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海水と血液

2023-02-25 00:01:00 | 

海水と血液


輸血はしないほうがいいみたいな話を聞きます。

なんとかウイルス云々以外にも良くない理由があるようです、色々と。


海水を輸血の代わりに使えるという話を最近見かけて、そういえば子どもの頃に読んだ本にも同じ内容が書かれていたことを思い出しました。

海水の 成分というのは、血液の成分に良く似ているそうです。


一体なんのために輸血するの?

海水使えばいいじゃない?



血液検査で調べられる項目にはさまざまなものがあります。

血液型の他に、DNAや遺伝的疾患要素や感染性ウイルス、アレルゲンなどなど他にもあると思います。


でもそれらの結果はこれまで言われてきたようなものではない場合もあります。

ウイルスとされるものが実は隠されているDNA型だったり、アレルゲンとされているものが特定の要素を表すものだったり。


例えば◯◯病を引き起こすとされるウイルスと呼ばれるものが、ある特定のDNA型で、その型を持つ人を対象として◯◯病を発生 させているとしたらどうでしょう?


例えば病気に対する抵抗力が強く、長寿傾向があり、サイキック能力が発現しやすいDNA型があり、それが感染性質を持っていたとしたら‥

その傾向を持つ人々が増えないようにするために「◯◯病を引き起こす感染性ウイルス」であり、「発症すれば◯ぬこともある」ということにしたとすればどうでしょう。

当然キャリアの人は敬遠されます。

子孫を 残しにくくなります。

時に差別の対象となることもあり、酷い弾圧に繋がることもあります。


そしてそのDNA型の根絶のためにメディアを使って そして給付金 で釣って 炙り出しを行なって いるとしたらどうでしょう?


(その昔、九州王朝はこのような血が欲しくて某所から嫁を迎えたという話があります)


作られる病気 という記事にも書きましたが、病気とはそのほとんどが「発明 」されるものなのだと考えています。



血液を 国が集める理由 

血液 だけでなく様々 なデータを集めたがる理由 


管理するため?

支配するため?

他にもあるかもしれません。



輸血は海水で代用できます。

海水は無尽蔵とも言えるほどに海にあります。


献血は一体 なんのために?




人類の 起源がミトコンドリアイブ ではなかったとしたら?

YX以外のDNA型で別のルーツが辿れるとしたら?


わたしたちに知られたくない理由はなんですか?


海洋深層水

2023-02-24 19:56:00 | 

海洋深層水


飲んだことがある方は多いと思います、海洋深層水。

美味しいですよね、まろやかでミネラル豊富らしいし。


汲み上げている場所へ行ったことがあります。

その場所では確か当時は無料だったか、もしくはとても安価で分けていただけるという話だったと思います。


海洋深層水、海から採取しているのに塩分をほとんど感じません。

あの状態で海から汲み上げられています。

塩抜きをしているわけではなくて。


海の底には真水が流れていると聞いたことがあります。

それが部分的なのか全体的なのかは聞き忘れましたが。


そしてそれに関連しそうな話もあります。

わたしは海の近くで生まれたのですが、その付近の海岸の砂浜を少し掘ると真水が出てきます。

1.5から2メートルほどの深さだったでしょうか。

海辺からほんの数メートルの場所で、です。

父が掘って見せてくれました。

そしてそれは珍しいことなのだ、ということを教えてくれました。

「理由 はわからない」と言ってはいましたが、本当は知っていたのかもしれないと今は思ったりもします。


この社会やこの世界にはとても嘘が溢れていると感じていますが、海についてもわたしたちには知らされていないことがたくさんありそうです。

海底の真水の他にも。




オルタナ歴史

2023-02-24 10:42:00 | 歴史に関する考察と妄想

オルタナティブ歴史とは、公式の歴史とは違う説のことを指すようです。

中には捏造される話もあるようですが、以前からムーなどで取り上げられることのある「古史古伝」もそれに該当するのでしょうし、「昔話」や「伝承」にもそういったものが含まれるのだと思います。

