そしてお互いに全力を出しつくしての結果、勝者、敗者共にスポーツマンの爽やかさが目に残りました。
ボクシングは拳で相手をどつき、倒すか倒されるかの厳しいスポーツです。
それだけ余計に戦い終わった後、両者の姿勢に救われた気持ちに成りました。
素直、謙虚さが若い彼らに有りました。
これも日頃の厳しい鍛錬に耐える精神と肉体のなせる事かも知れません。
さて今朝はややテンションが高ぶっています。
それは、
田舎の友人でも有り私が此方に来る前に勤めていました同僚達で男性3人に女性1名の
4名が今日の午後に来る予定に成っています。
今夜は辰口町の温泉宿で旬の蟹を頂きながら酒を酌み交わし積もる話しですね。
振り返れば月日の経つのは早いです。
「光陰矢の如く」この年と成れば全くその通りに思います。
38歳で測量設計事務所を退社し此方でお世話に成っています。
若かりし頃、20代を思い起こせば、
田中角栄元首相の列島改造論に始まり、それ以降、田舎でも軒並みに地価は値上がり、
それにリゾートマンションが林立し仕事は忙しかったですね。
土地であれば何処でも値が上がったのです。
私の先輩の話しですが、
測量事務所を開設して数年後【35~40年ほど前】なんと札束を山積みしてボーナスを
夫々に別けたとの事です。
その様な時代の中ですから可笑しい依頼が有っても不思議では無かったのです。
測量図面から図面に書かれた場所を特定する様に・・・・・これは大阪の方からの依頼でした。
それで、太平洋の見える温泉町から外れた海岸線の雑木林を分け入った事が有りました。
図面には道路も有り区画されているのですが、現場はどうにか人一人歩ける程度でしかも潅木が山道に覆いかぶさっているのです。
都会では土地価格の上昇はすさまじく依頼された方は机上【図面上】での計画図に基いて現場は見る事も無かったのでしょう。
なんと言っても大阪の地価に比べて、和歌山でしかも猪か猿が出没する土地ですから元々が安い。
大阪の人にしては屁みたいな値段であったのでしょう。
それでも、私共が思う価格【現場を見れば誰も買わない山林?】のウン十倍で取引されていたのです。
それに場所も確認しないで・・・・・・今思えばおおらかな取引?
お金の有り難さを忘れた時代でした。
もっとも皆様もご存知の通り、その後にバブルがはじけ、全てはあぶくの如くですね。
経済が右肩上がりの時代に、汗を流して測量現場を飛び跳ねた同僚達です。
私を何かと気にかけ育ててくれた当時の社長は数年前に亡くなりましたが、同僚は退社後も折につけ、田舎で取れた果物を送って頂いたり、又此方かも送ったりしている間柄です。
じっくり酒を酌み交わすのは退社後初めての事で心は朝から少々高ぶっています。
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