「神との対話」の実践

「神との対話」の実践

菩薩から如来へ

2019-08-31 12:16:16 | スピリチュアル
人は、霊性に目覚めると
菩薩になります。

すると、善行を積むことに励みます。
それはまさに苦行です。

それも行き過ぎると
エゴになります。そして苦しむのです。
でも苦しまないとわかりません。

ブッダもそうです。
あらゆる苦行の末、苦行しても悟りが
得られないことを知ったのです。

しかし、苦行しないとわからなかったのです。

初めての比叡山の訪問では
あらゆる覚醒の変化を感じました。
それも、急速です。
私のあらゆるブロックが取り外れました。

そして、あまりにも
それは早く訪れました。

1ヶ月の後、私は
新幹線で行き、比叡山近くのホテルド比叡で
宿泊を致しました。

心地よいスペースと
心地よい入浴、睡眠を頂き

私は比叡山の延暦寺を訪れました。

前回とは違い、濃霧の中
静かに終わりました。

それは、まさに通過儀礼です。

もう、訪問しなくても変わらなかったのですが
卒業証書を頂きに行きました。

もう苦行は終わりです。

菩薩から如来になったのです。

もう苦しむことはやめて
楽しむことを学ぶのがこれからの人生です。

どうやったら一日を充実し楽しむか
これが今の課題です。

まだ、人生の苦難という海の中で
必死に船を漕いでるあなた

それは、今のあなたに必要かもしれません。

でも、あなたが漕ぎ疲れた時
または他のきっかけで
あなたは気付くかもしれません。

人生の荒波が本当は自分が作り
出しただけの結果に過ぎないことを

漕げば漕ぐほど波が出てきて
荒くなるように

船を操縦するのに技術を学ぶ必要は
不可欠です。

でも、それからは波を楽しみましょう!

遠慮はタブーです。
あなたが平和なマインドで行動することは
あなたの権利です。

うまく使いましょう!

そうして人生を楽しみましょう!






トラウマ更新からいきついた真理

2019-08-11 10:35:17 | スピリチュアル
昨日、息子の誕生日だった。
ただのイキり小学生となってしまった
息子は父親に折檻された。

ちょっと見逃した隙にやられてしまった。
私も喧嘩の原因を作った一因でもあるし
息子も普段感情的になりやすい父親
に火をつけたことも否めない。
だから三人で作った現象だった。

でも、それで三人とも傷ついた。

だけど、どんなことにも教訓があるのだ。

考えて行き着いた先は

自分の身に起きたことは
全て自分の責任である。

たとえ、見知らぬ誰かに傷つけられたかもしれなくても
私が他の誰かを傷つけていたかもしれない。
 
めぐりめぐって自分に返ってくる。
それが、忘れた頃に
やっtてくるので

やっかいなことに
誰も気付かないのである。