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あみの3ブログ

高山城@高山市城山 令和三年(2021)10月24日

お城検索は→こちら


標高686.6m、通称城山、別名を臥牛山、巴山とも言う。金森入国以前は「天神山城」と呼ばれていた。飛騨の守護代である多賀出雲守徳言によって、文安年中に築城され、近江の多賀天神を祀ったことから多賀天神山、城は多賀天神山城と呼ばれた。永正年間には高山外記が在城していた。
天正13年7月、金森長近は秀吉の命を受けて飛騨へ侵攻し、翌年飛騨一国を賜った。城地として、最初は鍋山城を考えたが、後、この天神山古城を選定した。飛騨の中央にあり、東西南北の街道が交差する最も適所と考えたのである。
築城は天正16年から始め、慶長5年までの13年間で本丸、二の丸が完成し、以後可重によって更に3年で三の丸が築かれた。高山城は信長の安土城築城の直後に築かれ、大きな影響を受けている。軍事的機能を最優先させた城では無く、御殿風の古い城郭形式を持ち、外観二層、内部三階の構造を持つ天守を供えているのが特徴で、秀吉の大阪城築城以前における城郭史上初期に位置づけられる。
本丸屋形には台所、風呂、大広間、茶室などがあった。南の大手方向には南之出丸、北の搦手方向には東北曲輪、中段屋形が配置される。昭和31年9月7日岐阜県指定史跡、、、現地案内板より


場所は岐阜県高山市城山
古い町並みが残る高山市中心部から南東方向にある「城山公園」一帯が城址です。
城山公園登り口



目標物は「城山公園二之丸(遊園地)」
ここには駐車場やトイレ、総合案内所や茶店まであるので安心です。

◆「二之丸」
現在は公園・遊園地となっていますが、当時の二之丸曲輪が現存している遺構です。
二之丸は東と西に平地をもち、東側は庭樹院(頼ときの母)の住んだ屋形であった。現在は二之丸公園となっている。西は城主の屋形で、跡地に昭和35年荘川から照蓮寺が移築されている。



初代城主「金森長近公」騎馬像
織田信長家臣として功をなし越前大野城主となるが、本能寺の変で嫡子を失う。賤ケ岳の戦い以降秀吉に従い、越中の佐々成政攻めに伴い成政と同盟を結んだ三木氏を攻め飛騨を平定。その功で飛騨3万8千石の領主としてここに築城。
築城と同時に城下町の整備も進められ、高台に家臣屋敷を建設し、下段の三町を町人の町とした。そして京都に倣って東山に寺院を集めた。
関ヶ原では徳川家康の旗下に属して功をなし、美濃加茂、関において2万3千石を加増された。慶長13年8月京都伏見邸にて死去、享年85歳。



二之丸広場から本丸方向への登り口
石垣らしきものに足取りも軽くなります(^^)/




◆公園案内図
遊歩道や案内標識も完備しているので迷うことはありません。




◆「中段屋形」




石垣の痕跡に矢穴発見でワクワク(^^)/




「水の手」に向かう途中で石垣発見
太鼓櫓下部の石垣でしょうか。こちらも現存する遺構の一つです。




十三間櫓跡




◆「本丸虎口」(復元)



本丸虎口の階段部分



◆「本丸」
本丸削平地は当時の姿を残す現存遺構です。



本丸礎石遺構
天守閣の礎石10数個は現存遺構として貴重です。



当時本丸には御殿や櫓がビッシリ建っていたようです。




本丸石垣
南東隅井地柿の一部が現存している遺構です。


同、角石




◆「もみの木平(南之出丸)」




◆「大手門」(模擬)
昭和44年に公園の修景をした際積まれたもので、江戸時代の石垣ではありません。


しかし模擬とは言え立派で圧倒されます。
しかも、いい感じで苔むして時代も感じさせます。



大手門内枡形
内枡形や内側の石垣、また直角に折れた虎口と大手に繋がる道も造営され、すっかり惹き込まれてしまいました。



◆櫓台と思しき盛り土



同礎石
何の礎石かは分かりません。




◆「号砲平」




◆「中佐平」
日露開戦の英雄「海軍中佐・廣瀬武夫」の銅像が建立されている広場。
ここにも高山城の蔵とかが建っていたんでしょうか?




◆三之丸
三之丸には現在飛騨護国神社が建ち、三之丸にあった御蔵は高山陣屋へ移築されている。



三之丸水堀
三之丸の堀は当時の姿を残す、数少ない現存遺構の一つです。






高山城は金森氏六代の居城でしたが、元禄5年(1692)頼時が出羽国に移封され、加賀藩が勤番を務めました。しかし、元禄8年(1695)幕府の命により高山城は加賀藩の手で完全に破却され、以降幕府の天領となり高山本陣が置かれました。
幕府が飛驒を直轄地とした理由は諸説あり定かではありませんが、豊富な木材、金・銀・銅・鉛などの資源が目的だったといわれています。しかし、幕領時代にはさほど金や銀は採れなかったそうです(;^ω^)



【過去に訪ねた金森長近関連の地】

織田信長家臣として功をなし、越前大野城主となる。
越前大野城の記事は→こちら

飛騨一国を平定した後、養子可重は荒城郷一万石を与えられ、増島城と城下町を築いた。
増島城の記事は→こちら

越中の佐々成政に通じて秀吉に従わなかった三木正頼はここに滅んだ。
飛騨松倉城の記事は→こちら


高山城破却の際に門や御殿の一部は寺社等に移築され現存しています。
移築門の記事は→こちら



【高山城】
《たかやまじょう》

名称(別名);天神山城
所在地;岐阜県高山市城山、高山市神明町ほか
城地種類;平山城
標高/比高;標高686.6m
築城年代;天正16年(1588)
廃城年代;元禄8年(1695)
築城者;金森長近
主な改修者;
主な城主;金森氏
文化財区分;県指定史跡
主な遺構;曲輪、堀、石垣、土塁
近年の主な復元等;大手門石垣、本丸虎口


※出典、、、教育委員会事務局文化財課、現地案内板ほか
地図;
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