2021/5/13(木) 晴/曇
昨日は雨で、一昨日は黄砂でステイホームしていたので、今日こそは・・・と午前10時からポタリングに出る。目的は、フードパルのバラの花を見てから、南関町坂下阿蘇神社の町指定文化財三重塔(助継塔)を観て、後は流れで・・・。
フードパルを一回りして、再度熊鹿ロードに戻り南関町を目指す。
南関町坂下阿蘇神社(写真15参照)に着く。
由緒書(写真16参照)によると、長徳元(995)年阿蘇一の宮を勧請されたとある。
目的の三重塔(写真17参照)は、社殿右側にある。
標柱後に説明書(写真18参照)がある。「作者の藤原助継は、南北朝時代に筑後、肥後で活躍した石工で、その作品の多くが国・県指定文化財となっている。南北朝時代1356年」とある。
その後、南関町関町を目指し県道4を北進するが、国道443に出た辺りで14時を確認し、帰宅を考慮し帰途に就く。
途中、県道315を通り、蛇田眼鏡橋を観る。帰宅は17時、今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)40km→南関第三小学校35km→熊本(自宅)
所要時間7時間(実6時間) 総計75km 走行累計40,710km
坂下阿蘇神社狛犬
2021/4/14(水) 曇/晴
今日は、10時出発、気温15°最高気温予想18°薄曇りだが降水確率0%と絶好のポタリング日和に、目的地は無謀にも柳川市中山熊野神社の大藤として出かける。
ルートは、県道3を選択する。菊池川を渡る辺りで正午のチャイムを聞く。距離を調べると目的地までは、未だ半分所である。
休息無しで走っても到着は14時頃、直ぐ引き返し休息無しで走らなければ18時には帰宅出来ないので、早々に諦めて坂下阿蘇神社(写真1参照)に立ち寄る。
目的は、楼門内の町指定の狛犬(写真2参照)を見ること。
標柱後ろの説明文には「十四世紀から十五世紀ころに製作されたもので、県内では最古級。全国的にも室町時代の石造狛犬は数が少なく、貴重な文化財である。」とある。
阿形像の狛犬(写真3参照)。
格子があって、カメラ位置が自由にならないので、下から全身、上から顔だけとなった。
同じく顔(写真4参照)
吽形像の狛犬(写真5参照)
同じく顔(写真6参照)
坂下阿蘇神社を後にして、来光寺の五輪塔に移動する。
南関町坂下阿蘇神社・坂下城跡
2019/6/3(月) 曇今日の天候は、曇、降水確率20%予報。午前9時出発。
今、伊藤雅文著「邪馬台国は熊本にあった!」を読んでいる。
それによれば、邪馬台国の中心集落を山鹿市方保田東原遺跡辺りとしている。
いつの頃の名称か分からないが、その辺りに「大道」「中村」という字名がある。
そして、魏の使者は南関を通ったであろうとしている。
このルートは、江戸時代は「豊前街道」として基幹道路であった。
3世紀の古いことではあるが、今現在にその雰囲気を残すものはないかと南関町から豊前街道と並行している国道443を東進して山鹿市に至るルートを走ってみようと出かけた。
熊鹿ロードを北進して、山本橋から県道3に左折して北進する。
和水町江田を過ぎ、南関町坂下で坂下阿蘇神社(写真1参照)に立ち寄る。
拝殿(写真2参照)唐破風の飾りが特徴的で美しい。
拝殿左手に「坂下城跡」の標柱(写真3参照)が見えた。
早速登ってみることにする。城跡まで250mとある。
杉林の中(写真4参照)を登る。正面の高まりが山頂のようだ。
山頂城跡に簡単な説明板(写真5参照)がある。
中世の城跡のようだ。臼間野太郎善郷が築城したとある。
天正15年(1587)落城とあるので、肥後国衆一揆での落城であろうと思う。
坂下城跡を後にして、豊前街道跡水府宮に移動する。
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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