cafe'の春を告げる草花たち
窓の外のサクランボの花もほとんど咲き終わりを迎え、この雨にジットリと濡れてしまってます。
穏やかな外の様子とラジオからのニュースとのギャップがなんとも言えないです。
大きな荷物を抱えたお客さま、ご来店です。
修業式前の子供達のためのお仕事・・教師の方でした。
地震の当日は丁度帰りの会の時で生徒が下校寸前。何事もなく無事各家庭に返せて良かったと胸をなでおろしていました。
小学生徒を抱えての判断は大変だっただろうと思いました。
あ~お店の灯りが見えて、お店開いていて良かった~ 紅茶ください♪
**温かい紅茶(ディンブラー)をお入れいたしました。
ホットひと息ついて家路へ・・・・
ご来店、ご注文ありがとうございました。
穏やかな外の様子とラジオからのニュースとのギャップがなんとも言えないです。
大きな荷物を抱えたお客さま、ご来店です。
修業式前の子供達のためのお仕事・・教師の方でした。
地震の当日は丁度帰りの会の時で生徒が下校寸前。何事もなく無事各家庭に返せて良かったと胸をなでおろしていました。
小学生徒を抱えての判断は大変だっただろうと思いました。
あ~お店の灯りが見えて、お店開いていて良かった~ 紅茶ください♪
**温かい紅茶(ディンブラー)をお入れいたしました。
ホットひと息ついて家路へ・・・・
ご来店、ご注文ありがとうございました。
<三浦*長井の野菜畑>
この地震の数日後三浦の畑を見に行ってきました。
長井の嘉山さんの畑です。
甘~くて美味しいホーレン草がふかふかの土のところで日向ぼっこして広がっていました。
枯れ草を培養しての土づくりをしている嘉山さんの論理に、出向いた私達は聞き入ってしまい、
その野菜をぜひ皆さんにもわけてあげたくなりました。
嘉山さんもその話にはとても賛同してくれ、今は葉境期で野菜はあまりないのでこれから夏野菜の種を蒔いて作ってくれると言ってくれました。
第一弾、3/27(日)10:00から cafe'ポンタヴェンの庭先で野菜即売をいたします。
■大根、 ■レタス、 ■キャベツ 予定しています。
<ブルーべりの木>
沢山の蕾みをつけていました。
もうすぐ花が咲き、あの紫いろの美味しい実をたわわにつけるんですって!!
7月には収穫できるようですよ。
出番にはもう少し時間がかかりますが。 楽しみです♪
この地震の数日後三浦の畑を見に行ってきました。
長井の嘉山さんの畑です。
甘~くて美味しいホーレン草がふかふかの土のところで日向ぼっこして広がっていました。
枯れ草を培養しての土づくりをしている嘉山さんの論理に、出向いた私達は聞き入ってしまい、
その野菜をぜひ皆さんにもわけてあげたくなりました。
嘉山さんもその話にはとても賛同してくれ、今は葉境期で野菜はあまりないのでこれから夏野菜の種を蒔いて作ってくれると言ってくれました。
第一弾、3/27(日)10:00から cafe'ポンタヴェンの庭先で野菜即売をいたします。
■大根、 ■レタス、 ■キャベツ 予定しています。
<ブルーべりの木>
沢山の蕾みをつけていました。
もうすぐ花が咲き、あの紫いろの美味しい実をたわわにつけるんですって!!
7月には収穫できるようですよ。
出番にはもう少し時間がかかりますが。 楽しみです♪
かなりの寒さと心身と肉体の疲労を感じたので、母に一刻も早く船引町を離れて上京することをススメた。母も同意した。
しかし、交通手段が難しく、弟と私の意見で激しい衝突がありました。
バスでの迎えに行き2~3日かけての無理のない弟の方法と私の西那須野までタクシーで新幹線で東京まで来る方法でした。母の意思は体力には自信がないけれど、頑張るから一刻も早くタクシーで帰りたい。結局母の意を尊重して、一人で東京駅まで頑張ってもらう事になりました。20番ホームで私が迎えました。
リックの中には隣のれい子さんがむすんでくれたおにぎり5個、ポカリスエット、歌舞伎あげお菓子、飴玉、着替え、おむつ、を入れて自称自家用押し車を引いて降りてきました。 “いや~命を拾ってきたよ・・・・”
想像以上の恐怖であった事を察しました。
待合室で背負ってきた、れい子さんのおむすびを出して食べました。
ラップを開けたら福島の空気がそのまま包みこまれていて、冷た~いむすびにビックリしました。。大きくて真っ赤な梅干しの入った冷たいむすびはとても美味しかったです。母を送り出してくれた隣のれい子さん。ごちそうさま。ありがとうございました。
東京が生活の基盤になっている母は福島を離れましたが、叔父、叔母、そして隣のれい子さんは未だ家を離れないでいます。元気でいつもの夏に会えますように
私と弟どちらも親を思う気持ちからの事には間違いないのですが、兄弟の仲を裂くほどの激しい衝突をしてしまった事は、まだ癒えないでいます。
自宅に近付くにつれて、いつもの温和な母の顔になってきたのが救いでした。
いや~東京はあたたかいねェ~
しかし、交通手段が難しく、弟と私の意見で激しい衝突がありました。
バスでの迎えに行き2~3日かけての無理のない弟の方法と私の西那須野までタクシーで新幹線で東京まで来る方法でした。母の意思は体力には自信がないけれど、頑張るから一刻も早くタクシーで帰りたい。結局母の意を尊重して、一人で東京駅まで頑張ってもらう事になりました。20番ホームで私が迎えました。
リックの中には隣のれい子さんがむすんでくれたおにぎり5個、ポカリスエット、歌舞伎あげお菓子、飴玉、着替え、おむつ、を入れて自称自家用押し車を引いて降りてきました。 “いや~命を拾ってきたよ・・・・”
想像以上の恐怖であった事を察しました。
待合室で背負ってきた、れい子さんのおむすびを出して食べました。
ラップを開けたら福島の空気がそのまま包みこまれていて、冷た~いむすびにビックリしました。。大きくて真っ赤な梅干しの入った冷たいむすびはとても美味しかったです。母を送り出してくれた隣のれい子さん。ごちそうさま。ありがとうございました。
東京が生活の基盤になっている母は福島を離れましたが、叔父、叔母、そして隣のれい子さんは未だ家を離れないでいます。元気でいつもの夏に会えますように
私と弟どちらも親を思う気持ちからの事には間違いないのですが、兄弟の仲を裂くほどの激しい衝突をしてしまった事は、まだ癒えないでいます。
自宅に近付くにつれて、いつもの温和な母の顔になってきたのが救いでした。
いや~東京はあたたかいねェ~