ここ数日、ブログのヘッダーに色々と手を加えています。フォントが変わったり、突然、色々な物体(!)が追加されたりしてますが、まだ調整中ですので驚かれませんように。
今後も大幅に変わるかも...。
ガチョウも薔薇も映画「アンを探して」にとって大切なエッセンスでした。
ガチョウ達とガチョウ小屋は、映画のためだけに、B&Bのセットの側に設置されたのですが、影にはクロードEPの奔走がありました。
ちなみに英語だとガチョウはgeese(単数形ではgoose)。
いわゆるカナディアン・ギースです。
私は最初、身体が白いのでついduck(アヒル)と呼んでしまい、クロードEPに「ギースね」と訂正されてました...。恥)
とにかくこうしてガチョウ達だけの寄りの撮影やサウンド取りもありましたし、彼らはりっぱな出演者?!
静かなシーンの撮影で、突然、羽をばたつかせ、クワックワッと騒ぎ始めた時は、撮影クルー一同、焦りまくりでしたが、そこにいるだけでユーモラスで場を和ませてくれた愛すべきガチョウ達でした。
写真・文 藤本紀子
モンゴメリの貴重な直筆原稿です。
「赤毛のアン」第一章の書き出し部分。
(8月、シャーロットタウンのコンフェデレーションセンターのモンゴメリ展示にて撮影)
Anne of Green Gables,
Chapter 1, Mrs. Rachel Lynde is surprised.
そして本文、Mrs Rachel Lynde lived just where Avonlea main road... と続きます。
自伝「The Alpine Path」によると、モンゴメリは物語の書き出しにいつも苦労し、最初の1節が書けると、もう物語の半分は書き終えたような気分になったということです。でもこの書き出しに関しては、考え込む事も無く、スラスラと出て来たとか。雨がそぼ降る、湿っぽい6月の夕暮れ時、マクニール農場のキッチンで、西向きの窓から入って来る仄かな光をたよりに物語の冒頭を綴ったと日記には回想されています。
「赤毛のアン」の執筆が行われたのは1904年の春から1905年の秋にかけて。主に一日の仕事を終えた夜に、彼女の切り妻屋根の部屋の窓辺に座って書かれたそう。この100年の時を経たペンでの直筆文字を見ていると、凍えるような寒い夜でも、ランプの光の瞬きの下、一心に文章を書き綴っている彼女の姿が見えるようです。窓の外では彼女が愛した林檎の巨木が、島の強風に揺られてワサワサと音を立てている...。直筆の文字って何だか想像力をかき立てられますね。
今年は出版100周年のため、様々なモンゴメリの遺品が日本でも展示されているようで、赤毛のアン展では直筆原稿も展示されているようです。
ところで、コンフェデレーションセンターがネット上に作ったデジタル展示「あるカナダ人の人生を描写して:L.M. モンゴメリのスクラップブックとブックカバー」の存在はご存知でしょうか。
「赤毛のアン」の背後にあるモンゴメリの世界の奥深さが紹介された展示で、ものすごい情報量。彼女の様々な顔を紹介もする充実した内容です。
日本語のページもあるので、まだの方は、ぜひご覧になってみてください。
*スクラップブックと言えば、映画「アンを探して」にも、時を経た大学ノートが登場し、中にはいろいろなオブジェがスクラップされています。宮平監督も自分のノートを作って映画製作のための記録を取っていましたっけ。
ブログも一種の電脳スクラップブックと呼べるかもしれません。
写真・文 藤本紀子
主人公、杏里(あんり)の自転車。
こちも小道具班が用意してくれました。
ブルーの自転車に合わせて、ヘルメットもブルー。
プリンスエドワード島では、自転車に乗る時にヘルメット着用が義務づけられています。
最初は自転車に乗るのがあまり得意ではないと言っていた杏里役の穂のかですが、何度も坂を上ったり下りたりと体力的にも大変な自転車での撮影を、全て問題無くこなしてくれました。
最後にはとても上手に自転車が乗れるようになっていましたよ。
