2023/2/19(日) 曇/晴
今日は昼間最高気温14°早朝の気温17°と、早朝と昼間が逆転した気温となった。午後から曇天も少し明るくなり降雨の心配が少なくなったので、午後13時半からウォーキングに出る。
目的地は往生院の六地蔵と光永寺の放牛石臼とする。
往生院(写真2参照)に着いく。
本堂前に椿(写真3参照)が咲いている。葉の数と花の数が同じではないかと思えるくらい沢山咲いている。こちらは寒椿か。
その北側にしだれ梅(写真5参照)が咲いている。その向こうに六体の地蔵を脇侍として100体目の放牛石仏が建立されている。
その右横に豪潮律師の宝篋印塔が、建立されている。そのまた右側に六角形の幢身の六地蔵(写真8・9参照)が建立されている。この六地蔵は幢身にも彫刻がある。龕部の地蔵像はかなり精緻に彫られている。
往生院の豪潮式宝篋印塔・放牛石仏(地蔵)6体目
2021/11/17(水) 晴
今日は、正午過ぎまで家周りの事をして過ごしたが、暖かい気温と晴天誘われて午後3時前からポタリングに出る。
目的地は、放牛石仏(地蔵)6・105・54・71・78・7・29・26体目の予定で出かける。
立町の7体目は、到達できずに宿題となった。
先ず池田立岩神社近くの放牛石仏(地蔵)71・78体目を探訪する。が、所在が分からず往生院に移動する。
往生院境内に入ると、放牛石仏(地蔵)の前に豪潮式宝篋印塔(写真1参照)があった。
玉名にある豪潮式宝篋印塔は訪ねたことがあるが、ここ往生院あるとは知らなかった。
標柱説明文(写真2参照)には、「寛延二年(1749)玉名郡高道村(現玉名市岱明町)、専光寺に生まれ、十六歳で比叡山に登り豪怒大僧正について修練した。二十八歳のとき帰国、繁根木山寿福寺の住職となり高僧として諸大名の帰依を受けた。五十四歳になって全国に宝篋印塔建立の大願をおこし、七十歳になる頃にはその数二〇〇〇を超えた。また書をよくし、優れた遺墨が多い。文政元年(1818)尾張侯に迎えられ、彼の地に没した。八十七歳」とある。
放牛石仏(地蔵)6体目は、100体目の左側(写真3参照)に鎮座する。
中央の一際大きいのが100体目で、両脇は六地蔵である。
6体目の放牛石仏(地蔵)(写真4参照)は、写真3の左端の方にある。
往生院の放牛石仏(100/107体中)
2018/10/12(金) 晴
旧国道3号(旧豊前街道)を南下し、放牛石仏を拝観するため往生院に寄る。
敷地内を2周りぐらいして、やっと所在が分かった。
鐘楼の更に右奥に地蔵は御座った。
百体目の放牛地蔵(写真1参照)は、なるほど大きい。
両脇に六地蔵が建立されている。右から、地獄、餓鬼、畜生、放牛地蔵を挟んで修羅、人、天と並んで御座る。
放牛石仏の謂れ(写真2参照)が書いてある。「約三百年前、細川綱利公のころ城下の鍛冶屋町に貧しい鍛冶職の親子が住んでいた。正月四日孝行息子は商いに出たものの、無類の酒好きの父のために酒を買ってやれるだけの売り上げがその日はない。酒を楽しみに夕げの支度をしていた父は、酒のないのを知ると手にもっていた火吹き竹を門にたっている息子に投げつけた。竹は息子には当たらず、折悪しく表を通りかかった武士の眉間を割ってしまったからたまらない。父はその場で無礼討ち。
父の非業の死を目の当りに見た息子は、自分の不幸(孝?)が父を殺したと嘆き、出家して「放牛」と名を改めた。放牛は三十年間の修業の後、父のめい福を祈って百体の石仏を祭ろうと発願し、享保七年(1722年)から十年間で百七体の石仏を建立してその大願を達成した。
この石仏は放牛石仏の中でも最も大きい。」とある。
話としては諸説あるようだが、この話が一般的なようだ。
素直に信じていた方が有難いとも思う。
確認のために台座の文字(写真3参照)を撮る。
右側に百の文字。その下は体の旧字体と思うが読めない。
左側に「講中 放牛」の文字が見える。
往生院を後にして、熊本城内を廻り帰途に就く。
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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