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2006年6月15日、お昼を過ぎた頃だろうか...ここはアラスカのデナリ国立公園。マッキンリー山の標高5,900mあたり...フットボールフィールドという雪原...尋常な高度じゃないな。最後のキャンプ(HC,5,200m)から急登のデナリパスを越え、ゆるやかに左上してこの広大な雪原に着いた。文章で読んだイメージよりも小さく、ゆるやかな斜面の谷だった。日差しがきつい。
「長谷川さんを迎えに行くんで、先に言って待ってて」
このメンバーのリーダー永野さんが、遅れている長谷川さんを、ザックを置いて迎えに行く。俺ら3人は、アンザイレン(ロープでつなぎ合う)したまま、この谷を進むことにした。
「あそこ(谷の最下部)は風が強そうなんで、この辺で待ってましょう...」
崎谷さんが、どんどんいきそうな私を止めた。
「そうですね。」
相変わらず、日差しが強くサングラス無しでは目も開けていられないくらいだ。風も穏やかだ。
ザックを置き、休みをとる。みんなだらんとしていて、あまり会話が無い。この高度&気温では、寒さのためかのどの渇きをあまり感じない。ただ、水分を十分に取らないと、脱水による運動能力の低下や高度障害にみまわれる。スポーツ飲料の粉を入れたボトルでのどを潤す。ほぉっと少し活力がもどる。
顔は、頭から首まで覆う目出帽とゴーグル、ニット帽をかぶっているため、誰だかわからない。ただ、思った以上に快適だ。ゴーグルは、日差しと風、寒気から目を守り、防風性の高い目出帽はちゃんと機能していて、あまり寒さを感じない。
30分くらいは待っただろうか...時間の感覚が無く、ただボーーとしていた。永野さんと長谷川さんがゆるやかな丘の上から見えてきた。「がんばるな」、長谷川さんの足どりはフラフラで立っているのもやっとって感じ。そう、ここは標高5,900m、北極圏に近いアラスカでは酸素濃度が薄く、赤道付近の7,000m峰に匹敵する。6つのキャンプで徐々に高度を上げ、高度順応しているとはいえ、この高度で激しい運動はできない。老人の杖のようにピッケルをつき、小さい歩幅でゆっくり登る。
フットボールフィールドにメンバー5名がそろった。リーダーの永野さん、唯一女性の長谷川さん、藤井さん、崎谷さん、そしてサブリーダーの自分。
長谷川さんの疲労が激しく、雪原に立ちつくし頂上付近を見つめてボーっとしてる。
「長谷川さん!あそこに頂上見えてます...行きますか?」
突然、永野さんが強い口調で聞いた。
「男3人と同じペースでは行けないので、私と行くなら行きましょう!」
「私...行きたい!」
このほか、小声でボソッと何か言ったがよく聞こえなかった。この答えは意外だった。アンザイレンしている時、目も前を歩いている長谷川さんはいかにも疲労していて数歩歩いては止まり...とてもここから見えている急登を登ることは不可能に思えたからだ。
「じゃあ、こうしよう」
永野さんの提案で、チームを2つに分けることにした。永野さんと長谷川さん、その他男3名。ロープを切るかどうか、永野さんと相談したが結局切らなかった。
「じゃあ、行けるとこまで行きましょう!」
二人はアンザイレンしないで歩き始めていた。こっちの三人は、ロープを結びなおして荷物を片付け、二人に遅れて出発した。出発した頃には、二人はずうっと向こうに見え、はるか遠くに行ってしまったように思えた。
僕らは快調に進み、10分くらいして二人に追いついた。永野さんの10m後を今にも止まりそうに長谷川さんが歩いてた。ここでの会話の記憶はほとんど無いけど、こんな感じだったと思う。
「登りだけじゃなく、下りもかなり遅くなってる。たとえ、登頂できても下山する時間が無い...かなり高度に順応できていないね」
と、永野さん。「そうか、ムリか...」現状の状態、登頂時間、体力、下山の時間を長谷川さんに説明し、二人は下山することになった。フットボールフィールドのちょうどまんなかあたりだった。
「じゃあ、あとはサブリーダーに任すから、必ず登頂してきて!」
厚い手袋ごしに、ぐっと握手を交わし、
「最後、気合入れていくぞ!!」
うっしゃ、アドレナリンが出た。アンザイレンしている二人も応えるように気合いれた。
「絶対!登頂してきます!」
