gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

おカネ  生きるだけで搾取される社会

2023-02-26 20:47:00 | 社会
初めてひとり暮らしをした時びっくりしたこと。

家賃や光熱費ってこんなにお金がかかるの?

田舎で暮らしてた時には、水も燃料もタダでした。湧水と薪。
電気は使ってたけど照明とスマホくらいだったら小さい ソーラーパネルでも賄える。自分はテレビ見ないし。
田舎なら野草や山菜いっぱい生えてる。

戦前はまだ山で暮らしてた人たちがいたそうです。自然の中で。
(今でもいそう、というかいますね。この話はまたいずれ)

自然の恵みの中で生活すれば光熱費はかからない。
土地の所有って概念が発明される前から住んでた人たちにとっては、土地は自然の恵み?神さまからの贈り物?みんなのもの? そんな感じだったのかも。

自然の中で暮らしてた人たちを管理するために戸籍が作られたのかな?
都市部に人々 を集める 理由 もそれ?

役所の除籍、前に 取り寄せた時には江戸時代の人たちのものがあった。
寺の過去帳なんていうのも戸籍みたいなもの。
人々の情報を把握し管理するためのもの。

自然の中にあるものを勝手に所有、独占して価格をつける。
これは搾取。
最初は土地も水も燃料もタダだったはず。

税金っていうのは最初は相互扶助的なものとして集められていたのかもしれない。
でもその規模が拡大するほどに別のことに 使われるようになったのかも。
昔は 篤志家なんて人たちがいたり、良心的な王族や貴族は人々のために支援したりしてたって話もあって。
でも今は逆。
いろんな分野でそんな逆転現象が起きてる。
助け合いや施しから孤立や搾取への逆転。
カネとコネの社会。
おカネは人間を変えてしまう。
おカネがなくなるといい人はいい人でいられなくなったりもする。
カネである程度は人のこころも買える。
カネの切れ目が縁の切れ目、これも事実。
欲と都合で釣られる人たち。
そしてみんな拝金主義者になった。
カネのために家庭から母親を取り上げた。
子どもたちは幼い頃から 集団行動や協調性を学ぶという建前の、従順さを強いられ奴隷としての調教を施され、同調圧に晒されて、枠からはみ出した子は異常扱いされて発達障害にされてしまう。

カネで回る 世の中 。

自分が子どもの頃、みんなわりとビンボーで、お金なんてなくても楽しく遊んでた。
中学生くらいでも山の中で遊んだりしてた。
でも最近 見る子たちは
スマホ持ってないとバカにされたりするらしくて
友達の家に遊びに行く時にはコンビニで自分の食事を買って持ち込んで食べてたりしてた。

これじゃ同じ釜の飯を食べた仲間、なんて感覚はまるで育たないね。
個の尊重なんていうけど、コっていうのは孤立のコなんじゃないの?

そんな傾向は都市部ほど顕著。
都会の人はモノは買って捨てるものだと思ってる人多い 。
田舎の人は作ったり工夫したりするのが上手だし、モノを大切に扱う人多い。
これは実際に見てきたからわかる。

カネカネカネ
生きるだけで搾取 され続ける社会なんて異常 。
おカネを手放せばこころを取り戻せるのかな?

本当に大切なものはね、おカネじゃ買えないんだよ。

おカネなくてもみんなが楽しく暮らせる場所を作りたい。

発泡スチロールから思う

2023-02-26 14:37:00 | 日記
届いた荷物、緩衝材に発泡スチロールがたくさん入ってました。
最近は紙やプチプチが緩衝材に使われていることが多いので久しぶりに見た気がします。
一応調べてみると、こちらの自治体 では発泡スチロールはこわすゴミ に出すことになってます。
リサイクルできそうなのにね。

壊したゴミは埋めてるのかな?