杏里の自転車シーンは、映画の中でも登場回数が多いので、注目です。
写真・文 藤本紀子
目下、私は編集作業と、音楽監督ロベール・マルセル・ルパージュとの打ち合わせに追われています。(ちなみに作曲家のロベールのもう一つの顔はイラストレーター。「まだ完成してないんだけどネ!」いう手作りのウェブサイト(フランス語オンリー)では彼のリズム感たっぷりのイラストが楽しめます。)
どんな仕事もそうですが、映画作りも、楽しいことばかりじゃなく、むしろ、楽しくないことや凹むことも多い?!(と根性無しなので、チラっと白状します)のですが、しかしこの作品を、最高の状態で、一人でも多くの人に観てもらう日を夢見て人の意見に耳を傾けながら、編集作業に精を出しています。楽しみにして下さい。
さて、撮影中、楽しいことの一つだったのは、人生初のヘリコプター撮影。
しかし、カナダ流というかなんというか...。私はこう見えてうちなーんちゅの端くれ、「なんくるないさ~」型DNAを受け継ぐ者なので、何はともあれ、楽しめましたが、飛び立つ直前に「あ、そのドア、飛行中に開いたことがあるけど驚かないでね」とサラッといわれた時は、台本の裏に遺書を書きかけました(笑)。さらに撮影監督の淳さんはカメラのマウントを持ちつつ、シートベルト無しだったので、私のシートベルトを通して、死なばもろとも状態?で命づなにしたり、中々とサバイバルなヘリ撮影でした。
しっかし、そんな不安も、久々の快晴にぶっ飛びました。これ以上ないぐらい、真っ青に晴れたのです。
いい絵が撮れました。
以下、ヘリコプターから撮った写真の数々(え?仕事しろって?これも仕事のうち!)。
撮影終わってパイロットの方、同僚のスチールカメラマンの方と記念撮影。
撮影監督の淳さんも、正確に、ターゲットとタイミングを狙うパイロットの腕の良さには感心していました。
握手した手をよくみたら、両者、とも第一関節から上がない指が何本かある。恐る恐る聞いてみると、「うっかりしてて、コイツにやられたんだ!」とプロペラをさし、爽やかな笑顔。第一関節ぐらい、なくてもなんくるないさぁ~という精神(?)にさすが空の男だぜ...。と妙にシビレたのでした。
でも、初めての人は大概、気分悪くなって離陸後しばらく休んだりするらしいんだけど、私は全然平気で次のロケ現場へ即移動。これには、感心されました。もしかして、「空の女」の資質あり?
「親指の第一関節はあるよ」
By Takako Miyahira
プリンスエドワード島ロケには、地元PEIからもクルーが参加しています。
モントリオールや日本から初めてのPEIに来て、右も左も分らないキャストやクルーにとっては、色々な地元情報も提供してくれる頼もしい存在でもありました。
トップの写真は3rd AD(助監督補)のジェイミー。宮平監督やブレア助監督らと連絡を取りながら、主にキャストとセットの間のパイプ役を務めてくれました。
このジェイミーの写真を撮ったのは、背後に海が広がる野原の真ん中。シーンの合間に穂のかとロザンナと一緒にビーチまでお散歩したのですが、ジェイミーも一緒でした。
そういう時にも、ジェイミーはしっかりキャストをアシストします。そして、さあ、リハーサル!ともなると、キャスト達をセットまで迅速にエスコートします。
左からPA(プロダクション・アシスタント)のジェレミー、リチャード、ドライバーのコリンです。
ジェレミーは地元TVに出演もする俳優で、いずれは監督として映画を撮るのが夢だそうです。
その他、コスチュームやメイク、ヘアー、Unit部門でも優秀な地元スタッフのヘルプがあり、無事にPEIロケを終える事が出来ました。
写真・文 藤本紀子
それぞれの長靴で紹介されていた水色の長靴の他に、お気に入りだったのがこの短い長靴。
トップの写真は8月29日の夜間撮影にて。(photo by Noriko Fujimoto)
ゼラーズで10ドル前後という破格の安さに試しに買ってみたのですが、これ、意外と便利!!
