2021/12/14(火) 晴/曇
今日は、最高気温予報13°の曇ったり晴れたりの天気だが、自転車に跨れば体は暖かくなると期待して午後0時半からポタリングに出る。
目的地は、「海苔の糸状体の発見者ドゥルー女史記念碑」がある、また、4時間で往復できる所として、宇土市住吉自然公園とする。
国道501奥古閑町の天明新川の手前田圃に、「てんめい案山子まつり」の案山子(写真1参照)が展示してある。
左側にバレーボールをしている案山子、中央に馬跳び遊びの案山子、右に側転?をしている案山子と、なかなかの傑作揃いと立ち止まる。
子ども頃、「馬跳び遊び」をしていて重症のけが人を出し、遊びを禁止された思い出がある。
国道501平木橋を渡り、走潟小学校の信号で右折し、次郎兵衛橋を渡り、田圃の中を走り、住吉神社鳥居(写真2参照)に出る。
住吉自然公園に到着し北側に廻ると、たはれ(風流)島が見える。北からの参道入り口に、案内板(写真4参照)がある。
中腹に灯台(写真5参照)がある。
住吉灯台の由来書(写真6参照)には、「住吉灯台は、肥後細川藩六代藩主細川宜紀が江戸参勤の為山口県周防灘を航行中に暴風雨に逢い、住吉神社を遙拝して難を免れたお礼に、享保九年(1724年)この地に高灯籠を寄進したのが始まりといわれております。
この高灯籠は、高さ約一〇メートルの石積みの上に引きの強い和紙で囲いをして、その中で胡麻油を燃やしてもので、その胡麻油は藩より支給されていました。長い年月毎晩御神灯として点火され航海の目印となっておりましたが、廃藩によって胡麻油の支給がなくなり火は消え、明治の初期に石積みが破損したため取り壊しとなりました。昭和八年にコンクリート造りの高さが地上二二、一メートル(地上から灯火中心まで二〇、〇メートル)の灯台が建設され、その後昭和六〇年一二月に現在の灯台に改築されました。高さは、一七、〇メートル(地上から灯心まで一六、六メートル)で平均水面から三九、七メートルに灯火があります。
灯台がある小高い山頂の住吉神社は、肥後の国司であった菊池則隆が海上安全の祈願所として、摂津住吉宮に詣でて大神の分霊を奉り建立されました。有明海から緑川を通り熊本に入る上での玄関口として、この地は海上航路の要衝であったことが偲ばれます。宇土市商工観光課」とある。
灯台の西側に海苔の「糸状体の発見者ドゥルー女史記念碑」(写真7参照)がある。
説明盤(写真8参照)には、「ドゥルー女史(ベーカー教授夫人)は、英国一流の海藻学者で、紅藻類の生活史に関する幾多のすぐれた業績があり一九四九(昭和24)年にはのりのコンコセリス世代(糸状体)を発見した。以来我が国ののり生活史の研究が進み、一九五三(昭和28)年熊本県水産試験場鏡分場太田扶桑男技師によって、のりの人口採苗ができた。わが国ののり養殖事業はドゥルー女史の糸状体発見を土台とする人口採苗技術の発達によって今日の隆盛を見るに至った。女子は実にわがのり業界の恩人と称すべく、その功績を讃え遺徳を敬慕してここの記念碑を建てる。
一九六三(昭和38)年四月十四日 序幕」とある。
お陰さまで、コンビニおにぎり、のり弁、のり佃煮が手軽に美味しく頂けると思う。感謝。
その南側に、イングリッシュ・オーク(写真9参照)が、英国大使館が日本全国一七〇ヶ所で展開する植樹活動「日英グリーン同盟」により植樹されていた。
山頂の住吉神社(写真10参照)に参拝する。楼門手前の石段は、馬門石で造ってある。
拝殿手前の紅葉(写真11参照)が、落葉している。
拝殿前(写真12参照)も、紅葉の落葉で彩られている。
現在時刻14時、帰途に就く。途中、内田町で六地蔵(写真13参照)が鎮座するのを見る。
16時半帰宅。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)27km→宇土市住吉自然公園27km→熊本(自宅)
所要時間4時間(実3.5時間) 総計54km 走行累計44,549km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
最新の画像もっと見る
最近の「熊本の近代史跡・文化財」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事