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宗教観、精神、人間性について。長文ですがお読みいただけたら嬉しいです。

2023-05-23 14:11:00 | 精神
宗教について考えることがよくあります。
歴史を見るに、また身近な宗教に関する話を聞くにつけ、宗教とは争いのための道具として利用されてきたのだとつくづく思います。
しかし原初の宗教とはそのようなものではなかったのではないかとも思います。
当初の宗教とは、生きるための知恵だったり、人生を送る上での指針となるべき教えだったのではないかという希望的観測を抱いています。
人間の知らなかった知恵や技術を授けてくれる存在に対する尊崇や畏怖心だったりしたのではないかと。
そしてその存在は目に見える存在だったり見えない存在だったり、多岐にわたるような気がしています。だからこそ様々な神と呼ばれる存在が多数あるのではないかと。

しかしその知恵や技術を授けた対象が必ずしも善良で和平的だったとも限らず‥
中には交戦的だったり支配的だったり、おかしな趣味や嗜好を持つ存在があったりしたのかもしれません。
その崇拝の対象の思想方向性により対立が生まれ、またそれに対抗するために善良でありたい人々は試行錯誤を重ねてきたのかもしれません。
ちなみにこれは多くの一神教において顕著な傾向なのではないかと感じています。
しかし堕落した民主主義は衆愚政治となり得ます。逆に有能な独裁者の方が善政を行うといったこともあったりもするようです。
一神教においても善良な存在はあったのでしょうが、その教義を歪め悪用する人々があるのも事実だと思います。
あるところで、宗教を対立の道具としてきたのはユダヤ人だと話されていましたが、ひとくちにユダヤ人といっても様々な人たちがあったようですし、真実は恐らく巧妙に隠されてしまっているので、なかなか本当のことにたどり着けなくされていそうです。

この対立は恐らく人間が本来持つ超能力的感覚、サイキック能力が封じられた頃からはじまったのではないかという気がしています。封じられたことにより感覚が鈍り、盲目にされてしまったからなのではないかと。
そして超感覚を持つ人々を淘汰してきたという事実もありそうです。
魔女狩りというのもそうかもしれませんが、魔女と呼ばれた対象の繋がる先が必ずしも善良とも限らずまたその魔術を悪用した人たちがいたから善良な人たちまでもが巻き添えになったということもあったのかもしれません。
また中共がチベット人や少数民族らや法輪功の弾圧や民族浄化を行なっているのは超常的なものを否定するためなのかもしれません。
しかし超常的現象を起こすのは必ずしも善良な存在だけではなく、中には悪魔崇拝とも言える人たちもありますし、特定の人たちにだけ利益や便宜を供与する神?もありますし、隠された秘匿技術を悪用して奇跡的現象を起こし、自らを神と名乗る人間どももありますので、その辺りの見極めが困難だったりもします。

現在においても超常現象を起こしたり演出したりして自分たちの勢力下にある人々に対して利益や便宜を与えて信者を獲得しようとする宗教団体もあります。
そして自分たち以外の宗教を邪教だとして排除の対象としていたり。

自分としてはそのような様子は支配の一形態であり、搾取構造の一端に思えてしまいます。この場合の搾取というのは金品のみならずエネルギー的なことも含みます。

「死んだら病気が治った」というような話も聞いたことがありますが、これは死後の魂をその勢力が作る世界の中に閉じ込めようとするものなのではないかと推察しています。なぜなら、そういうことができる存在であれば、死んでからでなくとも、生きている間に同じ現象、病気を治すということができるということを自分は知っているからです。
以前このブログにも書きましたが、前世のカルマというのは嘘です。
われわれに知り得ない見えない攻撃を誤魔化すために作り上げた概念だと自分はかねてより思っています。
治せるものを敢えて治さずに生前苦痛を与え続け、死んでから奇跡を演出して症状を目に見える形で治すということの目的を考えてみた方が良いのではないかと思います。
治す気になればすぐに治せるのです。自分はそんな現象も目の当たりにしたことがあります。
以前からここでもここ以外でも何度も主張していますが、そもそもが病気というもののほとんどが「発明」されたものであり、「作り出された」ものです。
本来人間には外傷しかなく、病気症状というものは様々な外的要素により発症するものです。
エネルギー的なものが関わる場合もあるでしょうが、これも環境により作り出されたものが多くあるのではないかと自分は考えています。例えば組織的に人員を動員して搦手などにより不幸を演出して嫌な感情を誘発するだとか、秘匿技術や霊術的な憑依状態により対象人物の思考や感情に干渉するなどという方法によって。
すでに公表されている技術においても思考や感情などに干渉できることが明らかにされています。