特に、雨が降らなくても、朝露をたっぷり含んだ芝生など、シューズだとすぐびしょぬれになる場所で大活躍。
後半はもう、天気を問わず、愛用していました。(実は、今も愛用してます...たまに...)
オジさん柄なのが玉に傷ですが、日本製はもっと派手な柄や、可愛い柄がたくさんあるようです。
「憲法を変えて戦争へ行こう」
Amazonでネットショッピングをしていたらこんなビックリするような、タイトルがでて来ました。よく読めば、あとに「という世の中にしないための18人の発言」と続くのです。岩波ブックレットで2005年に発行され、今年迄何回も版を重ねています。
ビックリついでに古本だったし安かったので、早速購入しました。数日後に届いたそれは60ページ程のブックレットでしたが、書いてある中身は厚く、重いものでした。
憲法を変えて、、とはもちろん憲法第9条のこと。「9条の会」の存在は知っていたのでその会報誌かなと思ったのですが、そうでもなく岩波書店が独自に発行している岩波ブックレットシリーズでした。インターネットのお陰でこんなものにたどり着けた事を感謝。使い方によってはインターネットは素晴らしい伝達の手段だと思います。
発言者は以下の18人
井筒和幸、井上ひさし、香山リカ、姜尚中、木村祐一、黒柳徹子、猿谷要、品川正治、辛辣なめ子、田島征三、中村哲、半藤一利、ピーコ、松本侑子、三輪明宏、森永卓郎、吉永小百合、渡辺えり子
この中で、「アンを探して」と間接的に関係している方達がいます。
半藤一利氏=宮平監督は脚本執筆中、モンゴメリの作品はもちろん、ありとあらゆる本を参考にして読んでいます。半藤氏筆、分厚い上下の「昭和史」も読破、とても参考になったようです。また、監督はカナダ大使館のライブラリーにも大変お世話になり、カナダ人が戦争中、日本に捕虜として過ごした数年間を書いた素晴らしい本も発見してくれました。(これは映画製作したい程)
松本侑子氏=「赤毛のアン」ファンなら知らない人はないでしょう。いろんな角度から研究されていて、とても勉強になります。我々も殆どの著書を持っています。07年にはNHKの取材で松坂慶子さんとPEIに行かれ、ロケハン中の我々とニアミスの可能性があったかも?
長い文章の一部を抜粋するのは真意が伝わらなくて申し訳ないと思うのですが、ブックレットのなかから、少しだけ、、、お許しあれ。
井筒和幸
<どんどん右回りの蚊取り線香みたいな国になって、火がついたまま最後までいってしまうからね。>
黒柳徹子
<子どもたちは戦争に苦しめられることなく、夢や希望をもって生きることができなければならない。>
半藤一利
<戦争や軍事に対する深い洞察と想像力の欠如している子供が、今の日本に多くなった。それを心から憂えている。>
ピーコ
<人の命より大事な国家などないのですから。守らなくてはならないのは<命>なのです。>
松本侑子
<日中戦争と、第二次世界大戦によって日本人は310万人の兵士と非戦闘員が死んだ、原爆も二発、投下された。取り返しのつかない犠牲のあと、平和憲法は、日本の国会で反対わずか5票という圧倒的多数で可決された。そして国民もまた、「無理矢理の押しつけ」と受けとったのではなく大歓迎した。、、、。>
三輪明宏
<正義の戦争なんてありゃせんのですよ。>
森永卓郎
<世界で最も美しく、強い覚悟を持った平和主義。、、、時間が経ったからと言って変えなければいけないという理由はどこにもない。>
吉永小百合
<戦争とは、国が人に人殺しを命ずる事。命じられた人間は、選択の余地もなく、人を殺さなければなりません。おそろしいことです。>
渡辺えり子
