健太郎が帰ってきたのは、去年の八月、岡崎の花火大会の日だった 。
その日の健太郎の Twitter には、親父に俳句を渡した、と書いてある。
病状も良くなかったこの時期、(句集を含めて)仕事に対する気力は十分あったはずだ。逆に自分の体が自由にならないことも理解していたと思う。自覚して父親に渡したのかもしれない。
その時預かった、健太郎が句集にするつもりだと言っていた俳句原稿が今私の手元にある。
第一句集、第二句集と分かれていて、第一句集はほぼチェック済みで、第二句集の方はまだ 集めただけの状態。さてこれをどうするか、悩むところ。
健太郎がいなくなった今、第一句集と第二句集にまとめるより、一冊にまとめて発行するのが妥当かなと思う。
そして一番大きな問題は、天野健太郎の句集として発売してもらえる出版社があるかどうか。
現在出版界において流通させるような句集といえば超有名人か、過去の著名な俳人くらいのもの。自費出版して専門家に謹呈して評価を仰ぐ、のが一般的だと、ある出版社の方が教えてくださった。
まあなんにしても健太郎の俳句を句集として一冊にまとめなくてはならない。電子書籍にするにしても、流通するにしても、自費出版するにしても。
キャッチコピーは…
・四十七歳で亡くなった、台湾翻訳家の天野健太郎が残した句集!!
・角川書店野性時代の俳壇で、昨年5月号で夏井いつき先生が特選に選んだ俳人!!
・川本三郎氏が「天野健太郎を偲ぶ会」で見たいと言った天野健太郎の俳句!!
と、勝手に考えて、勝手に妄想し、勝手に悩む、バカな父親です。
# この使い方がよくわからんね。