増え続けるゴミ 
なんとかしてほしい。


ゴミっていえば‥
最近
屑鉄屋さんも見なくなった。
ゴミとは 違うかもしれないけど
材木屋さんも見なくなった。
昔は結構いろんなところにあった気がする。
ちり紙交換や竿竹売りも見ないし、食べものの行商なんてずっと見てない。
商店街も過疎化してる。

世の中は変わりゆくって言うけど
不便 だった頃が懐かしかったりする。






食べる、残す、捨てる。  

2023-02-26 10:44:00 | 社会

食べる


飲食によってわたしたちの生命は維持されると言われています。

人間は雑食性なので毒でなければなんでも食べられます、食べようと思えば。

スーパーへ行けばいろんな食べ物が並んでいます。

賞味期限や消費期限が設定されるようになってだいぶ経ちました。

少し過ぎれば食べられないと思い込んで捨ててしまう人たちも少なくないそうです。


食べ物と言われるもの、それは生きものたちです。

どうか無駄にしないでほしいのですね。


少し前にお嫁に行った子が話してました。

嫁ぎ先では食べ物を平気でたくさん食べ残して捨てているから悲しくなる、と。



最近自分は肉や魚が食べられなくなってきました。

主に

食べるのは植物系です。

以前はなんでも食べていたのですが、いろいろ考えるうちに受け付けなくなってきました。

思い起こせば子どもの頃もそうでした。

お菓子とチーズとソーセージとキュウリばっかり食べてました。あとお肉は脂身

だけ。

たぶん赤身は血を感じるので食べられなかったのだと思います。

魚も食べられませんでした。

お魚さんがこっち見てるから怖い、そんなふうに言っていたそうです。


食べ物に対する 心的抵抗感と いうのは、対象が人間に 近いほど大きくなる 、という説がありますが、国や文化、地域などにより差はあると思います。あと宗教も。


トラックで食肉を運んだことがあります。

縦半分に切った大きな牛の半身?をクレーンで釣って積み下ろししてました。

頼まれて鶏を絞めたことがあります。

とても後味が悪く、後悔しました。


小学校で外国人講師の提案で、食肉センターのようなところへ小学生を連れて行き食肉がどのようにして作られるかということを見学させたところ、吐いたり倒れたり、具合の悪くなる子どもたちが出たことにより、問題になったという記事を見ました。


でもね、大切なことだと思うのです。


日本では主に、牛、豚、鳥が食肉とされています。

その生きものたちがどのような環境 で飼育され、どのような経路を辿り店頭に並ぶのか、ということを知れば、食べられなくなる人もあるでしょうし、食べるにしても無闇に無駄にはしなくなると思うのですね。


以前鶏を 飼っていたことがあります。

養鶏場から逃げ出したらしい雌鶏がいたのでウチのニワトリさんたちと一緒の 小屋に入れてみたところ、ウチのニワトリさんたちが産んだ卵を次々と つついて割っていました。

まるで恨みを卵にぶつけているかのように感じてしまいました。

もしかすると、初めて外に出て自由を感じていたのにまた閉じ込められたことへの怒りだったのかもしれません。


わたしが子どもの頃には荷台が檻のようになっているトラックが牛や豚を乗せて国道を走っているのをよく見かけました。

そのトラックの後ろにいると、牛さんや豚さんと目が合うのですね。

泣いてる子たちもいました。

目から涙を流していたんです、本当に。

ニワトリがカゴに詰められていたり、ケージごと運ばれて行くのも見かけました。


そんな様子を見かけなくなってだいぶ経ちます。

隠してしまったんでしょうね。

いろんな理由で。


彼らは生きものです 。

こころも感情も あります。


以前 静岡県焼津 に行った時に 、スーパーにイルカの切り身が並んでいたので驚いたことがあります。

また、捕鯨は日本の文化だなどとも聞きますが、海外からは かなり非難されているそうです、野蛮 だと。

イルカや クジラ などの海獣は精神性の高い生きものだと自分は思っています 。



「いただきます」「 ごちそうさまでした」

単なる習慣で済ませてしまってはいけないのだと思います。

そこに哀れみや慈しみのこころが伴っていたのが本来のこの国の人々の在り方 だったのではないかと思いたいです。