うさちゃん20歳過ぎたころ私の家に初孫が生まれました。当然うさちゃんも含め
みんなで産湯の周りに集まりみんなは笑顔笑顔でした。それからなんか月過ぎたでしょうか
赤ちゃんはすくすくと育ち始めていたころ、うーさんはデイサービスへ行く時間になっても喜ばない、
食欲がなく楽しみな「集いの家」へも行かないと言い始めた。
今日は赤ちゃんも来ないし家には誰もいないからゆっくりうーさんと話をしよう
と2人で布団に入る。
言葉のないうーさんは自分の気持ちを伝えるには難しい
こんなにゆっくりするのしばらくぶりだね。うーさん浮かぬ顔
体どこか痛いの?頭を振る(ちがう)
みんな赤ちゃんのはなしでもちきりでやきもち焼いている?頭を振る
体がどこもいたくないけどおきないの?(うん)
ごはんもたべたくないの?(うんの合図)
ご飯を食べないと死んでしまうよ(うんうん)と反応する
今うーさん死にたいわけ?(うんうん)
どうして?言葉のないうーさんの言い分を解すには会話が延々続く
ようやくわかったのは
赤ちゃんは訓練もしないのに何でも自分でできてくる
自分は毎日毎日なんねんも続けて訓練しても何にもできない
情けない、悲しい、苦しい 死んだ方がいいという
そう思うの?
そこまでわかりうーさんをしっかり抱いてごめんねごめんね
お母さんも悔しい悲しい
と2人で大声を出して泣きました。思い切りなきっづけてから
うーさん本当にごめんね・お詫びしてもお詫びしてもお詫びしきれない
申し訳ない。あなたが生まれたとき首にへその緒が巻き付いていてなかなか出てこないため先生は思い切り引っぱったんだそうです。
すると首にどすぐろく紫色の跡が二重についていたのです。(この後はしばらく取れませんでした)
先生は後5時間呼吸ができなかったら命の保証はないですと父親に言ったそうです。
でもねうーさんは生き返ってくれた。家族中みんな喜んでみんなあなたを大事にしたよね
それから病気と闘い、訓練が始まるとみんなで応援したよね、わかるか?家族みんなであなたのことを応援していた事。
そして毎日頑張って訓練しているの見てお姉ちゃんたちも自分のこと家のお手伝いをみんなで協力していた事しっているよね
家族ばかりでなくお外に出れば知り合いの方はあなたが頑張っている姿を見て健康な自分はもっと頑張らねばと思う方もたくさんいたと思う
あなたは何もできない死んだ方がいいと思うけど
あなたの頑張りを見てじぶんももっとがんばらねばと思う人がどれだけいたか?
だからあなたは家族にとっても社会にとっても必要な人なの
今まで20年も頑張って訓練したのでこれからはあなたの知りたい事、野球の見方もわかってきたし
旅行や楽しいこと沢山できる、わかるか?
必死で話すわたしのことばを理解できたか分からないけど
うーさんのため自分を鼓舞するためにも話しかけている私がいました。
うーさんはジーと聞いていた
2人で寝ていた枕やお布団は涙でびしょぬれになっていた
朝9時からはじまりもう午後4時を回っている
私は初孫だけれど次から生まれてくる子供たちはいるはずここでしっかりとうーさんの気持ちを聞き
しっかりと伝えてやらねばと心に決めて話し合いを続ける・