<人を殺していいということは自分も殺されていいし、自分の子供や親も殺されていいということです。そう思う人だけが「改正」に賛成すべきですよ。>
撮影では、ロイヤルカナディアンリージョンに実際に退役軍人達が使用するホールを貸して頂いたり、あるシーンでは、本物の退役軍人の方にエキストラ出演していただいた。ご高齢の方も多く、待機の時間が長かったり体調が悪くなり救急車を呼ぶ、などのハプニングもあったが、私のような若僧の指揮の下、それでも皆さん辛抱強くイヤな顔一つせず最後まで真剣にご協力して下さった。頭が下がる思いだ。
第一次大戦、第二次世界大戦。
この頃の戦争は、日本に限らず、どの国でもほぼ強制徴兵だった。イギリスと同盟国だったカナダは、自分の国と直接関係がなくても、銃の扱い方も知らない様な無知な若者達が戦争に駆り出された。
とくに、ヨーロッパでの凄惨を極めた地上戦の前線には、その当時、社会的に弱い立場にあったフレンチ系カナディアンや、ネイティブの人々が大量に前線に送られ、多くの人達が命を落とした。(偶然目にしたテレビ中継のセレモニーでも、ネイティブの方が、英語でも、フランス語でもなく、自分達の言葉で祈りを捧げていたのが印象的だった。)Norikoさんの記事にもあったように『アンの娘リラ』は、平和なプリンスエドワードにも容赦なく押し寄せてくる不吉な戦争の影を描いており、シリーズの中でも違った面で、胸に迫る一冊だった。
戦争で、花さく若者達の、青春は灰色になる。
これはどこの国の、どの戦争でも変わらない。
今の、この平和と自由は、ただ単に、当たり前に存在してるものじゃない。
たくさんの人が血を流して
たくさん無念な思いで死んでいって
たくさんやりきれない気持ちで殺していって
または一瞬のうちに大量に殺されて
そういうことがあって存在する「平和」の上に
私達はいるんだってことを 忘れていけないと思う。
私の場合、体験してないから、覚えてないけれど。
それでも、「人」として、同じ過ちを起こさない様に
知らないことを知ろうとすることは重要だと思う。
だから、卑屈になることなく、過去から学んで、
戦争が起きてからのことを考えるんじゃなくって、
戦争がまた再び起こることのないように、どうすればいいかと、
模索していかないといけない。
それは決して簡単なことじゃない。
でも、だからこそ、私は、この映画を作っている、
といっても過言ではない。
(といっても政党や宗教、右左・前後、関係なしに!)
いち、戦争を知らない者として...
また、戦争中、その前後の大変な時代を体験した祖母を持つ者としての、想いです。
退役軍人の方も混じっての撮影風景。英霊達に敬意を表するため、男性スタッフは全員帽子をとるようにいわれました。
同日、シャーロットタウンでは有名な(?)兵士のブロンズの前でも撮影が行なわれた。
P.E.I.政府のウェブサイト24時間リアルタイムの映像でも見える、お馴染みの場所です。
By Takako Miyahira
Photos by Noriko Fujimoto
先週、11月11日は、ちょうど90年前の1918年に第一次世界大戦が終息した日でした。カナダではこの日を第一、第二次、朝鮮戦争の戦没者を慰霊する「Remembrance Day(英霊記念日)」としています。毎年、この時期になると日本の赤い羽募金のように、街中は赤いポピーの花の襟飾りを付けた人々で溢れるので、「ポピーデー」とも呼ばれています。
トップの写真は1994年の英霊記念日のポスター。(Photograph by Master corporal Stephen Roy, Department of National Defense.)
