昨日は超久しぶりに
近くにある定食屋さんに行った
昭和の香りでいっぱいの
大衆食堂というより
近所の酒好きな人達の集まりどころと言った方が適切!
お昼に行くと
いつ行ったって
一人のおじちゃんがお酒を飲んでいる
しかも同じ席で飲んでいる
という映画とかドラマみたいな
ザ昭和!という食堂。
自分が大学生の頃なんて
夜中の12時位まで
延々と宴!!が続いていた
壁にはられたメニューの多さや
コロコロ変わる気まぐれなところや
メニューに添えられたコメントのユニークさ
マスターによるメニューの字体すら
お店の雰囲気になっていた
前はメニューにないものも作ってくれていたし
次から次へと入る注文を
目の前でチャッチャと調理していくて姿を見ているのも
楽しかったなあ
で
昨日久しぶりに行って
本日のオススメ定食とラーメンをオーダーしたら
「ラーメン辞めたんだよ」とマスター
うわーーーーー!!
とショックも大きかったのだけど
久しぶりに見たマスターは明らかに
以前よりも
小さくなっていて
改めて壁を見てみたら
ラーメンを始め
色々とあった
看板メニューのいくつかが消えていた!!
ここで
ラーメンの思い出とかいくらでも書けるのだけど
お店の看板メニューをなくすってすごい決断だよね
マスターに何があったのか
どんなことをグルグルと考えたのは
わからないけれど
それを辞めてでもお店を続ける
という決断をしたということだよね。
俺の味とか
俺のスタイル
みたいな
マスターのこだわり
は絶対にあって
それがあるからこそ
もう
お一人で何十年も続けてきたのだと思う
でも
そのこだわりを手放したということなんだろう。
此処から先は
もう想像にしかならないので
自分に戻して
自分も考えようによっては、
そういうマスターみたいな方たちと
同じようなこだわりは持っている
でも
そこに縛られすぎてしまうと
とことん時間がかかったり
途方も無いことに手を付けるようなというか
目の前にとてつもない高い壁を作ったり
となって
結局
できなかったり
時間切れになったり
することが多かった。
この間書いた
65%スタイルでやろう😀
というのも
こだわりを手放すということだ
言葉を変えると
自分を許すということだね。
許す
とか
自分を許す
とかの言葉って
何か
「負けました😨 😴 」
というイメージが出てきてしまう
良くないイメージが有るのだけれど
許す を
受け入れると
じゃがいも掘りで自分でも体験したけど
新しい感じ方
ができる世界に入れる
ことは事実だ!!
食堂のマスターにしても
いつからラーメンなどをやめたのかは知らないけれど
今も営業を続けているということは
自分にとってのメリットが多い
のか
楽になった
のか
やっぱしそれまでとは違った感覚の世界で営業できている
ということなのだろうな
許す
許す
自分を許す
昨日も書いたように
頑張る自分をたくさん感じるということでもあるよね
ここまでやらないと頑張ったと言えない
ではなく
これをやったのだから
頑張った😀
と見ていく
これも
結局
許す
ということだね
最近書いてきたり
感じたりしてきたことは
この
許す
に関係している!!
何を許すのか
許す自分を見つけたり
許したらどうなったのかを感じたり
していこう!
ここまで続くと神様からのメッセージですね
と図々しくとらえちゃえ😄