富山城郭カードは→こちら
南砺市指定史跡
土山御坊跡
文明初年に真宗本願寺八世蓮如が、念仏の教えを大衆に広めるため、この地を訪れた際に土山御坊を建てて、次男の蓮乗を住職とした。御坊は、明応3年(1494)に高木場に移り、永生16年(1519)戦火にあったため安養寺(小矢部市)に移った。その後天正12年(1584)に伏木(高岡市)に移り、勝興寺として栄えた。
また同時期、佐々成政が加賀前田氏に備えて国境を守るため、近くに御峰城を築いた。三方が深い谷になっており、敵を防ぐのに適した場所であった。
このように土山は、昔から周辺地域の要所として、重要な役割を果たしてきた。
御坊跡は、土豪杉浦万兵衛の屋敷として栄えたと言われ、現在は蓮如が造作としたという庭園の様子がわかり、地元の行事を行う憩いの場所となっている。南砺市教育委員会、、、現地案内板より
安養寺(小矢部市)の登城記事は→こちら
勝興寺(高岡市伏木)の登城記事は→こちら
場所は富山県南砺市土山
先ず、廃校になった旧福光西部小学校(富山県南砺市法林寺1)にナビをセットします。
R304号線から小学校に入る側道には「蓮如上人旧跡 土山御坊跡」の標識が建っています。
旧校舎
その先右折して土山集落に向かいます
左手に土建会社が見え、右手に「蓮如上人史跡」の標識が建っています。
標識に従って山へ上がっていきます。
土山集落に入ると三差路に大きな案内看板が表示してありますので、ここに駐車します。
ここからは案内に従って、徒歩で蓮如上人土山御坊跡に向かいました。
当日の行程を佐伯先生の越中中世城郭地図Ⅲで説明します。(ブログ管理者加筆)
この集落全体が在地土豪杉浦万兵衛の城域で、その中に御坊があったり、佐々成政の土山砦(御峰城)があったりして、とても広く変化に富んでいると感じました。
【土山御坊跡】、、、図面「D」
史跡公園のように整備され、トイレや現地案内板が設置されています。
公園の中には蓮如上人像が建立されています。
在地土豪杉浦万兵衛の墓
歴代の墓石でしょうか
御坊跡の周囲は小高い丘を削平した平坦地で、法面は切岸のような加工が見受けられます。
御坊跡には史跡公園と民家が数件建っていますが、ぐるっと周囲から隔絶した一画だったことがわかります。
案内板では『御坊跡は、土豪杉浦万兵衛の屋敷として栄えた、、、』とありますが、土山御坊が建つ前から土豪杉浦氏の居館があったとも言われ、その一画を与えて御坊を建てさせ、後に前田の治世になってから杉浦氏に旧領が安堵されたとも考えられます。
【オチン】、、、図面「E」
土山御坊史跡公園から道を挟んで南側の、小高い丘に広がる平坦地
オチン(御亭)と呼ばれ、土山御坊を見下ろす高台に位置していることから、土山御坊の離れ屋敷が存在していたのかもしれない。
しかし佐伯先生が指摘するように、周囲には切岸・土塁・横堀が遺り、東側を警戒した純然たる城郭遺構となっている。
御坊向かいに看板と登り口がある
丘の上は登り口を中心に、東西に削平地が細長く伸びている。
◆オチン東側
西側に比べ広く、建物が建っていたと考えられます。
東から西方向を見る
◆オチン西側
西から東方向を見る
細長くくびれた先が高台となっており、斜面は切岸として加工され現在は下に民家が建っています。
オチン西端からの眺望
眼下に御坊、目の前の山は「御峰城」で、見張り台として恰好の位置にあります。
【御峰城・土山城・土山砦】、、、図面「A」
佐々成政が築き、その武将裨田善助・青木孫右衛門が守ったとあり、加賀の前田利家との間の緊張が続く加越国境、脇街道「二俣道」監視の目的があったものと考えられています。
車を停めた大きな看板のある三差路から西に進むと、右手の民家の裏山に御峰城(砦)は築かれています。
途中、左手に見える平坦な一画も城域の曲輪に見えてきます(笑)
左手に脇道があり、ここを登ると城址です。
現在城址には、集落の水道用の貯水槽が建設されています。
城址がある尾根は南側1/3ほどで分断されていますが、南側の削平地も当時の遺構と思われます
◆堀切、、、図面①
これは貯水槽地建設に伴う建設資材運搬用の道で、かつての堀切を掘削(破壊)して整備したものと考えられています。
横堀で分断された南側削平地
主郭側から見た写真
南側削平地
虎口や土塁の跡が残っているそうですが、現在は薮化して自分にはまったく区別が付きませんでした。
◆主郭、、、図面「A」
北側の削平地頂上部
集落の水道用貯水施設となっています。
城址を示す標識が建っていますが判読できません(;^ω^)
虎口の土塁が遺っているのは奇跡的ですが、それを意識して貯水槽を建設したんでしょうか
主郭からの眺望
北から北東部の眺望
緊張が続く加越国境、脇街道「二俣道」監視の目的に叶う眺望です。
◆帯曲輪、、、図面「B」
主郭北端から藪を抜け、下に降りてみました。
1~2m下には僅かながら平坦地が築かれ、尾根を分断する堀切も確認できました。これは竪堀か??