そもそもこれまでの社会が狂っていたのもそんな技術や霊術、組織的な人員動員を行なってきたのが、またそれを行うよう指示してきたのが人格的また精神的に未成熟な存在だったからこそ現在のような惨状を引き起こしたのだと自分は考えます。

現在はこれまでの状況が改善されつつあることを感じてはいますが、まだまだ自分たちの勢力下にある者たちをエコ贔屓する存在が他者を貶め排斥しようとしている現実は目につきます。
集合意識がこの世界に少なからず影響を与えるということを考えれば、少しでも多くの人々を特定の存在に依存させ勢力下や影響下に置くために、敢えて人間の精神を未成熟な状態に保っておこうという意図があるように思えます。

日本人には無宗教と自覚する人たちが多いようですが、その実様々な存在を尊重し敬う気持ちを持つ大らかさと包容力を持つために特定の存在に帰依しないという人々が多いのではないかと思います。
本来の日本人とは宗教は必要がないほどに成熟した人たちだったと聞いたことがあります。
それが全てを受け入れ調和するというanimism的感覚、全ての存在に神を見る、というヤオヨロズノカミという概念なのではないでしょうか。

自分が生まれてたかが数十年の間にこの国の人たちは大きく様変わりしてしまったように感じています。
ここにもここ以外でも何度も書いていることですが、自分が子どもの頃の大人たちには、愛情深く、思慮深く、思いやりがあって親切な、素敵な人たちがたくさんいました。
そんな環境を懐かしむと同時に、優しく成熟した社会を取り戻したいと。そう切に願う毎日です。



海ゆかば

2023-05-23 06:43:00 | 日記
先ほどアップしたブログで、万葉集の時代に文明リセットレベルであろう全世界規模の大規模ジェノサイドがあったと聞いたということを書きました。

それについて思い出したのが、WW2の終戦間際の大本営発表による喜ばざる内容のラジオ放送時には、ニュースと一緒に必ず「海ゆかば」が流されたということです。

「海ゆかば」はもうひとつの国歌と言われる歌なのだそうですが、戦後生まれの私はその事実を大人になるまで知りませんでした。

陸軍中野学校は、終戦間際に開設されたそうです。中野学校では、天皇に忠誠を誓わなくてもいいと言われていたそうで、
それよりも大切なことがあったのだということだったそうです。

社会の裏で起きていること
おおよその察しはつくようになってきましたが、暗号的なことはほとんどわかっていません。
あの時の出来事はあれを示唆していたんだろう、あの時のあの人の言葉はこういう意味だったのか‥
数十年経って初めて気づくことも少なくなくて
まだまだ分からないことがたくさんあって

伝えたくても伝えられない、話したくても話せない理由があったのでしょうね。


ところどころで見かける石像や銅像には、まるで人間そのもののようなリアルなものがたくさんあります。
もしかするとそれらの像は、以前は生きていた人たちだったんじゃないかって感じることがあります。
もしもそうだとすれば‥
そんなものを見せつけられ続ければ
というか、敢えて見せつけることにより黙らせていたのかもしれません。

だから昔を知る人たちの中には口が重い人たちがあったのでしょう。
だからフィクションという魔法の言葉を使って真実を伝えようとしてきたのでしょう。



ほんとうのことが知りたいです。
先人の皆さんがどのようなご苦労をされて、どのような無念さを抱えて生きてきたのかということを。
そしてその思いに報いるために何ができるのかということを。

