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あみの3ブログ

安川城@富山県砺波市安川 令和四年(2022)2月12日

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安川城は、またの名を「鬼ヶ城」「浅野谷城」ともいい、砺波市内では増山城跡に次ぐ規模を有する中世山城です。塩谷集落の南の丘陵に築かれ、尾根筋に曲輪が配され、堀切や竪堀を備えた山城です。
 この城は、長らく「鬼ヶ城」と呼ばれていました。「鬼」とは黒田太左衛門尉のことで、般若野荘という中世に栄えた荘園の荘官(役人)を務めた人物です。
室町時代、般若野荘を治めていた京の公家・徳大寺実淳(さねあつ)が視察のために安川の薬勝寺に滞在し、太左衛門を荘官に任じます。しかし、のちに太左衛門は横暴を振るい、悪党を従えて城に立てこもりました。一族は城で滅亡したとも伝わります。
 14世紀後半、般若野荘は領家方(徳大寺家)と地頭方によって下地中分(土地の折半)が行われます。これは荘園の不振や混乱があったことを物語ります。その過程で太左衛門には何らかの不満が生じ、意を決して荘園領主に反抗したのでしょう。
鬼とは「社会からの逸脱者や反抗者」のことを指すので、「鬼ヶ城」と呼ばれたのだと思われます。出典、、、砺波正倉→こちら


場所は富山県砺波市安川の「浅谷集落」

国道359号線が砺波市「三合交差点」で新バイパスと旧359に分岐しているので、旧359号線にて「三合交差点信号」から一つ目の信号のない交差点を県道239号線(井栗谷大門線)に入り浅谷集落を目指します。



(株)鶴巻育林サービスの三差路を右折、、、ここには「安川城まで1.2Km」の案内看板があります。



浅谷集落から安川城に至る山越えの市道分岐には「安川城主郭まで750m」の案内看板があります。



舗装された道路から左手の山に向かって入山する入り口に「安川城主郭まで400m」の案内看板があります。



雪が道路脇に山積となっており、とても路駐できる状況ではありませんでした。しかし看板から300mほど進んだところに大きな分岐点があり、除雪されていましたのでそこに車を停めることができました。




先ほどの入山口まで徒歩で戻り、いよいよ山の中に分け入りますが、この積雪に身も心も怯むおもいです(;^ω^)


今回は白銀の世界のなかで土塁や堀といった凹凸が「白」の陰影でしか表現できない過酷な状況に鑑み、モノトーンで表現することにいたしました。陰影は画像を加工してありますので実際の天候や明るさとは異なります。


登り口からの30m位が一番雪深い箇所で、気温の上昇に伴い溶け始めた雪は容赦なく足を引きずり込んでいきます。



V字型に溝のようになっている地形をなぞって登っていくことにしました。
日差しが当たる場所と日陰の場所では雪の質が違い、足を取られながらの体重移動は大腿筋に応えます💦



水道局の施設を左手に見ながら山の裾野を登って行きます。



おぉ~
これは喰違虎口でしょうか???



しかし佐伯先生の縄張り図にはないようなので自然地形なのかもしれませんが、とにかく気持ちが昂り足取りも軽くなりましたよ(^^)/
ここから道は直角に曲がり、いよいよ山に向かっての登りとなります。



深い雪に覆われていますが、V字型の溝のような山道の地形がハッキリと現れており、それを頼りに突き進みました。
先に歩いた人の足跡は無く、まさにバージンロード。とても気持ちが良かったですが、小心者のジジィなので少しの不安もありました💦




ここで当日の行程を、佐伯先生の越中中世城郭図面集Ⅲにて説明いたします。(ブログ管理者加筆)
図中の(G)方向から登り、H郭、馬の背を通り主郭のA郭に至るルートです。主郭下に階段状に広がるB,C,D,E曲輪やE郭の井戸跡もみたかったのですが、積雪と急斜面に恐れをなし今回は諦めることにしました。




山道から見上げるH郭
道は中央の小山を挟んで左右に分かれているように見えました。

左手は街道の脇道となる山道で、右手がH郭に至る大手方向でしょうか?


左手の山道は山の東側の斜面に沿って続いており、H郭の眼下を通っています。
最初はH郭を取り囲む帯曲輪かと思うくらいハッキリとした平坦面に見えました。



H郭下を通る山道からの敵の侵入を警戒するために、堀のように掘削したのかもしれません。



右手の大手方向に至る場所では土塁のような盛り土が見てとれました。



H郭の5m位ある切岸を、雪と柔らかい山肌に苦戦しながら直登しました。



◆H郭
L字型に折れた削平地です。




H郭東側からの眺望
遠く立山連峰が見えました♪



H郭東面、A郭側の先端部に掘底のような形状がありました。
先ほどみた帯曲輪がここに繋がっているのかと思いましたが、図中Gの山道のようです。

H郭は山道を上から見下ろして監視・制圧する役割があったものと思われますが、この地点では山道と曲輪の高低差が無く関所のようにも思えます。



そしてこの山道は、馬の背のような細い尾根を通って主郭のA郭方向へと続きます。



先客は山の住人、いや山のケダモノたち
彼らの足跡をたどって進みます。(遭遇したらどうしようと怯えながらw💦)



馬の背を過ぎると主郭A郭の下に至ります。
ここには尾根を断ち切る堀切が二か所設けてありました。



堀切からの竪堀へと繋がっているようです。



そして正面にそびえる主郭の切岸
堀底からの高さは5mから8m位でしょうか?
先客の足跡たどって直登を試みましたが、野生動物の身のこなしには着いていけません(笑)
深い雪と急な傾斜、軟弱な地盤に足をとられながら登りました。


切岸からの堀切、馬の背とH郭方向




◆主郭
A郭削平地
山の頂上部を削平し、面積はH郭より広く南東に長い方形をした曲輪です。



安川城址標識



東方向の眺望



西方向の眺望



東側、主郭下を通る山道



主郭北西にある虎口周辺から




◆F郭
主郭南端には一段低い曲輪があります。
帯曲輪のようにも見えました。




◆階段状曲輪群
主郭北端の斜面には階段状に削平地が築かれ、さながら棚田のようです。
A郭直下から順にB,C,D,E郭と図中にあり、E郭には井戸跡もあるようです。



先ほど直登してA郭に登りましたが、堀切から北側の斜面を回り込んでB郭に至り、そこから反時計回りでA郭虎口に入るのが当時のルートのようです。

残念ながら階段状曲輪群や虎口に至るルートは深い積雪と急斜面に阻まれ降りることを断念しましたが、雪の無いシーズンに改めて訪ねてみたいと思います。




安川城再生プロジェクト
地域の多くの人から愛され親しまれていることがわかります。→こちら



【安川城】
《やすかわじょう》



名称(別名);鬼ヶ城、浅谷城
所在地;富山県砺波市安川
城地種類;山城
標高/比高;190.2m/90m
築城年代;15世紀
廃城年代;16世紀
築城者;黒田氏
主な改修者;
主な城主;黒田氏
文化財区分;
主な遺構;曲輪・切岸・堀切・竪堀・土塁
近年の主な復元等;


※出典、、、越中中世城郭図面集Ⅲ
地図;
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