昨夜、母から電話があった。
父がもう永くないということだった。
父は普通の父親ではなかった。
父親参観日に来てくれたことが一度もなかった。
でも、小学生の頃になると
一緒にドライブに連れていって
もらっていろんなところにでかけた。
夏は小さいボートを買って
私は千葉の汚い海で泳いでいた。
ある夏、海でくらげに刺された。
私は痛くて父に訴えた。
父は私を一人で救護所に行かせた。
私はそこで、アンモニア臭のする
液体がついた脱脂綿をつけられ
しばらくつけているように言われた。
私はその通りにすると
その部分の皮膚が強いアルカリで
溶けてしまった。
10歳の私にはそれがまずい処置であること
はわからない。でも大人の父なら
どういう処置をされたか聞くべきだし
まず、ひとりで救護所に行かせないだろう。
それから一週間、消毒だけされて
俺は歯医者の息子だからと
わけのわからないことを言われて
ほっておかれた。
結果、私は見たことない
でっかい注射で麻酔をし
皮膚を股の付け根からとり
移植する手術することになった。
私の腕には丸いやけどの跡がある。
そのとき、私は普通の人生は
歩めないなっと思った。
父は国大の大学を出て
石油会社に勤め、製油所副所長までいった。
長身でスポーツも出来て
ハンサムなほうだと思う。
だから、母の父のおめがねにかなった。
日本も右肩上がりだから
いい給料をもらっていたし
私も裕福な暮らしが出来たし
それが、当たり前だった。
父は勉強もできて、スポーツもできたし
器用な人だった。
でも、人生の舵取りは不器用で
世間知らずもいいところだ。
父も母も、お金があるのが当たり前で
みんなが過酷なサバイバルの中で
生きていることを知らなかった。
そして
ある事件が起きた。
でも、ここでは言えない。
でも、いろいろあったけど
父が私に愛情があったことは
知っている。
基本的に善人だし、人にいばったり
偉そうなことを言ったりしないし
みんなに好かれている。
だから、昨日
普通に父が危ないと聞いただけで
こんなに悲しいのかと
涙が出てきた。
いつかは誰もが通る道。
でけど、こんなに悲しいなんて
思わなかった。
涙が枯れると
落ち着いてきた。
今日は父の顔を見に病院へ行った。
案外、元気そうだったので
安心した。
今まで、決していい父親とは思えなかった
父だけど、
今は私の中ではいい思い出しかない。
だから、今は落ち着いて
幸せに見送ってあげられると思う。