なぜ赤いポピー(芥子)の花なのかというと、第一次大戦に出征したカナダ軍の兵士でモントリオールのマッギル大医学部教授でもあったJohn McCraeという人が、目の前で戦死した同胞を悼んで書いた詩「フランダースの野原にて(In Flanders fields )」から来ています。赤いポピーの花は、ナポレオン戦争の戦場の焼け跡にたくさん咲いた事から、その血のような赤い色と相まって戦死者の魂を象徴する花と言われるようになったようです。
1920年にゲラン婦人という方がフランスで手作りのポピーの花を売って、戦争で破壊された地域の子供達を救う募金を始めた事から、カナダでも翌年から退役軍人協会などが中心になって赤いポピー募金が始まりました。(興味のある方はVeterans Affairs Canadaのサイトなどご覧になって下さい)
以下は有名な「フランダースの野原にて(In Flanders fields )」の詩。フランダースといえば、日本人には「フランダースの犬」で馴染みがありますよね。
In Flanders fields the poppies blow
Between the crosses, row on row,
That mark our place; and in the sky
The larks, still bravely singing, fly
Scarce heard amid the guns below.
We are the dead. Short days ago
We lived, felt dawn, saw sunset glow,
Loved, and were loved, and now we lie
In Flanders fields.
Take up our quarrel with the foe:
To you from failing hands we throw
The torch; be yours to hold it high.
If ye break faith with us who die
We shall not sleep, though poppies grow
In Flanders fields.
第一次世界大戦(1914~18)はモンゴメリ自身の人生や、その作品にも大きな影響を与えています。「アンの娘リラ」(Rilla of Ingleside)では、大戦に人生を翻弄される大人達や兄弟達の様子が、アンの末娘リラの目を通して描かれています。
映画「アンを探して」でも戦争は重要なキーワード。戦争という人類共有の経験が、個人の記憶や付随する様々な装置を介して、まるで一人のキャラクターのように映画の中でしっかりと生きている...そんな事を感じるのです。
Report by Noriko Fujimoto
いつもブログへの訪問、ありがとうございます。
このブログはモントリオール在住のユリ・ヨシムラ・ガニオンプロデューサーと、宮平貴子監督、藤本紀子の3人で執筆しています。
<プロフィール>
ユリ・ヨシムラ・ガニオン(Yuri Yoshimura Gagnon)プロデューサー
初プロデュース作品、クロード・ガニオン監督作の『Keiko』(今年、DVD化も)が、79年日本映画監督協会新人賞を受賞。以来、『ケニー』(87年、モントリオール世界映画祭グランプリ)、91年『ピアニスト』などガニオン作品を中心に26本の映画をプロデュース。国際映画祭で高い評価を受ける骨太な作品を多く世に送り出して来た。07年はC.ガニオン監督作『KAMATAKI(窯焚)』がベルリン映画祭でSpecial Mention award、モントリオール世界映画祭では最多の5冠達成。
『アンを探して』は構想10年の意欲作。
宮平貴子(Takako Miyahira)監督
沖縄、那覇生まれ。
一般映画サークル突貫小僧を経て映画に興味を持ち、大学の友人らと短編映画作りに目覚める。在学時、カナダ在住の映画監督クロード・ガニオンの『リバイバル・ブルース』で1stカメラ助手を担当。一年後、同監督から再び声がかり、モントリオール世界映画祭で最多の5部門受賞した日加共同製作『KAMATAKI』に参加、てんやわんやながら助監督を務める。
また神崎紫峰氏を追ったドキュメンタリー『炎の声』は撮影・編集に参加。膨大なリサーチを自ら行ない「脚本・監督・編集」という姿勢を貫く師ガニオンから多くを学ぶ。『アンを探して』は、『赤毛のアン』がそうであるように、個性的なキャラクターが勢揃いした、宝石箱のような映画。堅苦しいこと抜きで、アン・ファンじゃなくても、楽しめる作品です。と断言します!
