坂戸城は坂戸山(標高634m、山麓との比高差約450m)とその西麓に築かれた中世から近世初頭にかけての城跡である。南北朝時代(14世紀中ごろ)新田氏に代わって上杉氏が越後守護になると、家臣の長尾氏(上田長尾氏)が勢力を伸ばし、やがて南魚沼地方(上田庄)を治めるようになった。16世紀初頭、越後国内が戦国の動乱期に入り、坂戸城は長尾房長による本格的な築城が始まった。天文19年(1550)、長尾景虎(後の上杉謙信)が越後国主となるに及び、翌年、政景(房長の子)は景虎と和議を結び、臣従するに至った。天正6年(1578)謙信が急逝し、政景の子景勝が御館の乱(1578~80)を経て越後国主になると、坂戸城は近隣武将の番城とされ、領国経営の要所となった。慶長3年(1598)、豊臣秀吉の命により景勝は会津に国替えとなり、春日山城には越前から堀秀治が入った。坂戸城には秀治の家臣堀直奇が入ったが、同15年(1610)信濃国飯山に移され、坂戸城は廃城になった。
坂戸城山頂部と主要な尾根には、石垣を持つ実城をはじめ、主水郭・大城・小城などの郭群が築かれている。実城をやや下ると桃の木平という広い郭があり、兵糧などの貯蓄や大勢の城兵が立て籠もる際に使われたと考えられる。寺が鼻尾根には小さな円形の塚が数多く存在する(寺が鼻百塚)。西麓には、城主館跡(通称御館)・家臣屋敷跡・御居間屋敷跡がある。城主館跡は一町四方(約110㎡)あり、周囲を土塁で囲み、正面の土塁には高さ約2mの石垣が築かれている。
家臣屋敷跡は城主館跡の前方一帯に広がり、堀直奇が家臣たちをここに集住させた。御居間屋敷跡は、城主館跡のすぐ南側、薬師尾根の中腹にあり、直奇が築いたものである。城主館跡・実城に残る石垣も直奇によるものである。
西麓部と山頂部・尾根上の郭群を結ぶ道としては、桃の木平を通る城坂と呼ばれる沢伝いの道が使われた。
昭和54年(1979)典型的な山城の姿を留めているとして国の史跡に指定された。南魚沼市、、、現地説明板より
場所は新潟県南魚沼市大月
関越自動車道「六日町IC」下車、県道560号線(ほくほく街道)に左折し、国道17号線に右折する。JR六日町駅前の「六日町交差点」を左折、「貝野川」に架かる「六日町橋」を渡り突当りを左折、約50m先を右折。内堀跡の橋を渡り50m程行くと「坂戸城登山口駐車場」(新潟県南魚沼市坂戸330)があります。
六日町橋
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橋の奥に見える山が坂戸山
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目印になりそうな城郭風な民家
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白い建物の手前に「薬師尾根登山口」の標識が建っています。
「坂土山登山口駐車場」はその建物の先にあります。
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「坂土山登山口駐車場」
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神社より俯瞰
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当日は午前8時ころに駐車場に到着しましたが既に満車。タイミングよく帰る車と入れ違いに駐車することができました。
さすが「上杉景勝公」「直江兼続公」は地元でも人気があるんだな~と思っていましたが、じつはここに停まっている車のほとんどは坂戸山へハイキングに来た人たちのものでした。居館跡の石垣や、山頂部の大城・小城の尾根へ向かう人は誰もいません。また「桃の木平」の分岐では城郭遺構がある「主水曲輪」へは迂回せず、皆さん山頂へ一目散です💦
でもそのお陰で、大勢の登山者が興味を示さない城郭遺構をじっくり観察することができましたヽ(^o^)丿
坂戸山見取り図、、、現地説明板より
山頂への登山ルートは「城址コース」、「薬師尾根コース」、「寺が鼻コース」の3コースがあり、それぞれが途中で合流したり分岐したりしています。
自分はもちろん「城址コース」を選択しました。そのために来たんだから(笑)
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駐車場を出るとトイレがあり、その先はもう家臣屋敷跡が広がっています。
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御居間屋敷
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出土した石垣の仮置き場。将来の復元のため保存しているそうです。
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御館跡
坂戸山西麓の緩やかに傾斜するん五本の沢に挟まれた扇状地に居館跡があります。
この居館跡は約110m四方で、周囲を土塁で囲まれています。
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御館跡に建つ城址碑
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「上杉景勝公」「直江兼続公」生誕碑
ここで少し疑問が、、、
直江兼続ってここ坂戸城で生まれたの???
