加藤眞琴ブログ、ドローイングの日々。 Makoto Kato daily blog, of drawing.

アートは大人の遊びの精神、その遊びに夢中になっています。プログ.ギャラリーへお立ち寄りいただければうれしいです。

詩論・作品論・詩人論のおもしろさ

2010-01-16 23:56:39 | 日記
詩人が詩論をかいているのはじっくり読まないと、難しいが作品論、詩人論は気軽に読めておもしろい、今日は岩田宏のそういったものを読んだがよかった。

<ワルシャワの生存者または生き残り>

2010-01-15 21:55:19 | 日記
シェーンベルグは、≪ゲルニカ≫と同じように、深い衝撃をうけて、自己の怒りと苦悩とを人々に伝えたいと思った一人の人間の暴力に対する激しい抗議なのだ。ピカソにとっても、シェーンベルグにとっても、芸術とは決してそれ自体が目的となるものではなく、他の人々と共感を分かち合うための手段なのである。この二人の芸術家が自己の表現手段として見出した公式が充分に彼らのメッセージを伝達し得なかったのは、歴史的状況のしからしむところであったに過ぎない。彼らが新しい文法、新しい言語を生み出したのは、決して単なる戯れや、形式上の完成を求めたからではなく、ただそうでなければ自己を表現をすることができなかったからである。

…ダニエル・アンリ・カーンウエイルによる…芸術の深さに考えさせられる。

「あるギャラリーのおもいで」

2010-01-14 20:58:41 | 日記
もう10年近く前になると思う。益田で個展をすることになった。広島からバスで中国山地を越えギャラリーに着いたのは夜遅く、それからがんばって飾りつけ、あくる日、ギターのライブとパーティーで遅くまで楽しんだ。それから3時間かけて松江まで帰るという人がいたから驚いた。建物がちょっと古風な洋風で庭がすてきなギャラリーだった。
それから、また個展をしたのか、遊びにいったのかよく覚えていないのだが、クレソン鍋をご馳走になった。クレソンをざるに山盛り、みんなでワイワイ食べた。あれは美味しかった。          

≪ゲルニカ≫ダニエル・アンリ・カーンウエイレルによる…続≪隠された絵≫

2010-01-13 11:39:31 | 日記
かってピカソは、私にこういった。<仕事を始める時には、なにかある想念が必要だ。しかしそれは漠然としたものでなければならない>。つまり彼は、自己の自由をいかなる時でも放棄しないのだ。彼の多くの最終的な完成作の下には、無数の別の絵が隠されている。この≪ゲルニカ≫も同様であるが、それについは、かっての段階を示す写真が、われわれに残されている。≪ゲルニカ≫については、すでに多くのことが書かれた。この作品は、ピカソと彼の友人たちを単に形態上の問題にのみ関心を持っている芸術家だと思いこむのは、アーノルド・シェーンベルグや、アルバン・ベルグ、アントン・ヴェーベルンの作品が単なる数学的訓練だと思いこむのと同じようなとんでもない誤りだということを、何よりもはっきりと証明してくれる。
長い引用になったが、ピカソの隠された作品をみるのが、たのしい。そしてピカソの言う<なにかある想念>。…破壊、殺戮、残虐…は現在も続いている。

≪ゲルニカ≫ダニエル・アンリ・カーンウエイレルによる

2010-01-12 21:19:28 | 日記
1937年4月28日、バスク地方の聖なる町ゲルニカは、フランコ将軍を援助するヒットラー指揮下の空軍隊によって壊滅させられた。「中略」ピカソと彼の友人たちを単に形態上の問題にのみ関心を持っている芸術家と思いこむのは……睡魔でたえられない、失礼。 



 

田村隆一詩集

2010-01-10 22:59:42 | 日記
思潮社、現代詩文庫1を生駒の古本屋で見つけた。裏表紙に、中村真一郎が…年と共に若くなって行く詩人を持つことに、大いに誇りを感じ、そのために勇気ずき、そして負けていられないと思う…。表表紙に作者の詩、[ぼくの詩は 単純なものだ 遠い国からきた 手紙を読むように べつに涙がいるわけじゃない]
岩田宏と富岡多恵子も買った。3冊で950円也。








ゲルニカ

2010-01-08 22:50:45 | 日記
仕事をするには、動きやすいように、整理をしなければならないが、これが大変。この段階で疲れてしまうのがいつものわたくしなのだ。今年こそはとはりきってやりだしたのだが、以前古本屋で買ったピカソ・ゲルニカ展1963.1・19-2・17京都の図録をみつけてしまい、その凄さと新しさにあらためて見入ってしまった。それで仕事すすまず…

若い二人の音楽家と陶芸家[伊藤舞衣子+MITATAKE]

2010-01-05 16:05:09 | 日記
2010年4月3日(土)桜の頃、若いアーティストたちのコラボレーションだ。どういう場面が展開するだろう。生駒市の住宅街の桜並木の近くにある築30年の普通の家の一部を改造した、小さなギャラリーAMIROROで行われる。少々不便だけど、いいものがみられると期待している。伊藤舞衣子とMITATAKEという原石だ。

詩をさがす

2010-01-03 07:59:30 | 日記
思潮社の現代詩文庫の帯に田村隆一が、[…いまや、ぼくらの国の市場には、言葉をふくめて消費材にあふれている。核からビニール傘にいたるまで燃えないゴミばかり。若い詩人たちよ、浪費にはげんでくれたまえ。詩というファッションも、まんざら捨てたものではない。ぼくらは「荒廃の国」にやっとめぐり会った。その灰の中からダイヤモンドが探りあてられたら…]と書いている。
「2010年」 詩というダイヤモンドを捜してみよう。

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いきものは、生きている限り、視覚.聴覚.嗅覚.触覚…が躯を刺戟する…それをことば.形で表したい。