藤本紀子(Noriko Fujimoto)脚本協力、リポーター
フリージャーナリスト、ライター、フォトグラファー。昨年まで主にスポーツ紙記者としてメジャーリーグを取材・執筆。野球以外のスポーツ、映画、旅取材も多数。「赤毛のアン」好きな母親の下、幼少から「アン」好き、プリンスエドワード島大好き。
映画「アンを探して」には、脚本の執筆に2004年から参加。PEIロケではリポーター役を仰せつかり、スチール撮影、メイキングビデオの撮影、通訳に、ちょこっと出演も(恥)。撮影現場の楽しさと、自分の未熟さも知る素晴らしい経験を与えられた事に感謝。著書に『ケベック、パフォーミングアーツの未来形』(共著/三元社刊)がある。野球の話をさせると熱く語り出すので注意。笑)
いわれたんもんで心踊らせて封筒をみてみたら。
なんとそれは、モンゴメリーからのラブレター、、、ではもちろんなかったのですが、
モンゴメリーをこよなく愛するトロント在住のYさんからのお手紙でした。
いつもBlogを愛読してるのですが、リアルなお手紙をもらえるなんて、と感動です。
とはいっても、私が書いたつたない手紙に、わざわざお礼の手紙を出して下さったのです。
顛末は、というと...。
愛読しているYさんのBlogでグッとくる企画があったのです。
モンゴメリー研究の第一人者であり、11月に100才の誕生日を迎える
モリー・ギレンさん宛に誕生日のメッセージカードを大募集!というものでした。
実は私も『アンを探して』の構想は、モリーさんの本『赤毛のアンの世界』から多くのヒントを得たので、まだご本人がご健在なのと、愛読してるブロガーさんが直接会いにいけるほどの距離にいらっしゃることに、なんか嬉しくなったのでした。
しかし時間がまたたくまにすぎていき、ハ!書かなきゃ、と思って
あわてて 中原淳一の絵はがき、便箋、封筒をとりだし 100周年記念切手で装いを完璧にした...
わりには、肝心の中身が殴り書きの自分が悲しい、、と思いつつ、いそいそと、送ったのでした。
そんな殴り書きに対して、この達筆。
うーん、この差は...。むにゃむにゃむにゃ...。
ということでトロント在住の方、おたちよりの方は、
ぜひこの『赤毛のアン』展にいくべしー。
お、小ちゃい字でAdmittance is freeって書いてますよ。
う~ん、しかし、手紙ってやはり嬉しいものですね。
さて、手紙ではないですが、今朝も嬉しいことがありました。
久々に沖縄の家族(父・母・弟)とスカイプで話しました。
というか、夜の11時すぎてるはずなのに、
91才になるおばあちゃんまで出てきて、
元気な姿を見せてくれ、ついつい目頭が熱くなりました...
っていうか、恐るべき夜型家庭。
なんでこんな夜まで、家族全員起きてるばー。
と独り言まで沖縄なまりになった、そんな一日でした。
夜間撮影で思い出すのは、クランクアップも迫った29日。闇夜の薮の中の一本道での撮影。照明に照らし出される何本もの蚊柱に唖然とする間も無く、何千、何万という蚊の大群が、丸腰で撮影に掛かり切りの私達に次々と襲いかかった。
クルーの誰かが'Welcome to the Mosquito Heaven(蚊天国にようこそ)'とつぶやいた...。
なんちゃって、いや~、ホントにあの時の蚊はすごかったです。
あんな凶暴で凄まじく飢えた蚊は生まれて初めて。カメラが回っている時は音を立てられない私達は、身動きも出来ず、蚊の絶好の餌食。私はメイキング用のミニDVカメラを手持ちで回していたのですが、蚊除けを全身に塗っても、手の平とか耳の後ろとか、顔や頭の中とかありえないような場所を刺して来るので、もう気が狂いそうでした。ついでにカメラのフレームもぐらぐら..涙)
なんでも蚊は黒いものに寄って来るとか。
カメラ機材とか、黒髪とか大好きらしい...
