
4月9日、金曜日。
6時58分。
晴れ。
(前投稿後、眠り込み朝になりました)
(いつもの如く)
良く晴れた空です。
窓を開けると、太陽の温かみがこんな僕にも届きます。
晴れた空と太陽と温かみとで始まる朝は、ありがたいなぁです。
すっかり春になって
お花見ツアーも今年もさせて頂いて、本当にしみじみと、感謝です。
桜は、桃は、深山ツツジは、チューリップは、ヤマブキは、ネモフィラは
その他もろもろエトセトラは
今春も咲いていました。
毎年、お花見ツアーと書いているけれど
実際にツアーに申し込んでいるわけではなくて
車に乗って、桜の咲いている所を
ドライブしながら眺める…というだけの
食事も、車の中で食べる、という毎年恒例のお花見ツアーです。
僕の中で勝手に名付けている、グルッと1周、お花見ドライブです。
こんなご時世なので…というのもあるけど
祖母が生きていた頃は
食事休憩は、道沿いにあるレストランへ入っていたけれど
ここ数年はコンビニやスーパーで何か購入して
桜が見える場所で食べる(車内で)という質素なドライブです。
休憩はあまりとらず
ただただ、春の花を愛でるためのドライブです。
花を愛でるとはいっても運転してますから
フロント硝子から一瞬とか二瞬見える風景を楽しむ、
瞬間的なもので
とにかく、事故には注意しながらです。
田舎道を走るので、あまり車はいないし、渋滞などは皆無なのですけどね。
という、毎年恒例お花見ツアー
行ける度にありがたく
本当の本当にありがとうと思いながらの
枝を気持ち良く伸ばし、のびのびとした桜を眺めます。
町中の桜は毎日眺められるけど(春の間)
ちょっと奥まった方の地
海辺より山辺の方の桜は、なかなか観られないですから
山の中で咲く花を
山の麓の桜を
ドライブしながらだから少し遠くからになるけれど、
花を愛でます。
車から降りられるような状況の場所では
桜の木に触れられるくらい近付くこともあります。
触れることはないですけども。
木に触れるのって人に触れるのと似ている気がして
神社の御神木だとか巨木だとか
触れて木のパワーをいただくとかはしないです。
晩年の父が意識がなくなった時には
1度、地元の巨木に触らせてもらって
“父に生きる力をください”とかね
そんなことをやったことはあるけれど
それ以降はパワーをいただくのはあまりしません。
(その後1,2度あったかもだけど)
御神木や巨木は触れずに、眺めたり拝んだりです。
でも、この時の
生きる力をください、は
父に届いたと
パワーをもらったと信じています。
しばらく、しっかり生きてくれましたから。(大感謝)
最近は、新型コロナの影響で全然遠出はしないから
年に1,2度行っていたパワースポットと言われる神社には
昨年から全然行ってないし
公園などにある巨木も
全然行ってない神社の御神木も
会う機会がない昨今です。
行くのはもっぱら、近所ばかりです。
でも、お花見ツアー(ただの車から愛でるドライブ)は
久しぶりの遠出
いや、遠出とはいっても
グルッと1周しても数時間で帰ってこられるので
遠出??…という感じかもです。
いや、遠出か?いや…わからんです。(・ω・;)(;・ω・)
説明が長いですけども…m(__)m
そんな毎日恒例
おばあちゃん健在な頃から続いている、お花見ツアーです。
美しい桜は、日本の心ですね。
何度も書いてしまうけど
お花見ツアーに行ける度に、心の底から感謝なのです。
歳をとると感謝ばっかりしてしまうもので
最近は、何かする度に感謝してる傾向です。
でも、その逆なことがあると(嫌なことがあると)
何だとう?!コンニャロコノヤロ!全くプンプンだな!
…のような
歳をとるとこうなってしまうのでしょうか。
一人言を小声ではあるけれど、怒りを呟くことがあります。
ものすごく怒れた時のみだけれど
品のない言葉をこっそり発してしまった後は
さすがに少々落ち込みます。
多分、僕の人間としての器が小さいのでしょう。
いい歳になっても未熟者なのだな、僕はまだまだ。(>_<)
という風に
正直にいえば、感謝ばかりの毎日ではないけれど
でも、感謝が多くなってきた気がする
些細なことがありがたく感じる
いい歳になったここのところです。
とりあえず今は
春が来てくれて、暖かくなってくれて
ありがとうです。
まだまだ、まだまだまだまだ、コロナは続きそうだけれど
このままだと数年は右往左往しそうな?気配がするけど
1人1人の意識がどんなに大事かを心に感じながら
毎日、1日1日を送りたいところです。
みんなが無事でありますように。
あたたかくなっても
体には、もろもろ注意して
自分もまわりの人も大事にして
良い日を!
*