広く受け止めれば、各国各地に伝わる「神話」などもそれに当たるのかもしれません。


「歴史とは合意の上に成立する物語である」というようなことを、かのナポレオンが話していたとの話も目にしました。

「歴史とは勝者が作るもの」とはよく聞く話です。


消された歴史、消された真実というものは存在するのだと思います。

事実としてわたしの身近にもその痕跡はあります。

そして現在においても焚書のようなことは水面下にて行われているのだと感じます。


あからさまな捏造については疑問を感じます、が、事実の探究であれば、それは悪くないのではないかと考えます。


これまでのような勝者が作る歴史の中においては、事実や存在を消された側に禍根が、無念さが残るのだと思うのですね。

そして消された過去を知る人たちは現在も存在しているのでしょうし。


消されてしまった事実を残そうとしたのが古史古伝であり、暗号的に事実を残そうとしたのが万葉集だったり記紀だったりするのかもしれません。昔話だとか。

聖書にもそんな傾向を感じます。

しかしそこに残した内容は時の権力者の検閲により限られたものになってしまったのだと思います。


「新事実の発見

などと言われる地味な歴史の塗り替えはこれまでにも行われてきました、少しずつ。

しかしその中にも捏造の上塗りもあるのだと思います。


嘘の上塗り

これは様々な分野において行われているようですが、これ以上嘘を重ねるのはやめてほしいと願っています。


精神性の推移 見聞の範囲ですが

2023-02-23 15:22:00 | 社会
軍歌のCDを買ってしまいました、結構たくさん。
タイトルを眺めていると少し何かが見えてくるような気がします。
視点にオルタナ界隈も含めて。

親が買い与えてくれたレコードやカセットテープは、クラシックや童謡、英語教材、そしてアメリカの映画音楽などでしたので、軍歌はテレビから流れてくるのを聴くくらいだったのですが、子どもの頃から気になってはいました。
軍歌もですが、その時代というものに。

幼い頃は親に連れられてパチンコ屋に行きパチンコを打ったりして遊んでいました。
そこでは軍艦マーチがいつも流れていたことを覚えています。

いわゆる飲み屋というか酒場という場所でバイトした時に、カラオケで軍歌を熱唱するおじさまたちが何人もいて、そこで軍歌を少し覚えました。
数人で肩を組み合唱するお姿は今でも瞼に焼き付いています。

軍歌が流れる時代を生きた人々にとっては様々な思い入れがあるのかもしれません。


以前、尋常小学校の国語と修身の教科書(復刻版)を読んだことがあります。
修身は道徳心を養う内容でした。
戦争礼賛描写について問題とされることがあるようですが、その部分を除けば今の私たちに必要な、今の時代に失われつつある心の在り方を養う内容が多かったように感じました。
国語については高学年の内容が、現在の高校生レベルと言いますか、ともするとそれ以上のレベルなのではないかと思うほどの文章だったことに驚きました。
小学生であの内容であれば、旧制中学や女学校が大学相当と言われるのも納得です。
それも現在の誰でも入れるレベルの大学ではなく。

戦前より教員をされていた方のお話をうかがったことがあります。
とても知性に溢れた、お人柄も立居振る舞いもご立派な方でした。

戦後のこの国の復興を支えてきた方々はあの方のような教員の方によるあのような教育を受けたことにより作られたのだと妙に納得したものです。

自分の周囲を眺めてみても、戦後の教育を受けて育った団塊世代と呼ばれる人たちと、戦前の方々とはその知性や精神性が大きく違うと感じています。
もちろん全ての方ではないでしょう、いつの時代にもいろんな方がいますので。
ですがその子ども世代、団塊ジュニア世代とそれ以前の世代でもやはり精神性が違っているのですね。
集団イジメが蔓延し出したのは団塊ジュニア世代なんです。
自分の知る団塊以前の方々は、弱気を助け強きを挫く、的な精神をお持ちの方が少なくなかったのだと思います。

やはり思うのは、何かの節目ごとに人々の性質が変化してしまうということです。

明治悪が言われますが、悪いばかりではなかったと思うのですね。
教育勅語には現在にこそ必要な内容が書かれていたりもします。
わたしの知る団塊以前の人々は、ご立派な方々が多かったのてす。
社会的地位や財産の有無に関係なく。
周囲に恵まれていたのかもしれませんが。
そんな方々がこの国を支え守ってきてくださったのだと思います。
(平成以前はそれぞれの勢力の人々がわりと自由に活動されていたと聞いたことがあります。日本の良心とも言われることもあるこの国の奥の院が機能していたのかもしれません)

