東宮御所の一室に監禁されていた私は、隙を見ては何度か、廊下への逃走を試みた。しかし、私が椅子から離れるたびに、長テーブルの向う側から、皇太子妃雅子が薬剤銃で撃って来た。一度は、どうにかドアの取手に飛びついて開けることができたのだが、半開きになったドアの隙間に上半身を挟まれた格好で倒れてしまい、また別の時は、廊下まで逃れ出たが、すでに背中を薬剤銃で撃たれていたので急に視界が暗くなり、受付がある玄関まで行き着かなかった。そうして逃げるたびに、視力が落ち、脚が麻痺してくると、さすがの私も憮然となって最初の椅子に戻るよりほか無かった。
断固、許し難い事態だったが、私は白旗を揚げることにした。「そういう薬品は・・・花粉症が酷くなるから、やめて」 花粉症は数年前から私の持病になっていたが、この少々滑稽な病名を口に出すことによって、幾分なりとも暴挙の矛先を逸らしたかった。が、戦勝者である雅子はこれを聞くや大笑いし、その拍子に、神経薬が入った容器を押さえていた指に力が入ったのか、中身の液体がピュッとテーブルの上に飛んだ。私の怒りは爆発し、甲高い声で怒鳴った。
「あなたは、命に別状が無いから撃ってもいいと思っているんでしょうが、薬品なのだから副作用があるに決まっている。神経薬というのは脳神経を麻痺させるのだ。中には、脳梗塞や癌になるものだってある・・・」 まるで薬の効能書きだったが、意外にも、雅子のほうは「癌」という一語に目を輝かせた。
「あなたは、命に別状が無いから撃ってもいいと思っているんでしょうが、薬品なのだから副作用があるに決まっている。神経薬というのは脳神経を麻痺させるのだ。中には、脳梗塞や癌になるものだってある・・・」 まるで薬の効能書きだったが、意外にも、雅子のほうは「癌」という一語に目を輝かせた。
「待って」と、雅子は犬にでも命令するように言い置いて、部屋から出て行った。そして、私が再度、脱出を試みるべきかどうか迷っている間に、大急ぎで戻って来たかと思うと、テーブルの上に六、七本の注射器を並べたのだ。「どれがそうなの?」 注射器の側面に、成分を表す薬剤名が印字されているらしく、「病気の女」は注射器を一本ずつ手に取っては、大声でその英数字を読み上げていった。
私は自分の身に危険が迫ったのを察知して、口を固く閉ざした。どちらにせよ、専門知識が無い私には容器の外形だけで中身を判断することはできない。成分表記らしい英数字にもまったく聞き覚えが無かった。案の定、雅子は疑り深く私を睨みつけて、詰問を繰り返してきたが、知らないものは答えようが無い。すると・・・
ロシアン・ルーレットと言えば、お分かりだろうか?
この精神に異常をきたした女は、侍女に命じて、以前から嫌いだった雑種犬を連れて来させ、テーブルに並べた注射器を片っ端からその犬に打っていったのだ。
「ああ、止めてください」と犬を連れて来た侍女が、私に言った。これもまた異常をきたしているのだろう、私の飼い犬ではないのに。
「・・・可哀想だから、やめなさい」
私が重い口を開くまでの間に、雅子は二本くらい打ったと思う。
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雅子は犬に打った後、残った注射器のうちの一本を、まるでダーツのように私を狙って投げた。長い針が私の胸の上部に深く突き刺さった。「しびれ薬」とも言う神経性の薬剤だった。針を自分で抜こうとしたが、できず、私は意識を失って倒れた。
犬のほうは、2009年に癌で死んだ。
この精神に異常をきたした女は、侍女に命じて、以前から嫌いだった雑種犬を連れて来させ、テーブルに並べた注射器を片っ端からその犬に打っていったのだ。
「ああ、止めてください」と犬を連れて来た侍女が、私に言った。これもまた異常をきたしているのだろう、私の飼い犬ではないのに。
「・・・可哀想だから、やめなさい」
私が重い口を開くまでの間に、雅子は二本くらい打ったと思う。
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雅子は犬に打った後、残った注射器のうちの一本を、まるでダーツのように私を狙って投げた。長い針が私の胸の上部に深く突き刺さった。「しびれ薬」とも言う神経性の薬剤だった。針を自分で抜こうとしたが、できず、私は意識を失って倒れた。
犬のほうは、2009年に癌で死んだ。