Wikipediaによると、
通説では、永禄3年(1560年)に樋口兼豊の長男として、坂戸城下(現在の新潟県南魚沼市)に生まれたとする説と、現在の南魚沼郡湯沢町に樋口姓が多いことから湯沢で生まれたとする説など諸説があるが史料は確認されていない。、、、との事。
直江兼続が主人公となったNHK大河「天地人」→こちら
にあやかった後付けなのか???(>_<)
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石垣
西側正面の土塁には石垣が全長約91mに渡って築かれています。
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居館跡正面の石垣は、虎口を挟んで南北それぞれに築かれています。
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しかし、南側の石垣は幕末に魚野川の護岸工事を行った際、石材として取り外され転用されたと伝えられており、大部分が壊れている状態だったので、遺構の保存のため解体修復が行われました。
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遊歩道はこの一本杉で分岐し、「城坂」を登って実城へと向かう。
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砂防堰堤の辺りから「城道」は九十九折れの急な登りが続きます。
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五合目には湧水が流れ出し、しばし涼をとりました。
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「主水曲輪」と「桃の木平」の分岐
主水曲輪に行く前に、桃の木平に寄り道
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「桃の木平」
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桃の木平からの眺望
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桃の木平から頂上の実城へは谷あいの「城坂」を登って行きますが、主水曲輪は尾根筋にあるので一旦分岐まで戻ります。
分岐から5~6分で尾根に出ました。
「主水曲輪」
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堀切
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虎口
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上段の郭
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堀切
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急峻な尾根に岩が露出しているので、安全のためロープが設置してありました。
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主水曲輪からの眺望
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桃の木平からの合流点
この辺りは平坦地が広がり、もう一つ登ると実城が見えてきます。
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実城下の削平地は「広瀬屋敷跡」
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実城の高台を取り囲むような帯曲輪
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切岸のような斜面に設けられた登り口
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坂戸山頂上に立つ実城、、、ではなく跡地に建立されているのは「富士権現神社」
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大城・小城の尾根から観た実城遠景
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「富士権現神社」
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神社周辺に残る実城石垣跡
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頂上からの眺望
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大勢の登山客で賑わう頂上の平坦地
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お弁当を広げる登山者を脇目に、自分だけ「大城・小城」へ向かいます。
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「大城・小城」遠景、、、実城より撮影
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実城から大城・小城への尾根道
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尾根に設けられた堀切
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小城の削平地
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小城を過ぎると急な登りが立ち塞がります
切岸でしょうか
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それを乗り越えると削平地が広がります
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奥に進むと土塁のような土の壁がせり出し
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尾根の先端には天守台を思わせるような高台が築かれていました。
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大城からの眺望
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ここから実城に戻り、帰路は薬師コースで無元の駐車場へ戻ることにしました。
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薬師コースは整備された遊歩道で、幅の広い階段となっているので数人が一度にすれ違う事も可能です。
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しかし、階段の段差が50~60㎝位あったでしょうか?下りの脚に掛る衝撃はハンパなく、大腿四頭筋がプルプルしてきました。しかも果てしなく長い階段のように感じて、終わりが見えない位キツイ行程でした💦
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薬師コース終点は例の白い家の手前で、ここから駐車場に行かず「内堀」を見学することにしました。
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坂戸城内堀跡
坂戸山の西麓を流れる魚野川の分流の一部で、城の正面の守りを固める防御線として重要な役割を果たしていました。廃城後、堀跡の一部は埋め立てられ埋田堀と呼ばれていました。
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今では鴨の楽園です(^^♪
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夏場の二か月間、山城巡りはシーズンオフのためお休みして平城巡りに専念していました。そのせいでしょうか? 運動不足は否めず、いきなりの比高473mはキツかった💦
というか、やばかった(>_<)
帰路、車の運転中に大腿筋がけいれんを起こしました。
薬師コースでの下りのダメージが相当大きかったようです。もっと優しい山にしておけばよかったと思いましたが後の祭り😿
転落や転倒による骨折などの事故に至らなかっただけ奇跡です。
事前のトレーニングやアイシングなどの準備は必要ですね。
反省<m(__)m>
【坂戸城】
《さかどじょう》
名称(別名):
所在地;新潟県南魚沼市大月
城地種類;山城
標高/比高;634m/473m
築城年代;鎌倉時代又は南北朝時代以降
廃城年代;慶長14年(1609)
築城者;新田氏
主な改修者;
主な城主;新田氏、長尾氏、上杉氏、堀氏
文化財区分;国指定史跡
主な遺構;曲輪、石垣、土塁、堀切
近年の主な復元等;居館跡石垣復元修復、薬師尾根登山道整備、城坂登山道整備、内堀跡の復元整備
地図;