再び握手し、二人と別れた。「とにかく進むしかない...無事、登頂できるのだろうか?トレースは分かるか?てゆーか、ホント帰れるのだろうか?天気はこのまま持つんだろうか?二人は大丈夫だろうか?」と、いろんな思いがよぎる。
フットボールフィールドから見上げる頂上は、最後の急登”ピッグ・ヒル”を登り、左上する稜線のトレースがはっきり見えていた。「ここまで来たけど、けっこう大変だな...」
先頭が自分でヒルを上り始めた。さすがにキツく5歩歩くたびに呼吸を整えるために立ち止まる。トレースはしっかりしていたが、たまに軟雪を踏み抜くと、ひどく疲れる。30、40分くらい経っただろうか...ヒルを登りきり稜線に着いた。ひどく気分が悪い。
「アンザイレンのロープを引っ張らなきゃ」と思った。急に真っ白になって、気がついたら吐いてた。ショックだった。山登りや運動中にこんな気分悪くなったことにショックだったが、こんな状態で頂上までたどり着けるるのだろうかと。
ヒルを登る間、アンカレッジのサガヤ(スーパーマーケット)で、みんなで買出しした時のことを思い出してた。
---------5月31日(木)---------
アンカレッジのサガヤで永野さんが、
「じゃあ、だいたい食事や日程の説明は終わり...サブリーダーを決めなきゃいけないけど...岡村さんでいいね!?」
続けて、
「もし、リーダーが居なくなったら、全てサブリーダーの指示に従ってください。」
と言われたことを思い出してた。
-----------------------------
自分達はチームで登る。チームの方向性は、リーダーの判断で決まる。チームの強みは、荷物が軽量であったり、仲間と励ましあったり、達成感をみんなで共感したり。
ただ、このチーム編成が諸刃の剣になる。一人が敗退すれば、チーム全員が登頂をあきらめないといけないこともある。特に、BCからHC、HCから山頂までは、チームが別れて行動することは、うちらに限って無い。まあ、みんなの登山レベルが高ければあてはまらないけど。
我に返る。ここは、ピッグヒルを登りきった稜線、おそらく6,100mは越えている。首を2、3回振り、アンザイレンのロープを引き上げる。15分くらいたってヒルを登りきった二人は、とても元気そうだ。
考えた。自分ひとりでここで待って二人だけ頂上に行ってもらうか、三人あきらめるか、三人で登頂するか?
ここで別れるのは、あまりにも危険。天候がこのまま良いとも限らない。頂上まで無事にたどり着けるかもわからない。下山できるかどうかさえ、わからない。。。いろんな不安が頭をよぎる。冷静になるため、少し休憩することにした。
ヒルを登りきった場所は広い場所で、スキー持ったアメリカ人が居た。当然、事情を見ていて、心配そうに聞かれた。
「Are you all right?」
「Hummm...Yes.」
としか、応えられなかった。ロープを引っ張るにしたがって、気分もだいぶ良くなってきて、山頂までの道のりとか、大変さとか聞いたと思う。
「How long dase it take to the summit?」
「There are small three summits, after you will climb small summits, you will get to the summit...Are you all right? Do you need water?」
「Yes. I want」
フットボールフィールド荷物を置いて、空身で来てたので水を持ってなかった。アメリカ人から水を少しもらって、気分がだいぶ良くなった。ただ、異常に呼吸が速い。その時は、考える余裕が無かったが、軽い脱水症状を起こしていたと思う。
いろいろな思いがよぎる。ただ、このチームで決定権を持っているのは自分で、このアタックが、チーム5人全員の気持ちや思いということを考えた。ハラは決まり、行くことにした。出発してすぐに天気が悪くなった。風が吹き始め、ホワイトアウト状態、視界は20m程度。ただ、気温は低くない、まだアラスカ湾の低気圧が、湿った南風を吹かせているな...その時はわりと冷静だった。天気が悪くなってきていたけど、最悪な天気じゃない。
