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熊本から気ままに山と自転車のブログ

白川の石刎

白川の石刎

2024/11/7(木)晴

最高気温22°早朝8°と寒くなった。土木の神様・加藤清正公の現代に残る河川改修遺跡の石刎を目的地として、熊本市の子飼橋・白川橋まで午後14時半からポタリングに出る。

先ずは、子飼橋上流側の石刎を訪れる。右岸堤防裾に2か所の石刎(写真1参照)を見る。

 

その少し上流左岸堤防上に「白川大水害記録碑」(写真2参照)がある。

説明文には、「S28.6.26水害とは。しょうわ28年は雨の多い年で、6月上旬頃から阿蘇地方に度々強い雨が降っていました。この長雨によって阿蘇地方の地盤は高い湿潤状態になり、そこへ活発化した梅雨前線による未曾有の大雨が降ったため、白川はまたたく間に増水して大洪水となって沿川一帯に氾濫したのです。6月26日、11時40分頃より市内低地で浸水がはじまり、15時5分に国鉄が運航を停止し、17時過ぎに安巳橋及び小磧橋が流失、18時過ぎに蓮台寺橋上流及び薄場橋上流両岸などの堤防が次々に決壊しました。その後、21時40分に世継橋が流失し、同50分には子飼橋左岸が溢れて大江町の130戸が流失し、200余名が濁流にのみ込まれました。

また豪雨により阿蘇地方各所で山崩れが起き、火山基層を覆う「ヨナ」が洪水で流されてきて氾濫し、堆積したため、熊本市内は泥土に埋もれてしまいました。熊本市をはじめとする白川水系では、この洪水によって、死者行方不明者422名、負傷者1.077名、流失家屋2.585戸、浸水家屋31.145戸、橋梁流失85橋などという大被害を蒙りました。」とある。

 

傍には、水害における死亡者の霊をなくさめるために地蔵菩薩石像(写真3参照)が祀ってある。

 

白川大水害記録碑の上流側の左岸にも、石刎(写真4参照)がある。水紋で、石刎に当たった水が流れを変えているのがよく分かる。

 

場所を移動して、熊本駅前の石塘にも、石刎(写真5参照)がある。

 

その石塘(写真6参照)を、森都心ビル敷地から見る。石塘は、清正公が井芹川(坪井川)を白川から分流し、高橋方面に向けるため築いた堤である。ここを折り返し点として帰途に就く。

 

帰路の途中、NHK大河ドラマで話題の、清少納言の父清原元輔を祀る清原神社(写真7参照)に立ち寄る。

 

その近くの旧井芹川と坪井川の合流点(写真8参照)を見る。坪井川は市役所前辺りで大きく蛇行していた白川と合流していた。清正公は、白川を現在の流路の直線とし、坪井川を白川から分流し、長塀沿いから新町へ掘り変えて井芹川と合流させ水量を増やし、城下町への物資運搬のための河川へと改変した。今は無くなった「新町の朝市」は、この坪井川の岸にあった。

 

太陽が山の向うに隠れる頃の16時半に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。

熊本(自宅)19km→子飼橋・白川橋→熊本(自宅)
総所要時間2時間(実2時間) 総計19km 走行累計60,548km


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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