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天国と地獄

2023-02-23 13:54:00 | 社会
先ほど某宗教団体の方が訪問されて、「地獄の法」なるご本を置いていかれました。
いずれ読ませていただくと思います。

自分としては、天国も地獄もなくていいと思っています。
天国や地獄というのは仏教思想やキリスト教思想の中に見られますね、他にもあるのかもしれませんが。

過去に臨死体験をしたことが数回あります。
その時には三途の川なるものは見かけませんでした。
明るい光に満ちた場所で、そこにあるのは意識、それだけでした。
そこに存在する意識体と会話を交わしたのちにこちらの世界へ戻されたのですが、自分の意識が上昇するうちに周囲がとても暗くなってきてそして密度が高まり、とても重く感じたことを覚えています。
上りきってこちらの世界へ戻った時の感覚は、まるで深海から水面へ浮上したような、そんな感じでした。
この世界はとても暗くて重くて密度が高いんですね。
よく死後の世界を見たと言われる方が三途の川やお花畑を見たといいますが、わたしに関してはそれはありませんでした。
明るくて暖かで柔らかい光に満ちたとても居心地の良い場所でした。

わたしの家はといいますか、片方の親の実家は神道だったのですね。
子どもの頃聞かされたのは、「仏教は死んだら天国や地獄へ行くけど、神道は死んだらみんな神さまになるから良い神さまになるか悪い神さまになるかっていうことなんだよ」ということでした。
少し前に某所で見かけた話ですが、寺とは死んだ人を閉じ込める場所だ、とそこでは語られていましたが、もしかするとそうなのかもしれないと少し思いました。

死生観とは民族や土地柄、宗教などにより様々ですが、あえて恐怖を煽ることにはなんらかの良からぬ目的が隠されているのではないかと考えています。

神道の家で育った親は、いつも祝詞?に囲まれて生活していたそうです。
祖父は様々な場面で祝詞?を唱えていたと聞きました。
食事の前には必ず祝詞を奏上していたそうです。恐らく生命をいただくことに対しての供養と生かしていただくことへの感謝などだったのではないかと思うのですが、敬虔なキリスト教信者の方も食前に祈りを捧げるように記憶しています。
原始景教と古神道は似ていると言われます。
いずれもアニミズム的思想に基づくのかもしれないと勝手に思っています。
人間とは生きものたちのいのちをいただくことにより生命を維持させるように作られたことをキリスト教では原罪と呼ぶのだと、そう理解してます。
そして祝詞や祈りの言葉というものは、ある意味では呪文とも言えるのかもしれません。
しかし自分としては、念というか、思いというか、心というものは、その対象へ向けられた時に瞬時に、時間も距離も空間も超えて届くものだと思っているので、あまり形式的なことにとらわれる必要はないと考えてます。

宗教というのはとかく対立を生みがちですね。そのあたりの事情にもわれわれが知らされていないことが隠されているのでしょう。
そして見えない世界を語ることにより恐怖を生み、それが支配に繋がることもあるように思います。
人間を動かすには、欲を煽り恐怖で縛ることがとても効果的なのだと聞きます。
そして、コレを買えばご利益が得られるだとか、信じれば救われるというのも自分には疑問です。
現生利益を謳うにはそれなりの背景というか、裏の仕組みのようなものが絡んでいるのだと思います。
健康ビジネスの「効果には個人差があります」というのと同じで。
特定の者だけに利益を与える、これは差別というか、えこひいきにあたるのではないかと思います。
ましてやひいき対象者の気に入らない相手を無闇に攻撃するなどというのはもってのほかだと。

宗教がどのように発生したのか、そのあたりのことを知ることができれば対立も解消するのかもしれません。

人間が直感を取り戻し、欲と恐怖から解放されれば、そして行きすぎた依存心から脱却出来れば
自分が自分の主人であることができれば
私たちは支配からの自由を得られるのかもしれません。

頭がさっきからボーッとしてますのでまとまらない文章になりました。
死生観や宗教についてはまたいずれ書きます。




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