平成になって数年が経った頃、宮内庁から、何やら用事があるので皇居へ出向いて欲しいと言ってきた。椅子もテーブルも無い空っぽの部屋へ通されて、落ち着かない気持ちで待っていると、現れたのは東宮大夫と皇太子妃雅子の二人だった。そして、東宮大夫から、皇太子妃が宮中祭祀を執り行いたいので、我が家の宝物を借用したいと一方的に言われ、事前に作成されてあった書面に署名するよう強要された。
我が家の宝物とは、古代中国「周」廟にあった宝物と、それを持って朝鮮半島へ逃れた「斉」王の宝物と、その後、新たに倭遅の地「ヤマト」で造った物とが主である。
「何故、レプリカを使わないのか・・・」 実際に私がそう言ったら、「皇族はレプリカなど使わない」と東宮侍従に言い返された。(それなら、己の所有物を使って、己の先祖を祀って欲しい。他人の物を勝手に使ってくれるな!)
この時のやりとりが、後になって、愛子が殷代の酒器を玩具にして転がした事件や、雅子がまるで西欧の女王のような衣装を着て、斉王の冠を被って見せるなどしたあげく、ついには「親魏倭王」金印を放り投げた一連の事件につながっていく。
私は署名を拒否した。雅子は驚いた様子で言った。「わたくし、困るんです」
自分の要求が拒否されるとは微塵も予想していなかったのだろう、信じられない、とでも言いたげな表情だった。しかし、私のほうも、彼女のその態度から、彼女の思考には彼女の結論しか無いことに気づかされた。同時に、最初からこちらには選択権が無いということも悟った。形式上、訊かれただけなのだ。
この後、私は東宮侍従らによって神経薬剤で盲目にされて、雅子が祭祀を執り行う場に立たされた。文字通り、立たされていただけだ。
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憤慨した私が、宮内庁へ駆け込んで、「それで、結局、どうなったのですか?」と噛み付くと、職員が応えるには「雅子様は只今、記者会見をなさって・・・」いる最中だった。マスコミにいったい何を喋っているのだろう? 「祭祀のことですか?」 すると、「それもあるかと存じます」と職員。多少の罪悪感は持ち合わせているらしい。押し問答の末、私は強引にその記者会見場へ案内してもらった。
雅子は大勢の報道関係者を前に壇上から何か話していたが、後方のドアから入って来た私に気がつくと、抜け目の無い素早さで私を「女性天皇擁立推進者」として紹介した。私は慌てて、それを否定し、おおよそ次の二点を説明した。一つは、皇居や東京国立博物館にある「宝物」について、それらは我が家が継承してきた個人の所有物件であって、宮内庁が吹聴しているような現天皇の先祖を祀るための祭具ではないこと。また、二つめは、皇居で行われている「祭祀」について、私は宮内庁と皇太子妃雅子に「宝物」を勝手に使用された立場であるということ。
それから、私は自分が皇室典範改正論者ではなく、雅子の後援者でもないという釈明のために、もう少し詳しい経緯を付け加えた。
私は盲目で彼女が執行する祭祀に参列させられた後、憤懣やるかたない感情のまま、当人に言った。「あなた、そんなことよりも、他にもっとすべき事があるんじゃないのですか?」 愛子が生まれるより数年前のことである。本来、祭祀をすべき皇后が健在なのに、公務が過密過ぎると不満を漏らしていた皇太子妃がそれを代行する必要はまったく無い。他者の公務を肩代わりするより、己の責務を着実に片づけて行くほうが賢明というものではないか?
すると、彼女はすねたように言った。「産まなければいけません?」
雅子との会話はいつもこういった無意味な論争の入口へ引きずり出される。この時も私は、「産まなくてはいけないのか?」という想定外の質問を投げつけられて、圧倒された。喉が詰まり、頭が混乱し、このまま無言で立ち去ったほうが良策なのか、それとも彼女が私に要求している慰めの言葉か何かを言ってやるべきなのか、判断が付かなかったが、結局、私は最も馬鹿々々しい結論を彼女へ贈った。「皇太子妃になったわけですから、当然のことだと思います」
雅子は不満げにまだ何か言い返したが、後はよく覚えていない。私は彼女の相談相手ではなく、祭祀の苦情を訴えていたのだから。
ところが、その翌年、また東宮御所へ呼び付けられたのだ。雅子は、一気に思想転換をしていた。
「私もあれから考えたのですが、つまり、産んでもいいと・・・」 彼女はここで少し言い淀んでから、「あの、貴女は、女の子でも良いとお考え?」と私に訊いた。女の子でも良いか、とは、すでに女子が生まれることに決まっているのだろうか? それとも、女子が生まれる可能性が高いという意味なのか? 質問したかったが、訊けば自分の立場が危くなるような気がして、私は沈黙した。
二年後、本当に女の子が生まれた。何だか狐につままれたような気分だった。
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・・・以上のような、記者会見場での私の話は、突然、東宮侍従によって遮られた。威圧的な空気を感じて、私が沈黙すると、会見はそこで終了させられ、記者たちは全員、退出して行った。侍従は私だけを引き止めた。「雅子さまがもう少しお話したいとおしゃっていらっしゃいます」 壇上の皇太子妃の形相は、一変していた。雅子は玉座のような大きな背もたれが付いた椅子に座ったまま、私を睨み下ろして、前言を取り消すよう命じた。
しかし、私はまたもや拒絶した。そもそも、彼女が勝手に私を女性天皇擁立推進者とマスコミに紹介したために、私はそれを否定したのであって、私が話したことはすべて事実である。すると、雅子はいつも持っている小型バッグから、おもむろに護身用の銃を取り出し、私の頭部より2メートルくらい離れた位置を狙って、発砲した。実弾だった。ドアへ向って逃げる私の背後で、さらに二発の銃弾が炸裂した。
後で壁を確かめると、3センチほどの凹みが数個できていたが、その日のうちに職員が修繕してしまった。