でも一番大変だったのはキャストでしょう。
特に主演の穂のかは、衣装が膝丈のデニムパンツ。
虫が何より苦手だという彼女は、何度も何度も虫除けを塗り直しながら最後まで頑張り通し、最高の演技を見せてくれました。
この苦しい撮影終了後、宮平監督からクルーの皆に嬉しいプレゼントが。(癒しアイテムということで、想像にお任せ...)
夏のPEIは、とりあえず蚊は居る所にはいっぱいいるようです...。汗)
来年行かれる方、特にアウトドア派には虫除けスプレー、必須ですっ!!
写真・文 藤本紀子
アイスクリームソーシャル (Ice Cream Social)という言葉、ご存知でしょうか?
ヴィクトリア朝時代頃からアメリカ・カナダで盛んになった、主に教会や学校、クラブなど子供や若者が関わる会が催す親睦会の呼び名で、アイスクリームを食べながら和気あいあいするのが特徴の集いです。
子供ならアイスクリームに釣られて参加なんて事もあるでしょうし、もちろん大人だってアイスクリームを食べながらなら、お喋りも弾んで楽しいですよね。
「赤毛のアン」の14章。アンがマリラの紫水晶をなくしたと嘘を付いてまでも行きたがったのが、教会主催のアイスクリームソーシャルです。当時のアイスクリームというのは、それだけ魅惑的なスイーツだったのでしょう。
アンは...words fail me to describe that ice cream. Marilla, I assure you it was sublime.(アイスクリームって言語を絶したものだわ、マリラ。まったく崇高なものね)なんて表現しています。
トップの写真はプリンスエドワード島が誇るアイスクリーム屋さん、COWS ice cream。カウズという名前の通り牛のマークが目印。
カウズは素材の良さを感じさせる美味しさで、旅行雑誌の世界ベスト10アイスクリームにも選ばれているくらい。現代の島でのアイスクリームソーシャルにも、引っ張りだこのアイスクリームです。
残念ながら店舗は島にしか無いので、今の所、島でしか味わえない貴重な味です。
COWSはロゴやイラスト入りのTシャツなどグッズも数多く出していて、島のお土産としても人気です。
映画「アンを探して」とも深~い関わりのあるCOWS Ice Creamです。
詳しくはこちらも参照。
Report by Noriko Fujimoto
美しい砂浜が広がるPEI National Park内のCovehead Harbor周辺での撮影。
ビーチの多いプリンスエドワード島ですが、島出身のクルーに北岸で一番のお薦めを聞くと、大概、ここの名前が出て来ます。
この日、天気は見事に快晴でした。
緊迫した映画の撮影現場であっても、晴れた海辺にいると妙に和んだ気分になるから不思議です。
でもこの絶好の海日和のお天気も、実は光のコントラストが強過ぎて、カメラマン泣かせ。
上からの光が強いと影も強く出てしまい、照明部はヘルプも加わってレフ版立てに忙しそうでした。キャストにとっては、まぶしい日差しは演技の邪魔にもなるでしょうし、日焼けも気になる。快晴の撮影にも色々と苦労があるのでした。
そして観光客も多いナショナルパーク内での撮影なので、一般の方々に迷惑を掛けないような配慮も必要だし、音響部にとっては音のコントロールがしづらい。その上、この日は海上での撮影シーンもあり、安全面でも最大限の注意が必要ということで、大変な一日ではあったのです。
宮平監督にとってもハードな一日だったはず。
でもハードな一日の終盤に差し掛かってのこの笑顔が、この日の撮影の充実度を物語っていたようです。
写真・文 藤本紀子