昨年まで絵を描くと、抽象的な線が画面にひしめいているものばかりだった。
ところが今年夏から突然画風が変化した。
8月に瀬戸内海に小旅行に行った時に暇つぶしになるかもと思ってボールペンと紙とを持って電車に乗り込んだ。
向かいの席には口を開けて寝ている女性が座っていた。それを見ているうちにスケッチしたくなった。無防備に寝ている姿を紙にスケッチする機会はそうそうないと思ったからだ。
女性が起きないようにボールペンをラフなタッチで紙の上を走らせていく。周りの人に不審がられないように気を使いながら軽くスケッチしていった。
自宅に帰ってから出来た簡単なスケッチをさらに加工していった。
覚えているその顔は時間がたつとうろ覚えになり、自分の脳内で変形して、さらに変化していった。
しかも描いているうちにだんだんその絵は強烈な自己主張をしていった。
「ここに線を足してほしい」「まだ描き足りない」「もっとここを濃く塗って」
僕はその絵と対話するような感覚にどんどん陥っていく。
以前まで抽象的な絵を描いていたのに、女性の顔でしかも美しいとといえないような人物画を描いている。
さらに普段生活していても自分では意識しないところでこの絵にこだわりが出ていることに気がついた。
抽象画から人物画という変化以上に自分がこんなに対象物を変形させられる力を持っていることに驚きつつ、絵にさらに手を入れていく。
絵のほうからここで終わりという感じが持てるまで手を加えていった。
終わりがあるのかとわからない中で、ある時もうこれ以上手を入れなくてもいいという感じがふっとわかった。
この画像がそのドローイングです。
自分の突破口を開いたこの絵は僕にとってなにか大きな意味があるような気がします。
もう寝ている女性ではなくなったこの人物のドローイングは、来月のライヴのフライヤーに使われています。
お手に取ってどうぞご覧下さい。