秋紀 芳慧 (Yoshie Akinori)

バレエのレッスンを受けてきた。

先日笑うカラダ・スタヂオでバレエのレッスンを受けてきました。場所はJR六甲道から徒歩で5分くらいの場所にあるリトルブラザーズビルの4Fのスタジオです。僕が受けたのは火曜日のバレエ、コンテンポラリークラスでした。

バレエのレッスンなんて、10年以上ぶりです。レッスンを受けていた当時のことがいろいろと思い出されてきます。

レッスンはバレエのメソッドに基づいたものを、マキノ先生が緩やかにした感じです。バレエの初心者のありがちな、無理に力んで身体を動かしてしまうのを股関節など関節まわりをフロアに寝転がりながら適度に緩め、その身体を意識しながら無理のないようにバーレッスンに入り、自然に動くようにナビゲートされながらセンターに入ります。


自分の中で処理しきれなかったことがいろいろと浮かんできます。


僕はその当時、それなりに必死にバレエを習っていました。が、どうしても気が乗らないと思う日がほとんどでした。うまく身体がノラないという感じをずっと抱えてレッスンを受けていました。

このような感じ方について、アレクサンダーテクニークの芳野香さんの著書「アレクサンダー・テクニックの使い方」の中に出てきます。本の中でこういった場合について、物事を習う初期段階で身に付いた力の使い方~意思の使い方も含めてロスをしているということが書かれてあります。それを読むと僕が当時大変なロスをかかえていたのだなぁ~と思います。僕はどこでこのロスを抱え込んでしまったのかは容易に判別できません。
ただ僕はバレエのレッスンで、同じレッスンを受けている他の方がバレエを点と線で考えているように思われました。例えば僕は太ももが浮いて動いていくといったような物体的にとらえていたのですが、他の方はそうではなかったようなのです。他の生徒さんはバレエのベーシックな基本の型を理解していて、音のポイントでそこにフォルムを持っていく、線~ラインを持っていく、そういったように見受けられました。ところが僕は身体のボリュームが動いていくその軌跡を見て理解するといった感覚でしたので、なかなか基本のフォームが覚えられず苦労しました。ボリュームが移動して踊りを作っていくといった理解は当時と今とそう変わりません。
ただ当時一回一回のレッスンを受けるのが非常につらかったことが思い出されます。

力まずにバレエをするということはある種桃源郷のようなもののようにも思えます。可能なのだけれどそこに達するには非常に鍛錬がいる。なのでそこを目指すために練習している、そういう感じを持っています。

そして伝統から何かを学ぼうとする際に感じられる伝統の中に自分が埋没してしまうという不安感もありました。決してこの笑うカラダのレッスンは伝統的なバレエのレッスンではありません。ですが、自分が過去に受けてきたレッスンも似ていることもあり、様々なことが思い出され考えさせられました。

夜、窓の外を見ながらバーレッスンを受けていると、向かいのビルではなにか作業をしている女性たちが見えました。音楽を聴きながらレッスンを受けていくうちに、ビルの中の彼女らと僕とを外側から眺めているような感じになってきます。彼女らと自分が今全然違うことをしているが、それは何が違うのか、ということにぼんやりと考えながらレッスンをしている自分に気づきます。向かいの人たちは仕事をしているのだろうか、僕が今やっていることは仕事なのだろうか?当時も僕は夜にレッスンを受けていたときに、そのようなことをよく考えていたことを思い出しました。

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