東方見聞録 

2023-05-23 05:35:00 | 歴史に関する考察と妄想


マルコポーロ東方見聞録
教科書に載っていた記憶があります。

これが書かれたのは元寇の時代のようです。手元にある簡易歴史年表によれば「日本にモンゴル軍が来襲する直前、マルコポーロがフビライハーンと会っていた」とあります。

この本にも興味深い記載がいくつかありますが、今日は日本について書かれた箇所の気になった部分について抜粋して書きます。

抜粋
◎チパング(訳註「日本」の中国音ジーペン・グオの訛り)は東の方、大陸から1500マイルの公海中にある島である。しかもまことに大きな島である。住民は色白で、慇懃、優雅な偶像教徒である。
◎チパング諸島に住む偶像教徒は、マンジやカタイの偶像教徒と同じ宗徒である。そのうえ、よその土地の偶像教徒のように、この島々にも動物の頭—牡牛、豚、犬、羊、などの頭をした偶像がある。ある偶像には顔が四つある。ある偶像には頭が三つあり、ひとつはあたり前の位置に、あとの二つは両肩についている。また四本の手を持った偶像もあらば、十本、あるいは千本の手を持つ偶像もある。
◎この偶像教徒の生活は全く不合理と神がかりのカクテルで、この本に書き留めておくにふさわしからぬほどである。あまりに罪深いことで、キリスト教徒には話することもできない。中略
しかし、これだけはぜひ知っておいてほしいので話すことにする。それはチパング諸島に住む偶像教徒は、自分たちの仲間以外の人間を捉えてくると、その男が身代金を払えない場合には、友人や親戚を残らず招待して、「うちでいっしょに食事をしましょう。」という。そうして捉えた男を◯して、みんな寄り合って◯べるーもちろん料理をしてであるが。彼らときたら、いろいろな食べられる肉の中で人間の◯ほどうまいものはないと心得ている。
以上

他にも日本についてもいろいろ書かれていますが、教科書に載っていたということはどういうことなのか気になるところです。
先日のジパング図版帖はこの本よりも後に書かれたものなのかどうかも気になります。あちらの方が後だとすれば、日本は再発見されたということになってしまいます。
この本については、黄金の国ジパングというイメージが先行しがちですが、それよりもcannibalismの方が強烈な印象です。偶像崇拝はモンタヌスの絵画と重なりますし。

マンジとは寺でしょうか。カタイってなんでしょう?
住民は色白で、慇懃かつ優雅?
なんとなく平安絵巻を連想してしまいました。
そして‥みんなで仲良くcannibalism???

ほかにも突っ込みたい箇所は幾つもありますが‥
しかしこれ以前と思われる万葉集の時代に全世界規模のジェノサイドがあったと聞いていますので、ここに描かれるチパング諸島に住む人々とはそれ以前の日本の住人とは別の人たちである可能性が濃厚だと思わされます。大規模ジェノサイドから生き残った人たちもあったのでしょうが。
(これについてはソラヘ避難した人たちがいたと教えてくれた方がありました。ソラ‥空?宇宙とも書いたりしますね、とここではそう書いておきます。)

あと気になったのは、この本の中ではタルタル人という名前が頻繁に出てきます。これはオルタナ界隈で話題にされていたタルタリアの人たちのことなのかもしれないとも思いました。

文明は過去に何度もリセットされているという話もあります。
神話や叙事詩などで語られるのは文明リセット前の出来事なのかもしれません。




真実の歴史とは 参考資料

2023-05-17 17:11:00 | 歴史に関する考察と妄想

おかしなジパング図版帖






これは面白いです。

想像で書かれたとされていますが、実際にここに描かれているような様子だったのかもしれません。

というかそう思ってます。(全てかどうかはわかりませんが)


日本についての絵や文章が書かれた場所や年代によってテーマの対象とされた人々が別の文化習俗を持つ人々だったり、人種が違ったりしたのではないかと感じます。

人々のほかに、景色や建物の 様子も違っていたりします。


前回のウ◯コについての本もそうだったのですが、この本も読みながら何度も笑ってしまいました。しかもしばらく笑いが止まらなかったりも。


江戸参府とやらが始まってからとそれ以前では描かれる日本の様子は大きく変化したやうに感じます。

しかも江戸城では当時の権力者(将軍)の前でおかしな芸をさせられる様子やそれを不満に感じた様子などが生々しくというか、よく言えば生き生きと説明されていたりもします。