前日の大量の登攀によって、トレースはしっかりしていたが、雪が降り始めたことによって、消えかかってきた。時々、よく分からない場所が出てきたので、みんなにピッケルを雪に挿して、目印を付けるように促した。ただ、そんな目印もホントに雪が降ってきたら、役に立たない。とりあえず、みんなの意識を頂上&下山に向けた。ずっとホワイトアウト状態だったので、稜線上を歩いていても、下が見えず、かえってそれが良かったのかも知れない。稜線はナイフリッジと言っても、傾斜はきつくない。滑落する心配は無いな。
30~40分くらいたっただろうか、三つの小さい頂上を越えた。後少しで着く。アンザイレンの先頭を歩いていたが、崎谷さんに先頭を替わってもらった。
ちょっと小高い丘の向こうに、誰かがいる。棒みたいなものが、いくつかささってた。「着いた...あー疲れたぁ...」本で読んだとおりだった。-頂上に着いたとき、達成感より、ホッとしただけだった-という、文章を思い出した。そのとおりだな。ただ、ホッとした。西洋人(あとでポーランド人と分かる)らしき人が、一人頂上に座ってた。デジカメで写真を撮っていたが、話し掛けて写真を撮ってあげた。
「とりあえず、写真だけとってとっとと下りましょう」
崎谷さんが言った。その通りだな。ホワイトアウト状態で全然見通しが無く、あまり留まりたくない場所だ。みんなでそれぞれ写真を取り合って、下山することにした。そのポーランド人も一緒に下山すると言う。稜線で藤井さんが何度か倒れたので、小休憩することにした。
「だいじょうぶ?ちょっと休もうか?」
藤井さんは、軽くうなずき、先頭を行く崎谷さんを制した。
「ちょっと休もう。藤井さんの調子が悪いみたい。」
休んだ場所は稜線のリッジ上であまり、いい場所とはいえない。ただ、滑落する危険は無いので、少し休んだ。ソロのポーランド人は、けっこうでかいザックを背負っていて、水をもらった。うまかった。1Lのボトルには、甘い紅茶が入っていて二口くらいのんだ。活気が戻ってきた。藤井さんは、メガネが曇って前が見えなくなってたみたい。この高度では曇りがすぐに凍ってしまう。
20分くらい休んだだろうか、崎谷さんを先頭に下山はじめた。稜線はトレースが分かったので、問題なかったが、ピッグヒルを下り始めて、トレースが分からなくなってマイッタ。目印の旗(ワンズ)がほとんど見えないし、トレースも積雪でよく分からなくなった。2時間前には、ばっちり見えていたのに...怖いな。ただ、昨日も同じような状態を経験していたので、案外落ち着いていた。確実にトレースやワンズを見つけて、それをトレースことに専念した。
先頭の崎谷さんも、いろいろ目印を探し回って下山を続けた。ヒルを降りるときに、2パーティくらいすれ違ったと思う。話し掛ける余裕も無く、そのまま下山を続けた。だいぶ傾斜が弱くなって、フットボールフィールドに下りてきたとき、4~5人のパーティとすれ違った。よく聞き取れなかったけど、頂上を目指すかどうか話し合ってたのだと思う。何も言葉を交わさないまま、通り過ぎた。ポーランド人が何度かトレースの方向をアドバイスしてくれた。
ホワイトアウト状態で、荷物をデポった場所が良く分からず、ちょっと探した。やっと見つけて、僕ら4人は少し休みを取った。ポーランド人は、おそらく30代中くらい。がっちりしていて、背はそんなに高くない。終始落ち着いている。
この4人で下山することにした。下山するときに、みんなに説明した。ポーランド人には当然英語で。
「まず、絶対に下山する。これだけは間違いない。ただ、どうしても下山できない時、例えば一人が動けなくなったときや、トレースが完全に分からなくなった時は、ビバークする。幸い、うちらは、スコップ2本とスノーソーを持っているので、そんなに大変ではないだろう。」
ポーランド人も含め、みんな賛同した。気分は最悪で、本当ならその場でビバークしたかったが、全員のために下山すると決めた。わりとワンズをトレースできて、順調に下山していた。ただ、気分は一向に良くならず、アンザイレンしているロープに引っ張られたり、積雪で足をとられ、何度かぶっ倒れて、失神するかと思ったくらいだった。「永野さんたちは、もうHC(ハイキャンプ)まで戻ってるんだろうな...」ここでビバークしたら、すごく心配するんだろうな...そうなったら、明日、探しに来るだろうか...それとも、下山している二人に追いつけるだろうか...
