全然意味の分からないタイトルぶっ込んですいませんでした。
どうも、お久しぶりの猫派娘です。
ネタがないために少々お暇を頂いておりました。生きてます。
つい先程、たまたま我が父と話していたことがあります。
オリンピック(特に冬季の)の競技って、どうやって考案したんだろう?
です。
それはスピードスケートのパシュートを見ていたときでした。
あ、ちなみに前置きしておきますがこの記事はオリンピックを馬鹿にするつもりはさらさらありません。
では、話に戻りますが私はそれを聞いて
「確かに!正直スキーのジャンプはあれ、なんでやろうと思ったんだろうね?」
と、即座に返しました。
我が家ではこんな話になるとふざけた話に持っていくのがお決まりとなっております。
二人でしばらく考えた後、私は我が父にこう答えを出しました。
「わかった。ジャンプは、なんか考えた人があー、鳥になりてえー…鳥みたいに空を自由に飛びてー…お?こーんなところに、スキー板があるじゃぁないかー!待てよ?あの斜面がいきなり空に向かってぐいっと曲がったら直滑降でいけば勢いで飛べるんじゃね? ってな感じになって、最初はふつうにストック付きで滑ったんだけど、あ、こりゃストック邪魔だわ ってなって結局今みたいな滑り方になったんじゃないかな!」
もちろんそんなわけないと思いますが。そしたら我が父が
「え…そんな理由?」
と、渋い顔をしてきたので
「うん、彼は鳥になりたかったんだよ」
と、真顔で返してあげました。
ちなみにその話で思いついたためこれも話しました。
「水泳のバタフライってあるじゃん?あれも同じようなもんだよ。考案者が偶然海に行ったときにトビウオを見つけて、なんだあれ!?水面から飛んだだと!?かっこいい!人間も魚に負けちゃいかん! で、はい。バタフライ。」
我が父「まじでか」
私「まじでだ」
そんなどうでもいい話をしていたらふと思ったことがありました。
人間って退化したがりがちでは?
まあ、流石に今までの話が酷すぎたのですが、人って大空飛びたがったり、自由に泳ぎたがったりしてません?
でも空を飛ぶのは鳥や虫だし、自由気ままに泳げるのは魚なんですよ。当たり前だけど。
進化ってなんのためにしたの?と、考えてみるとおそらくざっと、環境に対応するためだと思うんです。
じゃあ今のところ人間が一番対応できてるのでは?
なら、空を飛べなくたって、多少泳げなくたっていいじゃないか!!
進化の一番上に位置している私たちは羨むよりも羨まれるべき存在です。
でも、やっぱり空を飛びたい。自由に泳ぎたい。
こうなるのは私なりのめちゃくちゃ勝手な考えなんですけど
おそらくこう考えてしまうのは人間が"自由" を "可能性" に変換してしまっているからだと思うんです。
人間は一番優れている生命体であると仮定したとき、一番なんでもできて自由な生き物であると言えるでしょう。頭脳も持ち合わせている人間はそのことを自覚したときに
「自由なんだ!じゃあ、これもできるだろ?」
と、可能性を提示してきます。
人間は何事も土台があれば「できるはず」という自己暗示をします。(例.コンピュータがある→AIを発明できる)
しかしこれは自由と言えるでしょうか?逆に縛られているのでは、と私は思います。
魚や鳥には泳ぐ、飛ぶしかありません。あとは生きるために最低限必要なものしか持ち合わせていないです。
人間が空を飛びたい、自由に泳ぎたいと思うのは
可能性による強迫観念を捨て去り、自由に単調的に、野生的に生きていきたいからではないでしょうか?
と、いうのが私なりの考えです。
結局総括しますと、
「オリンピックは楽しいよね」
です。
以上、猫派娘でした。
どうも、お久しぶりの猫派娘です。
つい先程、たまたま我が父と話していたことがあります。
オリンピック(特に冬季の)の競技って、どうやって考案したんだろう?
です。
それはスピードスケートのパシュートを見ていたときでした。
あ、ちなみに前置きしておきますがこの記事はオリンピックを馬鹿にするつもりはさらさらありません。
では、話に戻りますが私はそれを聞いて
「確かに!正直スキーのジャンプはあれ、なんでやろうと思ったんだろうね?」
と、即座に返しました。
我が家ではこんな話になるとふざけた話に持っていくのがお決まりとなっております。
二人でしばらく考えた後、私は我が父にこう答えを出しました。
「わかった。ジャンプは、なんか考えた人があー、鳥になりてえー…鳥みたいに空を自由に飛びてー…お?こーんなところに、スキー板があるじゃぁないかー!待てよ?あの斜面がいきなり空に向かってぐいっと曲がったら直滑降でいけば勢いで飛べるんじゃね? ってな感じになって、最初はふつうにストック付きで滑ったんだけど、あ、こりゃストック邪魔だわ ってなって結局今みたいな滑り方になったんじゃないかな!」
もちろんそんなわけないと思いますが。そしたら我が父が
「え…そんな理由?」
と、渋い顔をしてきたので
「うん、彼は鳥になりたかったんだよ」
と、真顔で返してあげました。
ちなみにその話で思いついたためこれも話しました。
「水泳のバタフライってあるじゃん?あれも同じようなもんだよ。考案者が偶然海に行ったときにトビウオを見つけて、なんだあれ!?水面から飛んだだと!?かっこいい!人間も魚に負けちゃいかん! で、はい。バタフライ。」
我が父「まじでか」
私「まじでだ」
そんなどうでもいい話をしていたらふと思ったことがありました。
人間って退化したがりがちでは?
まあ、流石に今までの話が酷すぎたのですが、人って大空飛びたがったり、自由に泳ぎたがったりしてません?
でも空を飛ぶのは鳥や虫だし、自由気ままに泳げるのは魚なんですよ。当たり前だけど。
進化ってなんのためにしたの?と、考えてみるとおそらくざっと、環境に対応するためだと思うんです。
じゃあ今のところ人間が一番対応できてるのでは?
なら、空を飛べなくたって、多少泳げなくたっていいじゃないか!!
進化の一番上に位置している私たちは羨むよりも羨まれるべき存在です。
でも、やっぱり空を飛びたい。自由に泳ぎたい。
こうなるのは私なりのめちゃくちゃ勝手な考えなんですけど
おそらくこう考えてしまうのは人間が"自由" を "可能性" に変換してしまっているからだと思うんです。
人間は一番優れている生命体であると仮定したとき、一番なんでもできて自由な生き物であると言えるでしょう。頭脳も持ち合わせている人間はそのことを自覚したときに
「自由なんだ!じゃあ、これもできるだろ?」
と、可能性を提示してきます。
人間は何事も土台があれば「できるはず」という自己暗示をします。(例.コンピュータがある→AIを発明できる)
しかしこれは自由と言えるでしょうか?逆に縛られているのでは、と私は思います。
魚や鳥には泳ぐ、飛ぶしかありません。あとは生きるために最低限必要なものしか持ち合わせていないです。
人間が空を飛びたい、自由に泳ぎたいと思うのは
可能性による強迫観念を捨て去り、自由に単調的に、野生的に生きていきたいからではないでしょうか?
と、いうのが私なりの考えです。
結局総括しますと、
「オリンピックは楽しいよね」
です。
以上、猫派娘でした。