今日の朝刊の死亡欄に、
ひっそりと載っていた記事がありました。
それは、
『ロス五輪金メダリスト、蒲池猛夫氏死去』
の記事でした。
当時48歳という、
日本人最年長の金メダリストでしたね。
ラピッド・ファイア・ピストル
という競技の名前も、
この時初めて知りました。
そして、
この時すでにお孫さんがいたということで、
『お爺ちゃんの金メダル』
としても、
凄く有名になりましたね。
我々の世代の親世代であるこの蒲池さん。
当時48歳ですかあ。
今の我々ぐらいの年齢です。
当時はまだまだ、
生きる速度が速かった年代ですからね。
40代ではお孫さんがいても何ら不思議ではなかった。
そう、
20代で結婚が当たり前の世代。
特に女性は、
20代の前半での結婚、出産がマジョリティーという世代ですね。
今とは隔世の感があります。
それにしても、
48歳でオリンピック金メダルを獲るこの蒲池さんとか、
現在50代でまだオリンピックを目指して奮闘を続けるアーチェリーの山本さん(山本先生と言った方がいいかな?現在は高校教諭を離れて、日体大の教授にして東京都のオリンピック委員会の会長だったかな?重責を担っています)、そしてプロ野球で”49の現役”を続けている山本昌投手、サッカーのキング・カズこと三浦選手など、
長く第一線で『アスリート』として競技を続けている選手、
何だかワタシが「もっとも尊敬する」人たちです。
そのココロは、
『ワタシにゃあ、絶対にできないから』
この年になってプロスポーツの世界で自分と20も30も若い選手と競い合うなんて。。。。。。
凄すぎます。
その蒲池さんの訃報に触れて、
やはり『ロサンゼルスオリンピックの思い出』
が脳裏に浮かんでは消えています。
日本中が何だか、
元気な時代でした。
ロスオリンピックは、
オリンピック自体は当時のソ連が、
前回80年のモスクワオリンピックで西側がボイコットしたことへの意趣返しとして、
このオリンピックをボイコットしたのをはじめ東欧諸国が次々に不参加になってしまったので、
『片肺オリンピック』
のような風情の大会でした。
しかしそんな『なんだかなあ・・・・・』という気持ちは、
オリンピックの開会式で吹っ飛びましたね。
何しろ日本にとっては8年ぶりのオリンピックでしたし、
ピーター・ユベロス氏が仕切った史上初の”商業オリンピック”でしたから、
何しろ『今まで見たことがない』ほどショーアップされ、
明るく派手なオリンピックでした。
開会式でロケットを背負った人がスタジアムに降り立ったのを、
昨日のように覚えています。
『アメリカって、すごいなあ』
と改めて認識させる大会となりましたね。
競技では、
まず思い浮かぶのは、
女子マラソンのスイス、アンデルセン選手の、
脱水症状になりながら、
フラフラでゴールしたシーンでしょうね。
涙、涙の解説、アナウンサーの実況だったのを覚えています。
ちなみに女子マラソンはこの大会が初めてのレースでしたね。
今でもなんとなく覚えているのが、
おなじみの増田明美選手がものすごくナーバスになっていて、
失踪騒ぎを起こしたり、本番のレースでも途中棄権してしまったことですかね。
日本中の”異常ともいえる”期待がのしかかっていたのは想像に難くありませんが、
この時は『本当に心の弱い選手だな』という印象しかありませんでした。
確かレース後も、
マスコミから逃げまくっていたような記憶があります。
『ああ、この人は逃げる人なんだな』
という印象がワタシの中に、
刷り込まれてしまっています。
だからというわけではありませんが、
今しょっちゅう女子マラソンや駅伝の『解説』を増田さんがやっていることに、
ものすご~~~~い違和感しか感じない、
ワタシなんです。
