入院初日から経鼻経管栄養になりました。嚥下障害がすすんでて、このままでは肺炎をおこす、ということでした。
そういえば、施設にいるときも、時々熱を出すようになってて、食事もなかなか進まなく、刻み食なり、水分にはとろみ剤を使うようになってました。
ノートにメモしてあったので記録として残しておこうかな?です
4月12日入院
差額ベッド代(一日7700円)のある4人部屋・・差額のない4人部屋(ほとんど設備変わらず)は満室だけれど3週間なら、と。
4月20日
せん妄❔が酷く大声を上げたりして同室者に迷惑が掛かるので個室に移動
師長さんからお話・・・こちらの都合で変わっていただくので差額ベッド代はいただきません(ありがたいお話…7700円もなしに)
4月25日
ドクターから2度電話
2度目は「腸が動きが無く、中で壊死してるかも?・・・手術でお腹を開いてみないとわからなく手術をするかどうか考えてほしい」「ただ、人工呼吸器をつけての手術になるので、それが永久的につけた状態になるかも」
夜には「おう吐あり、腹部に遺留とかあるので造影剤を入れてのCTの許可を・・・壊死が確認できた場合手術するか?・・人工呼吸器が外せなくなる可能性がある」
ノンちゃんと以前から人工呼吸器とか延命(口から食べられなくなったら、どうのこうの)しないことに確認を取っていたので、拒否
CTはした。
4月26日
朝、5時にドクターから・・・おう吐と血圧低下で危険な状態・・すぐ来るように
娘家族やノンちゃんの姉妹や姪たちも駆けつけ・・・お昼頃から2時間くらい意識が戻ったので少し話も出来た
(この日から娘とともにほとんど泊まり込み。10日前後)
NOMIと断定された(画像を見せていただくと、腸?のあちらこちら黒くなってて壊死してると…これがどんどん広がる可能性大)
4月27日
ほぼ、一日中意識はあるが朦朧とした感じ。アラートは鳴りっぱなし
「もう嫌だ!死にたい・・」とか叫んだり
4月28日~29日
血圧は少し落ち着いて意識レベルも高いが混濁(1時間くらいしゃべり続けるとか・・)幻視、せん妄がある
4月30日
痰が酷くなってきて舌を出して苦しむことが多くなってきた。頻繁に痰の吸引・・痛くて苦しむ)
(消化器内科のドクターから造影剤を入れてCTする予定と)
ドクター、師長、看護師、と話し合い
★NOMIでもう改善の余地はないので、明日以降の鎮静剤を提案★
非閉塞性腸管虚血という、あまり症例のない病気で手術しても予後不良。しないとほぼ助からない
5月1日
朝、内科のドクター・・鎮静剤投与のことで
夕方、各科のドクターの診察・・・神経内科の所見(痛みがなくなってるので鎮静剤投与はしない)
緩和ケアチームも。
舌が落ちてきてるので、気道確保を試みるも本人の痛みでできなかった。
声帯が両側とも麻痺の状態なので、人工呼吸器(永久になる)をつけないと、呼吸が出来なくなり窒息死する。とのことで、また、鎮静剤投与が浮上。
もう楽にしてあげたい、と申し入れる。
(手や足が蠟のように白くなって冷たくなってる)
5月2日
この日のメモはない・・・少し、いろいろ安定して良くなってきてたのかも
5月3日~5月6日
バイタル、安定。声も少し出てる。
頻繁にあった痰の吸引も時々になった。
顔色がよくなり手足の冷たさも改善
5月8日
4人部屋に戻る
これで、面会も30分に制限される(普通の面会)
個室ではほとんど泊まり込み、いつでも面会出来てたが、それも少し疲れた(回復してきたから言えることで・・贅沢でした)
5月10日
家に帰ってるときにドクターから電話
「貧血が酷いので緊急に輸血の許可を・・」ヘモグロビン5
その他に、左足の付け根の痛みがあり。腸腰筋膿瘍の疑いがあると(これはのちに左足が大きく曲がって拘縮の原因になったような?)
でも、少しづつ、以前に戻ってきてるような・・
5月17日
NOMIはなくなったような(原因がわからないそうで…奇跡?)
