毎日楽しみにしている地元紙、北日本新聞連載の「とやまお城探検隊」→こちら
11月10日の記事は「城端城①」だった。
城跡そのものについての紹介では無く、「城端町」と「善徳寺」についての内容だったので気に留めていませんでしたが、翌日の「城端城②」では【移築門】が現存しているとの事。
富山のお城は何百とあるだろうけど、遺構として現存している建物は富山城の「千歳御門」くらいのものではないでしょうか?
外にあったら教えてください、見学に行きます。
最近のお城歩きでは、移築門や移築御殿などの建物を積極的に見学しています。
土の堀や土塁だけでは飽き足らず、つい形のあるものに心が動きます💦
富山県南砺市城端町といえば
麦や祭り(→こちら)と城端別院、曳山と織物の町。それくらいしか知りませんでした、あとアニメの聖地とか(笑)→こちら
富山県の歴史や観光を紹介するサイトによれば→こちら
南砺市城端町(歴史)概要:
城端町は中世荒木氏が支配した地域だったとされます。荒木氏は永禄2年(1559)善徳寺を城端城に招き以後、善徳寺の門前町として発展します。江戸時代に入ると九斎市が開かれるなど市場町として発展し元禄6年(1693)には700軒近い家屋があったそうです。
特に絹織物製造は加賀藩下で保護され主要産業として発展し大きな富をもたらし多くの絹商人を輩出しました。現在は道路の拡幅工事などで古い町並みは失われましたが、明治時代中期に建てられた蔵(現在は城端町史館)などが当時の繁栄を偲ぶことが出来ます。
富山県民としてお恥ずかしい限りですが
「城端別院」は知っていましたが、「善徳寺」は知りませんでした。ましてや「城端別院善徳寺」だったなんて、今知りました💦
かつて城端地区には城ケ鼻城(城ヶ端城)と言う城があって、城主は荒木大膳(膳太夫・六兵衛)という南砺の有力豪族でした。
福光にあった「善徳寺」を戦国時代の永禄2年(1559)、荒木大膳が城域を提供して招請したと伝えられています。
寛永12年(1800)善徳寺に現在の楼門が造営されることになったため、翌享和元年(1801)砺波市苗加の「萬福寺」に山門が譲られることになったそうです。
砺波市苗加の萬福寺によれば
昭和29年9月26日の台風でこの山門が倒壊し、翌30年に復元されたが、その時に発見された冠木の散らし八双裏の墨書によって、貞享5年(1688)の建立であることが明らかになった。しかし、墨書には「城主荒城六兵衛大手之門」とあり、もともと城ケ端(城ヶ鼻)城の城門であった場所に建立されていたものと思われる。富山県教育委員会・砺波市教育委員会、、、現地案内板より
城端別院山門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/38/c16e103fb0692c13c8c28486d7b0cd83.jpg)
隣に建つ善徳寺前には善徳寺前バス停まである観光の中心
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/5e/b908ae36839b4c3829cb45ff220dc139.jpg)
善徳寺太鼓楼は県指定文化財となっています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/17/948c207134499a4d6d84fcaa1045d5e0.jpg)
背後には池川が流れ、段丘涯の上に建っていることがわかる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/8c/4c8cf5dde39d1b38cbc5b0fbadbdd532.jpg)
天然の要塞
山田川と池川を堀として、切り立った崖の上に造られ容易に近づくことができない
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/fa/293e53aa1b5001b812574b17988e4354.jpg)
移築門
萬福寺山門
様式は「薬医門」
『間口5.64m、奥行き2.84m、軒高さ4.62m』、、、(『』内は現地案内板より、以下同)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/3d/68cca982b9c6a0e5055b590e8dcf2822.jpg)
表右側より
『前側に三本の角柱をやや棟寄りに立て、』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/2e/139d216d298eb9c256e94d5dc49f0aa2.jpg)
内側より
『後方の二本の控え柱と化粧貫でつなぐ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/48/e0f67cd1bd6c42030216952a8e7b6bda.jpg)
屋根
『前側の柱の上に冠木をのせ、その上に梁行に並べた腕木で切妻の屋根を受ける』
『昭和29年倒壊当時は茅葺であったが、痕跡にならって当初の本瓦葺きに復元されている』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/84/58fa05f92678a53d0620e22d94a37bbb.jpg)
くぐり戸
『右脇の小間に潜り戸をつけている』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/6f/e27e85c1ddf3f60786b40e23648543a8.jpg)
門扉丁番金具
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/d1/34a9f899a5887701d78d9ed8382ecc20.jpg)
飾り金具
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/39/b1ab9be999bba34142f093281c100d57.jpg)
萬福寺全景
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/9d/3de6d41e0bb39c1fbce2caa9d362bd45.jpg)
唐門も由緒ありそうです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/78/e8418309673a886c8e609c8c63ca7b70.jpg)
現在バイパス側から見える、ドーム型の納骨堂を観たらピンとくる方も多いと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/47/48396ab74b9a320fe1e23629f5a2ab71.jpg)
今回予想もしなかった城ケ鼻城(城ヶ端城)の現存する移築門を観てきましたが
一番有名な富山城千歳門以外にも、
県内三大山城と呼ばれる高岡市二上の「守山城」、砺波市の「増山城」、魚津市の「松倉城」や、有力守護代の城であった新湊の「放生津城」などでは、城門がどこかのお寺に移築されていてもおかしくないですよね。
見学できる日が来ることを願います。
【善徳寺】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/25/565d7925b8ffe9ae1e8efb8466c57978.jpg)
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住所;富山県南砺市城端405
地図;
♪☆★移築門♪☆★
【萬福寺】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/b9/7b1b589132962f7fbeceddd0433673d9.jpg)
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住所;〒939-1333 富山県砺波市苗加781
地図;