軍歌のCDからそんなことを思い出しました。


天国と地獄

2023-02-23 13:54:00 | 社会
先ほど某宗教団体の方が訪問されて、「地獄の法」なるご本を置いていかれました。
いずれ読ませていただくと思います。

自分としては、天国も地獄もなくていいと思っています。
天国や地獄というのは仏教思想やキリスト教思想の中に見られますね、他にもあるのかもしれませんが。

過去に臨死体験をしたことが数回あります。
その時には三途の川なるものは見かけませんでした。
明るい光に満ちた場所で、そこにあるのは意識、それだけでした。
そこに存在する意識体と会話を交わしたのちにこちらの世界へ戻されたのですが、自分の意識が上昇するうちに周囲がとても暗くなってきてそして密度が高まり、とても重く感じたことを覚えています。
上りきってこちらの世界へ戻った時の感覚は、まるで深海から水面へ浮上したような、そんな感じでした。
この世界はとても暗くて重くて密度が高いんですね。
よく死後の世界を見たと言われる方が三途の川やお花畑を見たといいますが、わたしに関してはそれはありませんでした。
明るくて暖かで柔らかい光に満ちたとても居心地の良い場所でした。

わたしの家はといいますか、片方の親の実家は神道だったのですね。
子どもの頃聞かされたのは、「仏教は死んだら天国や地獄へ行くけど、神道は死んだらみんな神さまになるから良い神さまになるか悪い神さまになるかっていうことなんだよ」ということでした。
少し前に某所で見かけた話ですが、寺とは死んだ人を閉じ込める場所だ、とそこでは語られていましたが、もしかするとそうなのかもしれないと少し思いました。

死生観とは民族や土地柄、宗教などにより様々ですが、あえて恐怖を煽ることにはなんらかの良からぬ目的が隠されているのではないかと考えています。

神道の家で育った親は、いつも祝詞?に囲まれて生活していたそうです。
祖父は様々な場面で祝詞?を唱えていたと聞きました。
食事の前には必ず祝詞を奏上していたそうです。恐らく生命をいただくことに対しての供養と生かしていただくことへの感謝などだったのではないかと思うのですが、敬虔なキリスト教信者の方も食前に祈りを捧げるように記憶しています。
原始景教と古神道は似ていると言われます。
いずれもアニミズム的思想に基づくのかもしれないと勝手に思っています。
人間とは生きものたちのいのちをいただくことにより生命を維持させるように作られたことをキリスト教では原罪と呼ぶのだと、そう理解してます。
そして祝詞や祈りの言葉というものは、ある意味では呪文とも言えるのかもしれません。
しかし自分としては、念というか、思いというか、心というものは、その対象へ向けられた時に瞬時に、時間も距離も空間も超えて届くものだと思っているので、あまり形式的なことにとらわれる必要はないと考えてます。

宗教というのはとかく対立を生みがちですね。そのあたりの事情にもわれわれが知らされていないことが隠されているのでしょう。
そして見えない世界を語ることにより恐怖を生み、それが支配に繋がることもあるように思います。
人間を動かすには、欲を煽り恐怖で縛ることがとても効果的なのだと聞きます。
そして、コレを買えばご利益が得られるだとか、信じれば救われるというのも自分には疑問です。
現生利益を謳うにはそれなりの背景というか、裏の仕組みのようなものが絡んでいるのだと思います。
健康ビジネスの「効果には個人差があります」というのと同じで。
特定の者だけに利益を与える、これは差別というか、えこひいきにあたるのではないかと思います。
ましてやひいき対象者の気に入らない相手を無闇に攻撃するなどというのはもってのほかだと。

宗教がどのように発生したのか、そのあたりのことを知ることができれば対立も解消するのかもしれません。

人間が直感を取り戻し、欲と恐怖から解放されれば、そして行きすぎた依存心から脱却出来れば
自分が自分の主人であることができれば
私たちは支配からの自由を得られるのかもしれません。

頭がさっきからボーッとしてますのでまとまらない文章になりました。
死生観や宗教についてはまたいずれ書きます。