2023/2/16(木) 晴
今日は最高気温予報12°早朝の気温-1°風は冷たいが陽射しがあり暖かい日になったので、午後13時半からポタリング出る。
目的地は、宇土市「轟御殿跡」の梅花とする。
往路は平木橋経由とする。轟貝塚、轟水源の横を通り、宇土市大太鼓収蔵館手前から左折すると轟御殿跡(写真1参照)に着く。
説明板(写真2参照)には、「江戸時代、この地には、初代宇土藩主・細川行孝が慶安年間(1648~1652)に京都大徳寺の高僧・碩翁宗胖を招いて建立した「三車山泰雲寺」がありました。寺号は行孝の父・立孝の戒名「泰雲院殿立允宗功大居士」に由来し、宇土細川家の菩提寺となりました。江戸時代の史料によると、およそ三〇〇〇㎡の敷地に、客殿や庫裡など五つの建物、そして冠木門と鐘撞堂があったようで、歴代藩主や一族の墓は現在も背後の山中に佇んでいます。
明治三年(1870)に泰雲寺が廃寺となった後、この地には細川家歴代の御霊を祀る神道の「原泉社」が建てられ、現在は原泉社時代の基壇(社殿下部の石積み)や石灯籠が残されており、当時の姿が偲ばれます。
第十代藩主・細川立則は、文久二年(1862)に弟・行眞に家督を譲り、三〇歳で隠居しました。明治時代に入ると、立則はこの地を隠居所とし、その住まいは「轟御殿」と呼ばれました。隠居所とし、自ら発句会を主催するなど、この地で風流な余生を過ごしました。
立則のもとに集まった俳諧愛好者の集団は「三車連」と呼ばれ、明治二一年(1888)に立則が亡くなった後も、三車連は活動を続け、明治二五年(1892)には立則を慕う会員らによって、敷地奥の庭池のほとりに立則の句碑が建てられました。」とある。
うろ覚えのWeb情報からしだれ梅かと思ったが、しだれ桜(写真3・4参照)だった。梅の木は右側民家のフェンス沿いに1本あるが、花は未だだった。帰宅してからWeb情報を再見したら、「轟御殿付近の住宅」とあり、もっと広い範囲の住宅を合わせた情報のようである。15時半に帰途に就く。帰路は国道3、新幹線側道を選択する。
17時半前に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)24km→轟御殿跡23km→熊本(自宅)
総所要時間4時間(実3.5時間) 総計47km 走行累計52,644km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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