いしかわ城郭カード→こちら
ラーメン食べ歩きの腹ごなしにお城を巡るというお城ファンにとって不埒な行為ですが、訪ねるとそれなりに深く知りたくなり知ると楽しくなります。
知識が全く無いので先ずは訪ねた先の資料を集め、今後の活動に活かせればいいなと思い日記代わりに記録しました。
北陸・富山に住む者として一番身近なお城は「富山城」
一番身近な大名は高岡開町の祖「前田利長」
その本家本元がお隣の石川県金沢市。兼六園を庭園として有する加賀百万石の「金沢城」であり、「加賀藩主前田氏」です。
【小松城】
二代加賀藩主前田利常の隠居城
現在は天主台のみが残っている。石垣は戸室石の他、地元の鵜川などから切り出された。
明治5年小松懲役城が三の丸に置かれ囚人の役務として城の取り壊しが行われた。このため現在は本丸櫓の石垣と井戸が残るだけとなった。本石垣は切り込みハギ工法によって四隅は特に精巧を極め、周辺沼地の軟弱な立地条件にも関わらず、櫓台直下は砂州の西端にあり安定した土地であるため勾配は垂直に近い積み方である。
※小松市教育委員会
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【概要】
天正4年(1576年)に加賀一向一揆方の若林長門守によって築かれたといわれ、織田信長の武将柴田勝家により攻められ、村上氏、丹羽氏が城主となった。江戸時代になると加賀藩領となるが、元和元年(1615年)に一国一城令で廃城となる。
寛永16年(1639年)、2代藩主前田利常の隠居城という名目で再築、しかし大規模な水堀を廻らし、築島を配するという新城建設に似た大規模なものとなった。完成した城域は金沢城の約二倍の規模を誇る。利常の死後は加賀藩金沢城の支城となり、城番により統治され、明治維新を迎えた。
本丸には天守台が築かれ、天守の代用として御三階櫓が築かれた。広大な水堀に浮かぶ姿から浮き城の別名を持つ、難攻不落の実戦を想定した要塞であった。
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【遺構】
現在、城域はそれぞれ隣接する小松市役所、芦城公園、石川県立小松高等学校として開発され、遺構の保存状態は良くないが、天守台及び内堀の石垣が残る。建造物としては、鰻橋御門が小松市園町来生寺寺門に移築され現存し、兎御門扉及び葭島御殿兎門扉が金沢市兼六成巽閣で、二階御亭入口扉が小松市丸の内公園町小松市立博物館で、それぞれ保管されている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
写真は撮りおろしです。
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町名に「古城町」「殿町」「丸の内町」など往時を忍ばせる。
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公民館もズバリ「古城会館」
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【見どころ】
小松高校敷地内にあるため、管理は同校校長となっている。
天守台への入り口は同校校門のほか、住宅地側に2か所ありそれぞれに案内看板が設けられている。
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校舎から天守台までは桜並木となっており、近隣住民の憩いの場ともなっている。
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東面には(グラウンド側)
「小松城」の石碑がある
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北東隅
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北面(テニスコート側)
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西面
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北西隅には天守台に登る階段があり一番の見どころとなっているが、同校長名にて立ち入禁止の措置がされている。
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南西隅
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南東隅
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現在残る土塁
南側・住宅地側
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南西角の土塁
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西側の土塁
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加賀藩の戦略
加越能三国を支配する本城金沢城に天主閣が無くても、
新潟方面の守りを「富山藩、富山前田家」
高岡には「初代藩主利長の隠居城」
小松には「二代藩主利常の隠居城」
福井方面の守りを「大聖寺藩、大聖寺前田家」
に託すという鉄壁の守り敷いたのである。(私見ですw)
※2022年6月12日 お城検索、いしかわ城郭カードリンク、写真追加
【小松城】
《広大な水堀に浮かぶ姿から浮き城の別名を持つ、難攻不落の実戦を想定した要塞 》
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名称(別名);芦城、小松の浮き城
所在地;石川県小松市丸の内町
城地種類;梯郭式平城
築城年代;天正4年(1576)
築城者;若林長門守
主な城主;若林長門守、村上頼勝、丹羽長重、前田利常
文化財区分;市指定史跡(本丸櫓台石垣)
近年の主な復元等;明治5年(1872)廃城
天守の現状、形態;代用三重櫓(非現存)
地図;
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』