どのくらいたったのだろう、時間の感覚が全然分からないが、ホワイトアウトの先に人が見える。先頭の崎谷さんが何か話していて、その人が永野さんだと分かったときはホッとした。よかった。ホントよかった。登頂したことを告げ、握手を交わした。長谷川さんは雪壁に穴を掘っていた。寒さ対策のため、ビバーク用の穴を掘っていたみたい。いろいろ話した。トレースを見失いそうなこの場所で待っていたこと、逆算して18時頃にはここに着くことを予想していたこと、ロープが無いとデナリパスを下れないこと、全員で下山すること、登頂したこと、気分が悪くなって吐いたこと、など。
再び、メンバー5人とポーランド人がロープでつながった。ポーランド人はハーネスを持っていなかったので、デイジーチェーンで永野さんが簡単なハーネスを作った。ポーランド人と永野さんは始めて会ったので、ジャパニーズプロフェッショナルガイドと説明した。先頭から、永野さん、藤井さん、ポーランド人、オレ、長谷川さん、崎谷さん。
下山し始めたが、いかんせん辛かった。長谷川さんのペースが一定ではなくて、何度も下山を止められた。引っ張っても全然動かず、倒れこむしかなかった。あまりにもキツく、永野さんに弱音を吐いてしまった。
「ちょっと、下山する自信が無いです。3人のときは、けっこういいペースで下りてきたけど、今は...かなりキツイ。ペースが取れず、ぶっ倒れそう...」
アンザイレンの順番を長谷川さんが永野さんのすぐ後ろに代わってもらい、だいぶ楽になった。
デナリパスへの稜線に着いた。ここからは、傾斜のキツイ部分に移行していく。どこから下るかちょっと迷ったが、ポーランド人がしきりに、ここだと言った。彼の言うことが正しかった。ここで下山してきた他の3パーティと会う。慎重に下山した。
ホワイトアウト状態もだんだんよくなって、夕日が綺麗だった。ゆっくり下山しているため、夕日に見入った。
21時頃、デナリパスを下りきった。倒れこんでしばらく動けなかった。1時間くらい休んで、テントまで移動する。
ながいなが~い、1日が終わった。入山して14日目、いろいろあったけど、登頂できてホッとした。ホント、みんな無事でなにより。それが、一番だった。
今日はよく働いたぁ~。寝よ。
「長谷川さんを迎えに行くんで、先に言って待ってて」
このメンバーのリーダー永野さんが、遅れている長谷川さんを、ザックを置いて迎えに行く。俺ら3人は、アンザイレン(ロープでつなぎ合う)したまま、この谷を進むことにした。
「あそこ(谷の最下部)は風が強そうなんで、この辺で待ってましょう...」
崎谷さんが、どんどんいきそうな私を止めた。
「そうですね。」
相変わらず、日差しが強くサングラス無しでは目も開けていられないくらいだ。風も穏やかだ。
ザックを置き、休みをとる。みんなだらんとしていて、あまり会話が無い。この高度&気温では、寒さのためかのどの渇きをあまり感じない。ただ、水分を十分に取らないと、脱水による運動能力の低下や高度障害にみまわれる。スポーツ飲料の粉を入れたボトルでのどを潤す。ほぉっと少し活力がもどる。
顔は、頭から首まで覆う目出帽とゴーグル、ニット帽をかぶっているため、誰だかわからない。ただ、思った以上に快適だ。ゴーグルは、日差しと風、寒気から目を守り、防風性の高い目出帽はちゃんと機能していて、あまり寒さを感じない。
30分くらいは待っただろうか...時間の感覚が無く、ただボーーとしていた。永野さんと長谷川さんがゆるやかな丘の上から見えてきた。「がんばるな」、長谷川さんの足どりはフラフラで立っているのもやっとって感じ。そう、ここは標高5,900m、北極圏に近いアラスカでは酸素濃度が薄く、赤道付近の7,000m峰に匹敵する。6つのキャンプで徐々に高度を上げ、高度順応しているとはいえ、この高度で激しい運動はできない。老人の杖のようにピッケルをつき、小さい歩幅でゆっくり登る。
フットボールフィールドにメンバー5名がそろった。リーダーの永野さん、唯一女性の長谷川さん、藤井さん、崎谷さん、そしてサブリーダーの自分。
長谷川さんの疲労が激しく、雪原に立ちつくし頂上付近を見つめてボーっとしてる。
「長谷川さん!あそこに頂上見えてます...行きますか?」
