国見ヒュッテから散居村の朝焼け
旧知の死
先日新聞のお悔やみ欄に旧知の名前が載っていました。
亡くなっていたのです。
さて彼とは私が石川県に来て知ったのですが、彼の妻と私の妻が親戚であった事がきっかけでした。
当時彼は父親から家業を引き継いで、商店を経営していました。
聞けば、彼の実家は当地の旧家で資産家でした。
私は石川県に来て間もない時ですから知り合いが全くいませんでした。
その彼との関係をもう少し詳しく言えば、私と私は同年であり、妻同士も同年、そしてお互い当時子供3人がいて、夫々性別は異なっても3人とも同級生でありました。
この様な関係もあってかお互い親しみを感じ、家族同士の付き合いが始まったのです。
さてしばらくはお互い平穏に過ごし、私も彼の職場を度々訪問し世間話をしていました。
彼は物静か性格で私とは異なっていましたが、お互い友人が少ない事から何がしかひかれる物が有りました、
又、私が独立開業する時、銀行を紹介して頂き親密度は大きくなりました。
ところがこの関係は彼の大切な奥さんが病気で亡くなってから少しずつ変化、さらに追い打ちをかけるかの様に、最も頼りにしていた長女が奥さん同様の病を発症し亡くなったのです。本当に不幸な出来事でした。
妻を亡くしてようやく立ち直れていたかのように見えた矢先だったと思います。
そのショックは私には想像しがたく、大変大きかったと思います。
娘さんに事業を譲る予定たったのですからから、その心中察し余るものが有ります。
当たり前ですが、彼は愛娘を亡くしてからさらに心身共に激変した様に思います。
彼の言動から事業は勿論生きる事さえ気力が失せたかのように見えました。
私も訪問することすら気が引け、いつしか疎遠になりました。
その彼が自宅もお店も処分、彼の姿は私の前から消えたのです。
当然私たちの関係もすっかり消えました。
その彼が先日の新盤でお悔やみ欄に載って初めてなくなっていたことを知った訳です。
聞けば自室には亡くなられた奥さんの写真が沢山飾られていた様です。
私の勝手な思いですが、彼は自らの意思で世間との関係を断ち生きる事の執着を断ち切っていたのでは・・・・・・。
石川県に来てかれこれ37年程経ちましたが、私も74歳、丁度人生の半分を此方でお世話に成っているのですが、彼を知ったのも37年前。
この間私は、小さな事業を創業し多くの人と知り合う事になりましたが、また一人の知り合いが姿を消した事、とくに彼の死は世のはかなさを感じさせられた僅か数行の小さな新聞記事となりました。