少し前へ!

歩いてきた道をもう少し前へ

クリスマス

2022年12月25日 | できました

今日は晴れ、気温は寒くないので久々庭の跡片付けをする

長い間咲いて、私達を楽しませてくれたサルビアやラベンダー等花壇を整理できた。

昼頃長女が昼食を一緒にと来てくれた。近況を語りながら「今日家族でクリスマスをするので、

母さんにもプレゼントを持ってきた」と、、、ゆっくり食事をし帰る。午後は、

今まで忙しく過ごしていた、今日は一人でゆっくりテレビ、ビデ オを楽しもうと

計画していたので準備をはじめる。次女が「お母さんケーキ買ってきたから」と

姉と同じようにプレゼントも持ってきてくれた。二人でそれぞれ同じことを思っていたのでした。

自分の子供たちのことなど沢山話してくれた。忙しく働きながらも私のことまで思いやってくれる 。

その思いがとてもありがたく嬉しかった。娘たちのためにも元気で暮らしていこう

今日はうーさんがいなく淋しかったが最高のクリスマスになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 


シャンソンコンサート

2022年12月23日 | 日記

コロナ禍の中久しぶりのチャリテイコンサートへ+

愛の賛歌から始まり再会、百万本のばら 私のパリ祭 生きる~

最後はクリスマスメロデー

私はこのところ忙しかったので今日は体がゆったりしコンサートに

のめりこんでいた

身も心も豊かになった気分

来るとき雨でしたが終わってみれば雨はやんでいました。

三年ぶり・四人で食事し、話は決まって我が子のこと

12月6日河北新聞一面記事のこと

時代が変わり、私たちは我が子を抱えながら無我夢中だった

あの頃の、笑いあり 失ぱいあり 苦しみを切り開いてきた事等

これからのこと、時間を忘れるほど話りあい みんな満足して終わった

帰りは光のベージェントを見ながら、又、あの時車椅子を押しながらここを通り等と話が続く時折顔を見あわせ、わらってしまう

今日は障害者チャリティーコンサートです。

みんな障害を持つ我が子を愛し、遠慮なく語

楽しいひと時でした

 

 

 

 ィ

 

 


小学5-3

2022年12月21日 | 日記
何をするにも手も足も動かない唯周りの話を聞きいているだけ 
自分の思いを伝えることができない
どうしたらみんなのようにできるのだろうか?
この思いを伝えたくとも伝える手段がない
母は一番の理解者だが母にも伝える手段がない
どう訴えたらよいのか
自分のできること
それは目を動かすこと、首を動かすことしかできない
どうしたらみんなのように自分の意見を伝えることができるか?
自分なりに悩み苦しみ考えたであろうその手段は
拓桃養護学校へ入り勉強することかも
そう考えていたであろううーさん
訓練の診察日突然
文字盤で(母の介助)冬が過ぎたら拓桃へ入りたい
と文字をなぞって見せた
私は始めてうーさんの思いを知り驚いてしまった。
先生はそれってお母さんがうごかしてしている言葉ですよね
私に言う
本当はうーさんが考えて母の介助をもらい必死で訴えているのですが 
先生には伝わらない
そこで私が違いますといったところで先生はりかいしてくれるだろうか?
私は、本人の気持ちですと言いましたが、
先生は聞こえないふりをして席を立っていきました。
帰り車に乗ってからうーさんと私はまるで地獄へ落ちていった気持ちになり
暫く車の中で泣いていました。
何事も他の方たちより何倍も頑張っても何にもできないうーさん
何年も頑張って文字がわかってきているのに
すべてが否定された
おそらく誰も文字などわかるはずがない
家族以外そう思っているのでしょう
それ以来どんなに頑張っても自分の力で切り開くことが
将来どんなに頑張ってもこの意思表示は自力では難しい、
魔法があれば自分の気持ちを伝えることができるのに
落胆とあきらめが交差する
今後のことをじっくり考えていかねばならない
続く

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

小学5-キャンプ2

2022年12月02日 | 日記
キャンプ2夏のキャンプが終え
寝た切りのうーさん
スタッフ、リーダーからの報告はありましたが
本人は楽しかったの報告
泣いてばかり、体温温度の調節もできない、
真夏の太陽が高くなるとうーさんは自分も体温が上る
夕方気温が下がると本人の体温は平温になる
私はそれが当たり前のように過ごしていたが
あまりの変化にスタッフの方たちは異常に思えた
当然のことではありますが
私からの連絡は足りなかったと思う
にもかかわらずキャンプを最後まで
寄り添ってくれた皆さんに深く感謝しています。
1年目、2年目過ぎた訓練の診察日にうーさんは
冬が過ぎたらたくとうへ入れてくださいと
私が介助して文字盤での訴えでした
それは文字をなぞるだけでしたが
私も先生も驚き先生は「それお母さんがさせたんですよね」
先生に言われ、私は何が何だか分からなく返答に困っていました。
始めて「うーさんの気持ち」
その後自宅に帰りゆっくり話をすると
拓桃支援学校の子供、船岡支援学校の生徒達は
自分より何でもできている
自分もその学校へはいるとみんなのように何でもできると
思ったのでしょう
私の育て方、対応の仕方、障害の重いこと訓練しても何事も
到達できない目標
頑張れば何とか自分も同じようにできるかも
そんな目標を持つうーさんの願いを
私は心から理解してやればできるかもしれないそんな希望を
何と説明し頑張らせてたら良いか私も苦しんだ
何事もやりたい気持ちがよくわかる
これをどう育ててやったらよいかと思うと、親として本当に苦しんだ
それはあまりにも脳性麻痺の力が強く手も足も麻痺の力が強く
いまだ首も座らないうーさんに何ができるでしょうか?
唯救いは「人の話が少しわかる」
今は現実を確かめながら
挑戦したい気持ちを大切にしながら
結果は別として楽しく楽しくみんなとおんなじ
そんな気持ちで進んでいきましょう