突然、永野さんが強い口調で聞いた。
「男3人と同じペースでは行けないので、私と行くなら行きましょう!」
「私...行きたい!」
このほか、小声でボソッと何か言ったがよく聞こえなかった。この答えは意外だった。アンザイレンしている時、目も前を歩いている長谷川さんはいかにも疲労していて数歩歩いては止まり...とてもここから見えている急登を登ることは不可能に思えたからだ。
「じゃあ、こうしよう」
永野さんの提案で、チームを2つに分けることにした。永野さんと長谷川さん、その他男3名。ロープを切るかどうか、永野さんと相談したが結局切らなかった。
「じゃあ、行けるとこまで行きましょう!」
二人はアンザイレンしないで歩き始めていた。こっちの三人は、ロープを結びなおして荷物を片付け、二人に遅れて出発した。出発した頃には、二人はずうっと向こうに見え、はるか遠くに行ってしまったように思えた。
僕らは快調に進み、10分くらいして二人に追いついた。永野さんの10m後を今にも止まりそうに長谷川さんが歩いてた。ここでの会話の記憶はほとんど無いけど、こんな感じだったと思う。
「登りだけじゃなく、下りもかなり遅くなってる。たとえ、登頂できても下山する時間が無い...かなり高度に順応できていないね」
と、永野さん。「そうか、ムリか...」現状の状態、登頂時間、体力、下山の時間を長谷川さんに説明し、二人は下山することになった。フットボールフィールドのちょうどまんなかあたりだった。
「じゃあ、あとはサブリーダーに任すから、必ず登頂してきて!」
厚い手袋ごしに、ぐっと握手を交わし、
「最後、気合入れていくぞ!!」
うっしゃ、アドレナリンが出た。アンザイレンしている二人も応えるように気合いれた。
「絶対!登頂してきます!」
再び握手し、二人と別れた。「とにかく進むしかない...無事、登頂できるのだろうか?トレースは分かるか?てゆーか、ホント帰れるのだろうか?天気はこのまま持つんだろうか?二人は大丈夫だろうか?」と、いろんな思いがよぎる。
フットボールフィールドから見上げる頂上は、最後の急登”ピッグ・ヒル”を登り、左上する稜線のトレースがはっきり見えていた。「ここまで来たけど、けっこう大変だな...」
先頭が自分でヒルを上り始めた。さすがにキツく5歩歩くたびに呼吸を整えるために立ち止まる。トレースはしっかりしていたが、たまに軟雪を踏み抜くと、ひどく疲れる。30、40分くらい経っただろうか...ヒルを登りきり稜線に着いた。ひどく気分が悪い。
「アンザイレンのロープを引っ張らなきゃ」と思った。急に真っ白になって、気がついたら吐いてた。ショックだった。山登りや運動中にこんな気分悪くなったことにショックだったが、こんな状態で頂上までたどり着けるるのだろうかと。
ヒルを登る間、アンカレッジのサガヤ(スーパーマーケット)で、みんなで買出しした時のことを思い出してた。
---------5月31日(木)---------
アンカレッジのサガヤで永野さんが、
「じゃあ、だいたい食事や日程の説明は終わり...サブリーダーを決めなきゃいけないけど...岡村さんでいいね!?」
続けて、
「もし、リーダーが居なくなったら、全てサブリーダーの指示に従ってください。」
と言われたことを思い出してた。
-----------------------------
自分達はチームで登る。チームの方向性は、リーダーの判断で決まる。チームの強みは、荷物が軽量であったり、仲間と励ましあったり、達成感をみんなで共感したり。
ただ、このチーム編成が諸刃の剣になる。一人が敗退すれば、チーム全員が登頂をあきらめないといけないこともある。特に、BCからHC、HCから山頂までは、チームが別れて行動することは、うちらに限って無い。まあ、みんなの登山レベルが高ければあてはまらないけど。
我に返る。ここは、ピッグヒルを登りきった稜線、おそらく6,100mは越えている。首を2、3回振り、アンザイレンのロープを引き上げる。15分くらいたってヒルを登りきった二人は、とても元気そうだ。
考えた。自分ひとりでここで待って二人だけ頂上に行ってもらうか、三人あきらめるか、三人で登頂するか?