ドクターの話では、手術しないで回復した症例は世界的に見ても(大袈裟でなく)ほとんどない事なので奇跡らしい
5月27日
個室から4人部屋に戻った日からまた差額ベッド代がかかるようになってた。
ドクターに「まだまだ、入院が長引くようだったら、差額がない部屋の申し込みしたいけど、まだまだ長くなりそうですか?」
と、相談したら、そのままの部屋で27日から差額無しにしてくれた。
時々、熱を出したりしたけど、転院を検討できるようになり、3件ほど、候補の病院を見学
(転院を打診された)
6月4日
見学してここならと決めた障害者一般病棟のある病院に転院予定だったけれど前日からの高熱で延期
6月17日
数日、落ち着いていたので介護タクシー(酸素ボンベ搭載。。使わなかったけれど)で転院
転院してもうすぐ6か月になりますが・・・すごく元気になってます。
経鼻経管栄養、寝たきり、になってしまいましたが、意識レベルは2~3年前の普通の状態に戻り(せん妄や幻視なし)又、テレビをみたり、ボーズで音楽を聴いたり・・・時々、うまく打てなくて何?という時もありますが、毎日、ラインのやり取りもできるようになりました。
退院するとき、ドクターから「論文で学会に出したいから同意書を・・」と言われ書きました。
担当してくださったドクターは本当に誠実で優しくて、自宅にもよく経過報告をしてくださいました・・・病院もそうでしたが、感謝感謝です。
又、その都度相談に乗ってくれた甥(呼吸器内科医師)にも感謝、すごく、心強かったです。
そういえば、施設にいるときも、時々熱を出すようになってて、食事もなかなか進まなく、刻み食なり、水分にはとろみ剤を使うようになってました。
ノートにメモしてあったので記録として残しておこうかな?です
4月12日入院
差額ベッド代(一日7700円)のある4人部屋・・差額のない4人部屋(ほとんど設備変わらず)は満室だけれど3週間なら、と。
4月20日
せん妄❔が酷く大声を上げたりして同室者に迷惑が掛かるので個室に移動
師長さんからお話・・・こちらの都合で変わっていただくので差額ベッド代はいただきません(ありがたいお話…7700円もなしに)
4月25日
ドクターから2度電話
2度目は「腸が動きが無く、中で壊死してるかも?・・・手術でお腹を開いてみないとわからなく手術をするかどうか考えてほしい」「ただ、人工呼吸器をつけての手術になるので、それが永久的につけた状態になるかも」
夜には「おう吐あり、腹部に遺留とかあるので造影剤を入れてのCTの許可を・・・壊死が確認できた場合手術するか?・・人工呼吸器が外せなくなる可能性がある」
ノンちゃんと以前から人工呼吸器とか延命(口から食べられなくなったら、どうのこうの)しないことに確認を取っていたので、拒否
CTはした。
4月26日
朝、5時にドクターから・・・おう吐と血圧低下で危険な状態・・すぐ来るように
娘家族やノンちゃんの姉妹や姪たちも駆けつけ・・・お昼頃から2時間くらい意識が戻ったので少し話も出来た
(この日から娘とともにほとんど泊まり込み。10日前後)
NOMIと断定された(画像を見せていただくと、腸?のあちらこちら黒くなってて壊死してると…これがどんどん広がる可能性大)
4月27日
ほぼ、一日中意識はあるが朦朧とした感じ。アラートは鳴りっぱなし
「もう嫌だ!死にたい・・」とか叫んだり
4月28日~29日
血圧は少し落ち着いて意識レベルも高いが混濁(1時間くらいしゃべり続けるとか・・)幻視、せん妄がある
4月30日
痰が酷くなってきて舌を出して苦しむことが多くなってきた。頻繁に痰の吸引・・痛くて苦しむ)
(消化器内科のドクターから造影剤を入れてCTする予定と)
ドクター、師長、看護師、と話し合い
★NOMIでもう改善の余地はないので、明日以降の鎮静剤を提案★
非閉塞性腸管虚血という、あまり症例のない病気で手術しても予後不良。しないとほぼ助からない
5月1日
朝、内科のドクター・・鎮静剤投与のことで
夕方、各科のドクターの診察・・・神経内科の所見(痛みがなくなってるので鎮静剤投与はしない)
緩和ケアチームも。
舌が落ちてきてるので、気道確保を試みるも本人の痛みでできなかった。
声帯が両側とも麻痺の状態なので、人工呼吸器(永久になる)をつけないと、呼吸が出来なくなり窒息死する。とのことで、また、鎮静剤投与が浮上。
もう楽にしてあげたい、と申し入れる。
(手や足が蠟のように白くなって冷たくなってる)
5月2日
この日のメモはない・・・少し、いろいろ安定して良くなってきてたのかも
5月3日~5月6日
バイタル、安定。声も少し出てる。
頻繁にあった痰の吸引も時々になった。
顔色がよくなり手足の冷たさも改善
5月8日
4人部屋に戻る
これで、面会も30分に制限される(普通の面会)
個室ではほとんど泊まり込み、いつでも面会出来てたが、それも少し疲れた(回復してきたから言えることで・・贅沢でした)
5月10日
家に帰ってるときにドクターから電話
「貧血が酷いので緊急に輸血の許可を・・」ヘモグロビン5
その他に、左足の付け根の痛みがあり。腸腰筋膿瘍の疑いがあると(これはのちに左足が大きく曲がって拘縮の原因になったような?)
でも、少しづつ、以前に戻ってきてるような・・
5月17日
NOMIはなくなったような(原因がわからないそうで…奇跡?)
ドクターの話では、手術しないで回復した症例は世界的に見ても(大袈裟でなく)ほとんどない事なので奇跡らしい
5月27日
個室から4人部屋に戻った日からまた差額ベッド代がかかるようになってた。
ドクターに「まだまだ、入院が長引くようだったら、差額がない部屋の申し込みしたいけど、まだまだ長くなりそうですか?」
と、相談したら、そのままの部屋で27日から差額無しにしてくれた。
時々、熱を出したりしたけど、転院を検討できるようになり、3件ほど、候補の病院を見学
(転院を打診された)
6月4日
見学してここならと決めた障害者一般病棟のある病院に転院予定だったけれど前日からの高熱で延期
6月17日
数日、落ち着いていたので介護タクシー(酸素ボンベ搭載。。使わなかったけれど)で転院
転院してもうすぐ6か月になりますが・・・すごく元気になってます。
経鼻経管栄養、寝たきり、になってしまいましたが、意識レベルは2~3年前の普通の状態に戻り(せん妄や幻視なし)又、テレビをみたり、ボーズで音楽を聴いたり・・・時々、うまく打てなくて何?という時もありますが、毎日、ラインのやり取りもできるようになりました。
退院するとき、ドクターから「論文で学会に出したいから同意書を・・」と言われ書きました。
担当してくださったドクターは本当に誠実で優しくて、自宅にもよく経過報告をしてくださいました・・・病院もそうでしたが、感謝感謝です。
又、その都度相談に乗ってくれた甥(呼吸器内科医師)にも感謝、すごく、心強かったです。