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熊本から気ままに山と自転車のブログ

五両御形・五輪塔・西ノ原板碑

五両御形・五輪塔・西ノ原板碑
2021/12/12(日) 曇

今日は、最高気温17°の曇天だが、明日からは寒くなるようなので、午後14時半から今週7回目のポタリングに出る。
2時間前後で帰って来られる所は・・・と走りながら考えて、植木町五両に祠と五輪塔があることを思い出し五両に向かう。

五両交差点から県道3を少し行った所に「五両」バス停(写真1参照)がある。


その先に祠(写真2参照)がある。中には三体の御神像が鎮座する。脇に「御形改修記念」の標柱がある。私には、「五両」の御本尊に思えるが確証はない。


その「御形(みかたち=神が形を取った姿)」の傍に、道標(写真3参照)がある。以前からこの地が道の分岐点であったことが分かる。


国道3を挟んで反対側に、五輪塔(写真4・5参照)がある。この区域が聖域であったと推測する。


「御形」から北に少し行った旧国道3と県道3の分岐点に、恵比寿神(写真6参照)が祀ってある。


後ろ側に謂書(写真7参照)がある。「明治三十七・八年の戦争は・・・茲に我御霊北組の有志・・・」とあり、この地域が「御霊」と呼ばれることがわかる。この地の中学校は、「五霊中」という。


更に北に進み左折して、その北西方向の「西ノ原」(写真8参照)に移動する。


その公民館の右横に「塚」(写真9参照)がある。


その塚頂に梵字を刻んだ板碑(写真10・11参照)がある。
私には、この塚が古墳に思える。その慰霊のための板碑と思う。


公民館の左側には、「観音堂」(写真12参照)がある。


堂内の「正観世音菩薩立像」台石の文字を書写した板(写真13参照)が掲げてある。
「享保十七年十一月に、味取町の松屋堀九郎右衛門が施主となり、肥前小城郡砥川の石工平川与四右衛門が建立した」とある。


その南壁に「みこし」(写真14参照)が掛けてある。屍を入れた甕棺を墓所まで担ぐ「みこし」と地元の人に説明を受けた。これが本来の神輿か?


行政の指定を受けていない文化財が、大事に護られている事に敬意と感謝を致したいと思う。ここを最後に帰途に就く。
17時前帰宅。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)28km→西の原→熊本(自宅)
所要時間2.5時間(実2時間) 総計28km 走行累計44,495km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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