ここで別れるのは、あまりにも危険。天候がこのまま良いとも限らない。頂上まで無事にたどり着けるかもわからない。下山できるかどうかさえ、わからない。。。いろんな不安が頭をよぎる。冷静になるため、少し休憩することにした。
ヒルを登りきった場所は広い場所で、スキー持ったアメリカ人が居た。当然、事情を見ていて、心配そうに聞かれた。
「Are you all right?」
「Hummm...Yes.」
としか、応えられなかった。ロープを引っ張るにしたがって、気分もだいぶ良くなってきて、山頂までの道のりとか、大変さとか聞いたと思う。
「How long dase it take to the summit?」
「There are small three summits, after you will climb small summits, you will get to the summit...Are you all right? Do you need water?」
「Yes. I want」
フットボールフィールド荷物を置いて、空身で来てたので水を持ってなかった。アメリカ人から水を少しもらって、気分がだいぶ良くなった。ただ、異常に呼吸が速い。その時は、考える余裕が無かったが、軽い脱水症状を起こしていたと思う。
いろいろな思いがよぎる。ただ、このチームで決定権を持っているのは自分で、このアタックが、チーム5人全員の気持ちや思いということを考えた。ハラは決まり、行くことにした。出発してすぐに天気が悪くなった。風が吹き始め、ホワイトアウト状態、視界は20m程度。ただ、気温は低くない、まだアラスカ湾の低気圧が、湿った南風を吹かせているな...その時はわりと冷静だった。天気が悪くなってきていたけど、最悪な天気じゃない。
前日の大量の登攀によって、トレースはしっかりしていたが、雪が降り始めたことによって、消えかかってきた。時々、よく分からない場所が出てきたので、みんなにピッケルを雪に挿して、目印を付けるように促した。ただ、そんな目印もホントに雪が降ってきたら、役に立たない。とりあえず、みんなの意識を頂上&下山に向けた。ずっとホワイトアウト状態だったので、稜線上を歩いていても、下が見えず、かえってそれが良かったのかも知れない。稜線はナイフリッジと言っても、傾斜はきつくない。滑落する心配は無いな。
30~40分くらいたっただろうか、三つの小さい頂上を越えた。後少しで着く。アンザイレンの先頭を歩いていたが、崎谷さんに先頭を替わってもらった。
ちょっと小高い丘の向こうに、誰かがいる。棒みたいなものが、いくつかささってた。「着いた...あー疲れたぁ...」本で読んだとおりだった。-頂上に着いたとき、達成感より、ホッとしただけだった-という、文章を思い出した。そのとおりだな。ただ、ホッとした。西洋人(あとでポーランド人と分かる)らしき人が、一人頂上に座ってた。デジカメで写真を撮っていたが、話し掛けて写真を撮ってあげた。
「とりあえず、写真だけとってとっとと下りましょう」
崎谷さんが言った。その通りだな。ホワイトアウト状態で全然見通しが無く、あまり留まりたくない場所だ。みんなでそれぞれ写真を取り合って、下山することにした。そのポーランド人も一緒に下山すると言う。稜線で藤井さんが何度か倒れたので、小休憩することにした。
「だいじょうぶ?ちょっと休もうか?」
藤井さんは、軽くうなずき、先頭を行く崎谷さんを制した。
「ちょっと休もう。藤井さんの調子が悪いみたい。」
休んだ場所は稜線のリッジ上であまり、いい場所とはいえない。ただ、滑落する危険は無いので、少し休んだ。ソロのポーランド人は、けっこうでかいザックを背負っていて、水をもらった。うまかった。1Lのボトルには、甘い紅茶が入っていて二口くらいのんだ。活気が戻ってきた。藤井さんは、メガネが曇って前が見えなくなってたみたい。この高度では曇りがすぐに凍ってしまう。
20分くらい休んだだろうか、崎谷さんを先頭に下山はじめた。稜線はトレースが分かったので、問題なかったが、ピッグヒルを下り始めて、トレースが分からなくなってマイッタ。目印の旗(ワンズ)がほとんど見えないし、トレースも積雪でよく分からなくなった。2時間前には、ばっちり見えていたのに...怖いな。ただ、昨日も同じような状態を経験していたので、案外落ち着いていた。確実にトレースやワンズを見つけて、それをトレースことに専念した。
