月下の天神崎
早朝の天神崎・・・・満ち潮かな。
多分ここが天神崎のウユニ湖?
里帰り・・・NO2
前回のブログ欄で言いましたが、従姉とその旦那さん二人の初盆のお参りで、母親の3回忌以来
久しぶりの帰省となりました。
その折、天神崎に行って来ました。
元々計画では従弟宅で一泊、天神崎で車中泊としていましたが、生憎天気が悪く、
田辺での滞在は、従弟宅一泊のみで早めに切り上げ、もう一つの目的であった高野辻へ行きました。
さて本日は、車中泊を諦めた天神崎での遠て懐かしい思い出を書き留めたいと思います。
記憶が正しければ、初めて海で泳いだのが天神崎の小さな砂浜でした。
今もその砂地は残ってます。
田辺で海水浴と言えば、扇ヶ浜とそれにつながる海岸線です。
勿論扇ヶ浜でも何度も泳ぎましたが、天神崎の時よりもう少し高学年になってからでした。
父親と遊んだ記憶は少ないのですが、その日は親父の漕ぐ自転車の荷台に乗り連れてもらったのです。
私の実家は農村地帯、子供の足では海まで遠く、近くの川でしか泳いだ事が無かったので、
海水のヌルっとした感触と体が軽くなった記憶が残ってます。
天神崎の印象が強く残った日でした。
余談ですが、大人になってから天神崎で初めて友人のシュノーケルを使ったのですが、
まともに使い方を習わず、息継ぎに失敗した苦い(塩辛い)経験があります。
天神崎での思い出は幾つも有りますが、次は祖父と天神崎での釣りの時です。
この時、私は小学の高学年になっていました。
祖父の釣り竿は竹製(竹竿しかない時代)の3本組、これ一本で農閑期には、磯釣りを楽しんでいたのでしょう。
竹竿と竹籠、その竹籠の中には魚の餌となる酒粕に、何故か大根の葉っぱ、釣った時の魚を一時入れておく、いけす等が入ってました。
それをもって祖父の後をついて歩いて行ったのです。
(大根の葉っぱは、ワカメに似ているので魚が餌と思って釣れる様です)
家からは結構距離はあるのですが頑張って歩きました。
祖父は天神崎の通称牛の鼻とかいう所で釣っていた様に思います。
釣りはじめてどれほど時間が経っていたのかは解らないが、突然祖父が気合を入れて釣り竿を力いっぱい引っ張り上げた所、竿の真ん中付近が折れたのです。
虫に食われていました。
笑いましたし、ビックリポンですね。
残念ながら釣り針には魚はかかってませんでした。
鮮明な記憶として残ってます。
今思えば、祖父は釣れても釣れなくても、孫の楽しそうな顔を見たかったのかも知れません。
さて大人になってからは此処天神崎は私の釣り場になりました。
祖父の後を継いだわけでは有りませんが、この磯場に結構大型のチヌ(クロダイ)が住み着いていました。
釣り方と言えば、生サナギを撒き餌にしてチヌを海面まで誘って釣り上げるのです。
何度か撒き餌をすると、サナギの強烈な匂いにつられ、チヌは波紋を描いて波打ち際の岩礁近くに寄って来るのです。
これを釣り上げるのです。
釣れるのは満ち潮です。
私の場合は、基本はウキもおもりもつけません、針のついたエサを浮かせるのです。
釣り糸は一厘~8毛(細い糸)でした。
これに40cm程のチヌが食らうと長い釣り竿が弓の様にしなるのです。
祖父の時代と違って竿は高性能のグラスファイバー製でチヌ釣専用。
しなる竿、釣り糸が音を立てて流れ出る、チヌと戦いですね。
その醍醐味で暫く病みつきになったものです。
勿論早朝の日の出までが勝負でした。
この時から早起きは得意だったのかも。
さて年頃となれば、夕刻になれば家を飛び出し友人と天神崎で何をする訳でもないのですが
何度か遊びに来ました。
ある日、友人と突堤で寝そべって星空を見上げていたのです。
一人が「何や、あの星?の動きは」
それは天空の彼方でジグザクに動く物体です。
UFO、謎の飛行物体です??????。
間違いなく飛行機の飛び方ではないし、人工衛星の様に直線的でもない・・・・・。
3人の一致した意見でした。
勿論今でも正体不明です。
そして最後は、嬉しいかった時、辛かった時・・・・・一人で色んな感情をもって天神崎に来て
ボーと遠くの海を眺めたものです。
生まれた生家が無くなった今では、いろんな思いの詰まった故郷と思ってます。
正に愛しき天神崎ですね。
さてもう一度行けるかな???。