城址を後にして西側の斜面に回り込んでみると、城址の山すそを巡る平坦面が確認できました。しかしあまりにもきれいに整備されているので、帯曲輪に見えたのは妄想なのか(笑)
【ゴモン、ゴモンノサカ】、、、図面「F」「G」
御峰城址のある山から田んぼと谷を挟んだ西側にゴモン(御門)、ゴモンサカ(御門の坂)と呼ばれる一画があるそうです。
◆堀切
農道沿いに歩いてみると、先ず気付くのは「堀切」
集落の外れにある農地を繋ぐ道となっています。
◆土塁、、、図面④
農道をさらに西に進むと棚田のようになった景観が現れますが、丘の上の田んぼの端は明らかに「土塁」です。
佐伯先生は喰違虎口の土塁だった可能性を指摘しています。
◆堀切、、、図面③
丘の上の田んぼの端の下は不自然な窪みとなっています。
現在林道で設置で繋がってしまったが、かつては堀切で遮断されていたと考えられています。
土塁、堀切辺りから西側の眺望
棚田の脇には街道が通っていた
◆ゴモンノサカ、、、図面「F」
喰違虎口のような土塁と堀切で守備を固めた向かいに、こんもりとした丘(尾根)がある。小さな祠が入り口です。
左手の道は農道で後年に整備されたもので、かつてはここが土山の城域(御坊)入り口だったようです。
◆ゴモン、、、図面「G」
ゴモンサカの北には門があったのでしょうか
丘(尾根)は東西に細長く伸び、その真ん中を谷のように削り取り道を通していたようで、両脇の高台から下を通る道を監視していたものと思われます。
ゴモンの道にあたる谷間には不法投棄と思えるゴミが見受けられ、とても残念です😿
◆堀切、、、図面「②」
ゴモンのさらに北側には尾根を分断する堀切があった。
現在の農道からゴモンのある丘(尾根)、北から南方向を見る
丘(尾根)を分断する堀切
現在は農道(林道)を通す拡幅工事のため破壊されている
堀切から山腹を通る林道わきに竪堀があるようですが、分かりませんでした。
【大堀切】、、、図面「⓹」
南側の尾根続きには堀切⓹で遮断しているが、これは尾根越えの道跡の可能性がある、、、と佐伯先生は指摘しています。
図面ではここだけが、ずいぶんポツリと描かれているので、どうしても気になり行ってみました。
民家の間の庭先を通って裏山に入る感じですが、
そこは小高い丘(尾根)で、きれいに削平された場所でした。
周囲の斜面にも加工された気配があり、これは第3の曲輪跡ではないかと期待が高まります。
尾根の傾斜に従って北東方向に段廓が設けれ、上段の曲輪を取り巻いているのがわかります。
段廓の堀切
けっこう高低差があります
そして、その先に大きな堀切がありました。
下の民家の裏にあたる場所です。
かなり藪に覆われていますが尾根を断ち切り、東側の平坦地(民家側)にまで伸びています。
段廓までの高さは約3~5m、
堀幅も結構ある(曖昧過ぎるw)
【土山御坊があった場所と言われている地点】、、、図面「C」
土山御坊があった場所はC地点付近と言われているが、後世の破壊が激しく旧地形は判然としない、、、と佐伯先生は指摘。
今ほど歩いてきた「大堀切がある南側の尾根」が背後にある場所です。
丘(尾根)を背に、南に開けたロケーションは庵を結ぶ雰囲気がありますね。
そうみてくると、やはり「大堀切がある南側の尾根」にある削平地が重要な曲輪に思えてくるのですが(妄想です)
もう一度地図を真上から俯瞰してみると
東西に走る土山集落猪メインストリートに対して、
ゴモン、御峰城、マンベエヤシキ、オチン、大堀切が全て北の方向にあります。北を意識した(警戒した)里だったのかもしれません。
【御峯城】
《おみねじょう》
名称(別名);土山御坊(どやまごぼう)土山城(どやまじょう)
所在地;富山県南砺市土山1270
城地種類;山城
標高/比高;260m/20m
築城年代;文明年間(1469年 - 1486年)以降
廃城年代;天正13年(1585年)頃
築城者;蓮誓、もしくは向田孫右衛門尉?
主な改修者;佐々成政
主な城主;一向一揆勢、神保氏、佐々氏
文化財区分;市史跡
主な遺構;曲輪、堀切、土塁、竪堀
近年の主な復元等;現状、庭園
※出典、、、佐伯哲也 越中中世城郭地図Ⅲ、北日本新聞とやまお城探検隊
地図;
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