先頭の崎谷さんも、いろいろ目印を探し回って下山を続けた。ヒルを降りるときに、2パーティくらいすれ違ったと思う。話し掛ける余裕も無く、そのまま下山を続けた。だいぶ傾斜が弱くなって、フットボールフィールドに下りてきたとき、4~5人のパーティとすれ違った。よく聞き取れなかったけど、頂上を目指すかどうか話し合ってたのだと思う。何も言葉を交わさないまま、通り過ぎた。ポーランド人が何度かトレースの方向をアドバイスしてくれた。
ホワイトアウト状態で、荷物をデポった場所が良く分からず、ちょっと探した。やっと見つけて、僕ら4人は少し休みを取った。ポーランド人は、おそらく30代中くらい。がっちりしていて、背はそんなに高くない。終始落ち着いている。
この4人で下山することにした。下山するときに、みんなに説明した。ポーランド人には当然英語で。
「まず、絶対に下山する。これだけは間違いない。ただ、どうしても下山できない時、例えば一人が動けなくなったときや、トレースが完全に分からなくなった時は、ビバークする。幸い、うちらは、スコップ2本とスノーソーを持っているので、そんなに大変ではないだろう。」
ポーランド人も含め、みんな賛同した。気分は最悪で、本当ならその場でビバークしたかったが、全員のために下山すると決めた。わりとワンズをトレースできて、順調に下山していた。ただ、気分は一向に良くならず、アンザイレンしているロープに引っ張られたり、積雪で足をとられ、何度かぶっ倒れて、失神するかと思ったくらいだった。「永野さんたちは、もうHC(ハイキャンプ)まで戻ってるんだろうな...」ここでビバークしたら、すごく心配するんだろうな...そうなったら、明日、探しに来るだろうか...それとも、下山している二人に追いつけるだろうか...
どのくらいたったのだろう、時間の感覚が全然分からないが、ホワイトアウトの先に人が見える。先頭の崎谷さんが何か話していて、その人が永野さんだと分かったときはホッとした。よかった。ホントよかった。登頂したことを告げ、握手を交わした。長谷川さんは雪壁に穴を掘っていた。寒さ対策のため、ビバーク用の穴を掘っていたみたい。いろいろ話した。トレースを見失いそうなこの場所で待っていたこと、逆算して18時頃にはここに着くことを予想していたこと、ロープが無いとデナリパスを下れないこと、全員で下山すること、登頂したこと、気分が悪くなって吐いたこと、など。
再び、メンバー5人とポーランド人がロープでつながった。ポーランド人はハーネスを持っていなかったので、デイジーチェーンで永野さんが簡単なハーネスを作った。ポーランド人と永野さんは始めて会ったので、ジャパニーズプロフェッショナルガイドと説明した。先頭から、永野さん、藤井さん、ポーランド人、オレ、長谷川さん、崎谷さん。
下山し始めたが、いかんせん辛かった。長谷川さんのペースが一定ではなくて、何度も下山を止められた。引っ張っても全然動かず、倒れこむしかなかった。あまりにもキツく、永野さんに弱音を吐いてしまった。
「ちょっと、下山する自信が無いです。3人のときは、けっこういいペースで下りてきたけど、今は...かなりキツイ。ペースが取れず、ぶっ倒れそう...」
アンザイレンの順番を長谷川さんが永野さんのすぐ後ろに代わってもらい、だいぶ楽になった。
デナリパスへの稜線に着いた。ここからは、傾斜のキツイ部分に移行していく。どこから下るかちょっと迷ったが、ポーランド人がしきりに、ここだと言った。彼の言うことが正しかった。ここで下山してきた他の3パーティと会う。慎重に下山した。
ホワイトアウト状態もだんだんよくなって、夕日が綺麗だった。ゆっくり下山しているため、夕日に見入った。
21時頃、デナリパスを下りきった。倒れこんでしばらく動けなかった。1時間くらい休んで、テントまで移動する。
ながいなが~い、1日が終わった。入山して14日目、いろいろあったけど、登頂できてホッとした。ホント、みんな無事でなにより。それが、一番だった。
今日はよく働いたぁ~。寝よ。