(後年の山下さん、有森さん、高橋さんなどの解説には『そうだなあ』とうなずけるワタシなんですが、増田さんには『お前が言うなよ』と思ってしまうワタシです。そんなんじゃいかんと思ってはいるのですが、頭がそう反応してしまう・・・・・・。)
それから印象に残っているのは、
やはり野球ですかね。
公開競技ではありましたが、
この野球での日本チームの快進撃は、
本当に胸のすく思いでした。
『野球日本代表』
これがまだなかった時代なので、
『国際舞台で、日本の野球がどれだけ通用するのだろうか』
ということに、
本当に大きな注目を寄せていました。
会場はあのドジャースタジアム。
何度も何度も、
LAドジャーズの試合映像を見たあのすばらしい球場だというだけでも、
心が躍りましたね。
メジャー予備軍が大挙して出場するとあって、
『優勝はアメリカに間違いないだろう』
と半ば”確信”していましたが、
とにかくワタシ自身の注目としては『日本代表』のことのみ。
代表の監督が、
当時いつも春夏の甲子園で解説をやっていた松永玲一氏というのもよかった。
プロの選手は出場せず、
大学・社会人の選抜チームでしたから、
アマチュア野球が何よりも好きだったワタシの心は躍りっぱなしでした。
広沢(明大⇒ヤクルト)
荒井(日石⇒ヤクルト)
和田(日大⇒阪神)
正田(新日鉄広畑⇒広島)
熊野(日本楽器⇒阪急)
らの打撃陣や、
伊東(本田⇒ヤクルト)
伊藤(福井工大⇒阪急)
宮本(川鉄⇒巨人)
などの投手陣。
それが、
難攻不落と言われた”オリエントエクスプレス”郭泰源(元西武)を擁する台湾を破り、
決勝ではあろうことかアメリカまでをも破り、
優勝を成し遂げたのです。
このことは、
『野球の母国』を自認し、
このロス五輪では『当たり前に』優勝を信じていたアメリカの野球好きに、
大きな衝撃を与えた事と、
ワタシは今でも思っています。
それほどの大きな出来事でしたし、
これを見ていた日本の野球ファンは、
全くかなわなかったと思っていたアメリカの野球に対して、
『日本の野球も、強いんだ!』
ということを初めて認識させられたような出来事でした。
ワタシの『野球観戦人生』にとっても、
本当に大きな大きな出来事でした。
広沢のホームラン、
今でもよ~~く覚えています。
熱狂しましたね。
あれだけ嬉しかった一撃は、
なかなかありません。
ところでこの大会のメダル数を見てみると、
ダントツのアメリカ(総メダル数174個、金メダル83個)を除くと、
ルーマニアが1位だったんですね。(総メダル数53個、金メダル20個)
驚きです。
そういえばこの大会、
東欧の社会主義国ながらオリンピック出場に踏み切ったこのルーマニアが開会式で登場してきたとき、
スタジアム中がものすごい拍手と歓声に包まれたのを思い出しました。
そんな状況の中で、
モチベーションをアゲアゲにして挑んだこの大会で、
この素晴らしい成績を上げて、
国民も鼻高々だったことでしょうね。
(ちなみに元首は、このわずか5年後に民衆によって”処刑”されるチャウシェスクでした。人生の無常を感じずにはいられません。)
その他でも日本絡みでは、
山下さんの涙の金メダルや瀬古選手のまさかの失速、
そして体操の具志堅選手の見事な演技や、
鉄棒の森末選手の10点満点連発の姿などが、
心に残っています。
その後の88年ソウル、92年バルセロナ、96年アトランタと、
日本は不振を囲う大会が続いてしまうので、
このロサンゼルスオリンピックは余計に輝いて見えるのかもしれませんが、
『いい時代の、いいオリンピックだったなあ』
と今更ながらに思ったりしています。
そんなことを思い起こさせてくれた蒲池さんに、
深く頭を垂れます。
もう曾孫さんもできていたのでしょうか?
安らかにお眠りください。
合掌
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