★あっ!鼻が欠けてる ピエロ デ フランチェスカ ウフイッツイ美術館
今日あなたにご紹介するのは、『ウフイッツィ美術館』の第8室に展示されている作品です。
作者は『ピエロ・デ・フランチェスカ』1439年頃フィレンツェ近郊のアレッツオで生まれています。
この作品は『ウルビーノ侯爵夫妻の肖像』で、1467年から1472年ごろに描かれていいます。
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この真横を向いた肖像画はこのころのイタリアではよく書かれていた形式でした。
ディプテイク(二連画)は古代から引き継がれる形式だそうで、二枚がこの様に額縁に入っているわけではなく、留め金でつなぎ合わされていて本のように開いたり閉じたりすることができたようです。
それにしても見てください、ウルビーノ侯爵の(フェデリーゴ・ダ・モンテフェルトロ)の鼻これはこのころ大流行していた騎士合戦で、負傷したものだそうです。
それにしても、このころは、絵を発注する側はすべての面にわたって注文を付けていたはずだし、気にらなければ修正させたはずなので、これは侯爵からの指示であった可能性がありますね、ということは、騎士合戦での名誉の負傷ということだったのでしょうか。真偽は分かりません。
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この絵は表裏一体となっています、そしてこの裏面は表面よりも後年になって書かれています。
そしてこの裏面が描かれたいきさつには悲しい出来事が隠されているのです。
この夫婦に待望の子どもができました、たぶん二人とも妊娠には大いに喜んだに違いありません。
しかし、この出産は悲劇に終わりました、世継ぎは誕生したのですが、妻の『バッティスタ・スフォルツァ』は亡くなってしまいました。
そして、『バッティスタ』の死後『ピエロ』が彼女を追悼する意味で、この裏面を書いたのではないかといわれています。
このころの出産は大きな危険を含んでいて、出産で命を落とす女性がかなりいたということです。