の丸を分断する堀切



「土橋」
二の丸と三の丸を繋ぐ細い通路



「三の丸標識」
城郭北端に位置する郭



「土塁」
三の丸平坦地を取り囲む土塁



天正12年佐々成政は朝日山城を攻撃した後9月には末森城を攻めるがいずれも失敗する。天正13年になると、両者が国境付近への侵入を繰り返す中、しだいに前田勢が優勢になり、秀吉遠征軍(富山の役)の登場によって成政は降伏した。この後越中の西半分が長男利長に与えられたことで加越国境付近の緊張状態は解消され、城郭群は不要になった。

その後成政は肥後熊本に転封されるが一向一揆で治世に失敗した責任を問われ切腹。
前田家は越中・能登・加賀三国を手中に収め百万石の大大名として明治維新まで存続した。


※2022年6月12日 いしかわ城郭カードリンク追加

【松根城】




名称(別名);まつねじょう
所在地;石川県金沢市松根町及び竹又町地内
城地種類;山城(308m/130m)
築城年代;寿永2年?
廃城;天正13年?
築城者;桃井氏
主な改修者;佐々成政
主な城主;桃井氏、一向一揆、佐々氏、前田氏
主な改修者;佐々成政
文化財区分;国指定史跡
近年の主な復元等;
遺構;土塁、堀、曲輪

※出典、、、越中中世城郭図面集Ⅲ
地図;
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「城歩き」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事