おカネ
わたしの生まれた家は当時としては大企業と言える規模の会社を営んでいました。
その後色々あり、国税局に入られ倒産し、夜逃げ同然で生家を引っ越しました。
その後父は妨害されながらも再興を試みていました。何度騙されても潰されても立ち上がる強い人でした。
そんな環境で子ども時代を過ごしたので、おカネと人間の関係というのを幼い頃から見てきました。
昨今カネ至上主義者が以前と比べてかなり増えた印象ですが、父の周辺にはわたしが物心ついた頃からそんな人たちがたくさんいました。
おカネがある時にはおべっか&ヨイショの腰巾着たちは、さんざん世話になっておきながらおカネがなくなると見事に掌を返します。
そして悪口三昧です。
そんな人たちは父がまた稼ぎ出すと群がってきてヨイショし始めます。あれほどにディスり倒しておきながら。
父はそんな人たちにも親切でした。
でもまたおカネが無くなってくるとディスり倒されるということの繰り返しで、そんな人たちの中には事業がうまくいっているときでさえその足を引っ張るようなこともしている人もいました。
幼い頃からおカネにまつわる人たちの様子を観察してきた自分なりの結論。
おカネでは心は買えません。
おカネでは健康は買えません。
おカネは人間を愚かにします。
おカネは差別を 生み出します。
おカネは人間を堕落させます。
おカネでは幸せは買えません。
中にはおカネに狂わされない人たちもあるのでしょうが、それは今では僅かな人たちなのだと思います。
わたしの知人は言ってました。
「カネを持つとコジキが群がってくる」
別の知人はこう言ってました。
「おカネがなくなると良い人も良い人でいられなくなる」
陰謀論関係の話も、突き詰めれば首謀者がいかにカネを手に入れるかというところに行き着くのだと思います。
こんなことを書きながら、最近自分はおカネをほしいと思うようになりました。
現行の社会制度の中ではおカネがなければ何もできないから。
社会からはみ出した人たちの居場所 を作ることもできない。
この自己矛盾と葛藤。
おカネなかったら何もできなくて、生きるだけでおカネ搾取される異常な社会。
そこから出るにもおカネが必要‥
嗚呼、ジレンマ‥やるせない‥
例の時期、2000年頃までは結構おカネ持ってたんですが‥見事に潰されてしまいました。あの手この手で。
当時は気づけなかった。
悔しくてたまらない。
そもそも所有なんて概念は過去にはなかったはず。
外からきた人たちが勝手に占領して、土地やそこにあるモノを自分のものだと主張したのが所有の始まりなのかもしれない。奴隷なんていうのも人間を私物化したもの。家畜もそう。
最近はこの辺りでは空き地には入れなくなりました。人様の土地だから入ってはいけないそうです。
ヒトサマって‥ ヒト‥様?
「人間は強者ではあるけれど、この世界の支配者ではない」
最近読み返した本の一節です。
子どもの頃は空き地は 遊び場 でした。
最近外遊びする子どもを見かけないのは遊ぶ場所がないからっていうのも理由 のひとつなのかもしれません。あとはおカネを使う遊びが主流になってるのかも。
自分が子どもの頃‥中学生くらいまではおカネなくても楽しく遊べてました。
おカネなくても楽しく過ごせるような
おカネなくても生きていけるような
そんな場所を作りたい。
本気でそう願ってます。
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