「非常に誇りが高く、物騒な人々である。」

「槍持ちや駕籠かきは、衣服の後ろの裾を非常に高くはしょっているので、自分のしている褌が幾らかは足しになっても、十分には隠す役目を果たさず、下半身を全て露にしているのは、実に笑うべきことである。」

「魚族の多く生息するドニ河」

「比丘尼の僧院はほとんど娼婦街となっている」


まだ半分ほどしか読んでいないのですが、1543年に日本が「発見」されたとあり、紹介されている内容から察するに、時代を下るにつれて不自由度が増し、支配体制が強化 されたような印象を受けます。

また、ヤパン(Japan)の語源は「野蛮」だと匂わせているような描写もありました。

やはり武士というものは言われるような崇高さを持った人々ばかりではなかったのでしょう‥と思わされます。

(八歳で元服して刀を持ち歩いていたという説明もありました)


以前、「阿呆船」という本を紹介していた方がありましたが、それによれば様々な阿呆が大勢ナラゴニアへ向かったとありました。そのナラゴニアは日本の奈良なのではないかと。

関西圏では阿呆という表現がよく使われています。(比して関東圏では莫迦(馬鹿)という表現がされます)

もしかすると過去に関西圏に海外から大勢の阿呆たちが送り込まれたのかもしれないと思うとともに、Japanの語源は野蛮であるというのもあながち的外れではないような気がしなくもありません‥。

ちなみにYahooの語源はヤハウェだという説もあります。

(しかも関西圏では局所的に悪辣な呪術が蔓延している場所もあったりします)


過去のこの国は一体どんな様子だったのか‥

とても気になるところです。

歴史が大きく変えられているということは以前から複数人より聞いています。


最近明治悪ばかりが目につきますが、封建制度の武家社会の方が支配的だったのかもしれないなどと思わされます。


自分が生まれてからこれまで過ごしてきた歴史から見ればごくわずかな時間の流れの中ですら年々人間の精神劣化が進みゆくように感じていましたが、ここに書かれる日本発見から江戸時代までのおよそ300年ほどの経緯においても時を経るにつれて人間の劣化が進んでいるように感じられてなりません。


明治維新というのは最近よく言われるような悪いものだったのでしょうか?疑問に思います。

(維新直後に悪辣勢力により乗っ取りされたということも何度か聞いています)

わたしの知る戦前の教育を受けた方々の中には崇高な精神をお持ちの方が少なくありませんでした。

実際に維新後に水面下に潜んで影の支配層となった、海外悪と繋がった維新以前の権力者たちの中にこの国を劣化させた人々があることは間違いのない事実なのだと思います。(もちろん良識派の人々もあったと思いますが、その中にはまつろわなかったがために潰された人々は少なくなかったと確信しています。)


真実の歴史はとても残酷なものだと聞きました。だから本当のことは知らせないでおこうとしたとも。

しかし隠された、伏せられたことが禍根となり災いを生み、また隠したことにより悪事を増長させてしまったという側面があらことは否めないのではないかと思ったりもします。


やはり思うのは、良いことも悪いことも含めての実績であり歴史なので、不都合なことを隠し取り繕うのはいかがなものかと思います。

特に元の持ち主から盗んだり奪ったりした財や技術を元の持ち主やそのゆかりの人たちを攻撃するために悪用するのは本当にやめてほしいと常々思っています。



作ったもの載せてみます

2023-05-10 12:28:00 | 日記
昨日と今日で作ったものを載せてみます。


こんな感じ。
詰め合わせ的に買った材料使ってます。
レトロな懐かしい感じのデザイン目指してます♪
撮影の腕に問題があるのか‥カメラ機能のせいなのか‥
画像が上手に撮れません。

作ったものがけっこうたまってきたので
もしも身体が回復したらこども食堂の隅っこに作ったもの並べて横に貯金箱置いて値段を決めてもらって作ったもの提供したいって考えたりしてます。
将来したいことの資金の足しにしたいのだけど、そこはお相手の善意に期待して。

以前 無人野菜販売で、知り合いが100円のものを買うのに10円入れて持ち帰ってるのを目撃してしまったのだけど‥
そんなことはないと信じたいかな。
材料費くらいにはなってほしいです。

今のままじゃ家からあまり出られないから早く身体回復したいです。