紀州田辺の天神崎
まるで漫画やゲームの世界、でもこれは現実。震災から4年半、「フクシマ」の今の光景に言葉を失った。
3.11の震災から4年半がたった2015年4月、ポーランド人のジャーナリスト・写真家、アルカディウシュ・ ポドニエシンスキ氏は福島県を訪れ、許可のもと、福島第一原発から20キロ圏内の現状を取材・撮影しました。
彼が帰国後レポートと共に公開した写真には、現在も立入禁止地区に指定されている双葉町、浪江町、
富岡町のゴーストタウン化した街並が映し出されていました。
現在の「フクシマ」の姿を写した彼の写真は、ヨーロッパを中心に海外のメディアで取り上げられています。
除染袋が積み上げられた海沿いや、車が放置されたままの道路が緑に飲み込まれてゆく様子、クモの巣と埃に覆われた商店やレストラン、人がいないのに点灯している街頭など、時が止まってしまったような、しかし同時に長い時間の流れも感じる、物悲しく、不気味で、ふと美しくも見える情景が世界に衝撃を与えています。
まるで映画、ゲーム、漫画の世界を彷彿させる立入禁止区域へ、一歩足を踏み入れてみましょう。
しかしこれらは嘘でもファンタジーでもない「現実」を捉えた写真だということを、忘れないでください。
1. 山積みにされた除染袋、上空から
2. このような場所が何千カ所もある
3. 雑草に覆われたアスファルトの道
4. バイク
5. テレビ
6. ゴーカート場
7. 学校の教室
8. メッセージが残された黒板
9. 体育館
10. 本屋
11. 食器が並んだまま
12. パチンコ屋
13. 小銭がそのまま
14. スーパー
15. 天窓からの明かりでクモの巣が浮かび上がる
16. フードコート
17. 地震によってできた地面の亀裂
18. 緑に飲み込まれる車
19. 持ち主の許可がないと動かせないのだとか
20. 上空から
21. 持ち主の方々は今どこに
22. 双葉町の看板の下に立つポドニエシンスキ氏
23. 今も街頭に明かりが灯る浪江町
廃墟と化した街が自然に飲み込まれていく様子を見て、あなたは何を感じたでしょうか。
たった4年、されど4年。あの日感じた凄まじい振動、想像を超える自然の破壊力と再生力、唯一の原爆被爆国で起きた原発事故、
人間が自ら作った原子力が引き起こした多大なる被害、放射能の恐ろしさ、避難を余儀なくされた人々の現在も続く非難生活…。
写真を見ていると、様々なことが頭を駆け巡ります。
世界に再び衝撃を与えた「フクシマ」の写真に、あなたも心を動かされたなら、シェアしてください。
現状を知ること、そして伝え続けていくこと、大切だと思います。
私心
4年前のあのすさまじい光景は誰もが忘れる事が出来ないでしょう。
多くの人は再起を期して故郷で頑張られています・・・・・・・が、気の毒なのが福島ですね。
原発が有っただけで故郷を失くしてしまったのです。
ところで私の故郷は紀州田辺です。
私が中核生の頃の教科書で、原発は安全だ、しかも今では動かないもんじゅですが、
夢の原発なんて教えられた記憶が有ります。
紀州は皆様もご存じ南海トラフで何時大地震が起きても不思議でない地域です。
私が20代の頃、関電による紀州の海岸線に何カ所か【多分4カ所ほど】候補地が有りました。
全国各地にある所と同様に過疎化が進んでいる地域です。
当時測量事務所に勤めていましたのでその候補地の一つを簡易測量した事が有ります。
そこには原発反対の看板有りました。【今思えば看板を建てられた方々が正しかったと思っています】
当時、原発は安全と信じ込んでいましたので、そんなに反対する事も無かろうになんて思っていた時代でした。
その後、どの様ないきさつが有ったのかは知りませんが、多分地質調査で活断層が有ったのでしょう【推察】
お陰様で紀州の海岸線には原発は一基も有りません。
御坊市の日高川河口に火力発電が建設されました。
万一、不幸に大震災が起きても原発が無ければ自然は残り、人は住めます。
経済を優先するのも時の政治が決める事ですが、
日本がそして我が故郷が、今の福島の様にしてはいけない、ならない事を願う今日この頃です。