「おばあちゃん」と呼んでみる。
よみがえる風景は、ひとり暮らしのおばあちゃんちの居間。
そのころ大学生だった私は、ときどきおばあちゃんちへ泊まりに行った。おばあちゃんの昔話は途切れることがなく、眠るのはいつも夜中の3時ごろ。同じ話を何度も繰り返すおばあちゃん。その中でも、マサオさんの話はちょっと特別だった。
その時、おばあちゃんとマサオさんはまだ幼かった。でも、本人たちの意思とは関係なく、まわりの大人たちは、いつかは結婚を、と考えていたらしい。ふたりもそう悪い気はしてなかったんだろう。ある日、マサオさんは、仕事で遠くに出かけた。おばあちゃんへのお土産には何を買ってくるだろうかと、まわりの大人たちはあれこれ想像した。さて、マサオさんがおばあちゃんに買ってきたのは、ボストンバッグいっぱいのキャンディ。
まわりの大人は笑うやらあきれるやら。でも、おばあちゃんはとってもうれしかった。
でもそれからいろいろあって、結局ふたりは結婚することはなかった。
「あれが、おばあちゃんの初恋やったんやろうねえ」とおばあちゃんは少し恥ずかしそうに、でもすごくうれしそうにほほえむ。ほんとに少女みたいだ。
おばあちゃんはもういない。
私の母にもきっと話したことのないはずの、マサオさんとの素敵な思い出。私しか知らないその思い出は、私がいなくなったら誰が覚えているのだろう。そんなに大切にしてきたものがあっさりこの世からなくなってしまうとは思えない。
人の心にある思い出は、人のもとを離れて、風にふかれてふわふわただよい続けるのかもしれない。ただよってただよって、ときどき見知らぬ誰かにぶつかったりして。
ある日、誰かがふっと、キャンディをいっぱいお土産に買って帰りたくなったりするのかもしれない。

<コメント>
沢山の心のこもったエッセイがあるなか
映画『アンを探して』のテーマとぴったり重なり
ジーンとくるエッセイでした。
例え叶わずとも「想い」は、
めぐりめぐって、こういうふうに
誰かの心をあったかくしたりできるんですよね。
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