熊本から気ままに山と自転車のブログ

和水町八つの神様

和水町八つの神様
2019/1/2(水) 曇/晴

昨年の初ポタは、年々減少傾向の走行距離の流れを変えたいとウトイチ(宇土半島一周)に出たが、年間走行距離(km)をチェックしたところ、生活パターンが変ったとは言え傾向は変わらなかった。ただ、平均走行距離は延びた。

年   年間走行距離(km) 回数   平均(距離/回数)
累計      26,534 474 56
2018    3,630 72 50
2017    3,860 85 45
2016    4,625 93 50
2015    5,230 91 57
2014 4,633 71 65

そういうことで、決意も新たに今年の初ポタは、和水町八つの神様巡礼を目的とする。
今日は、県道3ではなく玉東町稲佐から菊池川を遡り、江田船山公園前(写真1参照)経由で和水町和仁地区を目指す。


県道194を北進していると、山間部に標識(写真2参照)が見えた。
まずは、豊前街道がここを通っていることに驚いた。


橋の右側は何の変哲もない田んぼだが、左側は滝つぼ(写真3参照)なっている。
これが丸木橋であればなるほど危険な難所となろう。


さて、目的の1番目は、目の神様(写真4参照)


説明板(写真5参照)は、戦国時代の武士を祀ったものという。
崖地の藤ツルに宙釣りなっていたというのも頷ける絶壁の岩壁の崖である。


2番目は、目の神様から国道443を西側に引き返し、コンクリート製品工場の一角?にあるイボの神様(写真6参照)


その岩の北側にも岩(写真7参照)がある。
両岩とも祭壇が施設ある。


説明板(写真8参照)では、「煎った大豆を年の数だけ献上し・・・」とあるが、大豆とイボが似ているからか?


3番目は、大田黒の交差点から左折して北進すると胃の神様(写真9参照)が鎮座する。
そこは、古墳跡とも見える小丘の頂上。
胃は猪か?肥猪という地名もあり、大宰府から鞠智城に烽火連絡網があり猪出という烽火番がいたともいうが、私の妄想で根拠はない。


説明板(写真10参照)では、「参道途中の池にどじょうを・・・」とあるが、池は見えなかった。


4番目は、七郎神(写真11参照)
以前金栗四三生家を訪ねた時に立ち寄ったことがある。


今日は社の上流にある岩(写真12参照)を見る。
男岩、女岩がありこれは女岩。
どう見ても、これは人の手による創作に見える。村の青年団の戯れか?娯楽が少なかった時代のことと、お許しあれ。


説明板(写真13参照)は、解説無用。


5番目の「歯の神様」(写真14参照)は、県道から左折した左側の崖にある。
説明板が墨書であるが、風化していて読み取れない。
尚、和水町役場商工観光課発行パンフレットにある「歯の神様」は、道路の右側にあるらしい。


6番目は、命の神様(写真15参照)は、歯の神様から更に山手に行った右側の岩陰にあった。


説明板(写真16参照)では、「一生で一度だけの平癒を願えば叶えられる」とある。


7番目は、耳の神様(写真17参照)は、社の奥にある墓石だった。


説明板(写真18参照)では、田中(和仁)城の攻防戦の犠牲者柳川由布大炊助を祀ったものという。


8番目は、足手荒神さん(写真19参照)
六嘉の足手荒神さんをこの池の後ろに分霊したとある。
足手荒神の祭神は、御船の甲斐宗立。肥後国衆一揆の一人であり、肥後国衆一揆の中心地のこの地の人々が慰霊のために分霊し祀ったものと思う。
白い水の正体は、硫黄分を含んだ鉱泉かと思い匂いを嗅いでみた。そんな気もするがよくわからなかった。


解説板(写真20参照)では、「足手荒神さんと白い水は昔から深いわかわりがあり・・・」とあるが、この鉱泉を沸かし温泉として湯治場とした?のであれば、そのような伝承があると思うものだが・・・。いかなるかかわりか知りたいところである。


時刻は14時、早々に帰途に就く。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)44km→足手荒神37km→熊本(自宅)所要時間7時間(実6時間) 総計81km 走行累計26,615km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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