富山城郭カードは→こちら
城が築かれた山頂部は、細長く平坦にならされ、その範囲は長さ約250m~300m、幅約70m~120mあり、松倉城の支城の中でも升方城と並んで規模の大きな城です。
城の南東部分の標高が最も高く、本丸のような重要な曲輪であったと考えられます。その曲輪の一段低い場所には、細長い帯曲輪が巡らされ、そこに複数の竪堀が見られます。また、城の南端にあたる場所には堀切も設けられ、さらなる守りを固めていました。
この城は、南西の鹿熊地区から北東の片貝川方面へ向かう道を見下ろす位置にあります。また、小菅沼地区を通って松倉城へ向かう入り口にもあたり、交通の要衝となる場所に築かれています。北山城について、江戸時代の文献には「金山谷城」「金山城」の名前でも記載されていますが、城主など詳しいことは分かっていません。魚津市教育委員会、、、(現地説明板より)
場所は富山県魚津市北山、
ザックリ言って「北山鉱泉」の山頂部の方向です。
北陸道滑川ICから、県道51号線「改養寺」交差点を魚津方面へ左折。県道137号線にて「片貝川」を渡り「有山」交差点を右折。暫く走り「観音寺北」交差点を右折。県道136号線右手に「北山鉱泉」の看板が見えますので右折し、北山鉱泉温泉街の郊外まで行きます。変則四差路の交差点に「北山城址」の看板がありますので案内通り、細い山道をお墓の方向に登って行きます。お墓を過ぎると突当りが城址公園です。
早月川左岸より松倉城支城群がある鹿熊・金山谷・小菅沼の各地区方向を望む
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北山鉱泉郊外の交差点、城址案内板あり
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城址公園への登り道
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墓地の辺りから城址山頂
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林道終点が城址公園駐車場
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駐車場からの遊歩道
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山頂の平坦地
中央部に説明板が設置して有り、左手方向の先端部が展望所となっています。
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ここで当日の行程を縄張り図で示します。
佐伯先生作図、白鳥城資料館配布資料より(ブログ管理者加筆)
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松倉城支城群配置(航空写真)、、、現地説明板より
北陸道「山の道」と富川沿いの道が交差する交通の要衝であり、北東方向からの攻撃に対して本城(松倉城)を防御する目的で築城されました。
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北端部にある見張り台?盛り土で固められている。
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見張り台からの眺望
遠く富山湾から能登方面が見渡せる。
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北東側遊歩道そばに遺る堀切跡?
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北西方向の段廓
西側に一段下がった削平地
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中央部削平地
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南方向の上段に主郭が設けられている
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主郭からの眺望
本城、松倉城の方向
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主郭最南端
その先に南尾根を分断防御する堀切がある
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堀切
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主郭切岸
西側
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西側斜面に広がる段廓
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主郭切岸
東側
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東側斜面には帯曲輪のような細長い削平地が取り付き
主郭東側から南側にかけて幾本もの竪堀で防御を高めている。
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北山城は升方城に匹敵するくらいの規模を誇りながら城主など詳しいことは分かっていません。また、まとまった防御施設は主郭周辺のみであるため、北山城は戦国初期に築城され、その後改修されずに廃城になった可能性があると考えられています。
【北山城】
《きたやまじょう》
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/10/b839bade1e24316663453ba064f4a9a3.jpg)
名称(別名);金山城、金山谷城
所在地;富山県魚津市北山
城地種類;山城
標高/比高;305.8m/100m
築城年代;戦国期
廃城年代;戦国期
築城者;椎名氏・上杉氏
主な改修者;
主な城主;椎名氏
文化財区分;市指定文化財
主な遺構;曲輪・切岸・堀切・竪堀・土塁
近年の主な復元等;
※出典、、、
地図;