少し前へ!

歩いてきた道をもう少し前へ

高等部1年

2023年04月30日 | 日記

入学して3ケ月過ぎようとしていますが、

毎日が楽しくうーさんの表情が明るくいろいろなものに興味を持ってきた

ある時用事があって教室へ行くとみんなでテラスに出ている

よく見るといろいろな子動物を飼育していて 先生がすっぽんをもって

順番にすっぽんを触らせていた、触るたびにみんな違う表情をし

そのたびにみんで笑い楽しんでいる。おそらく皆で飼育もしてきた

すっぽんだったのかもしれない。

学校がこんなに楽しい物とは考えてもいなかったのでしょう

学校全体、学級、の行事もこのクラスなりの参加の仕方を考えて

行事参加をされたのでしょう

充実した1年間でした。2年生から寄宿舎へ入舎が決まりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

          本物を見て触る


船岡支援高等学校

2023年04月28日 | できました

船岡支援高校学校入学

自宅から学校まで片道35Km母の車で1時間、朝食にかかる時間は1時間

超重複障害を持つ学級(高、1,2,3学年の特別学級)

クラスのメンバーを見ながら少しずつ心和らいだのでしょうか?

だんだん学校が楽しくなり張り切って目覚め 朝食はいらないから早く出発しようと目線で私に訴えるほど

学校が楽しいんだ、新しい環境と、訓練も週に1回なので気楽になったのか?

通学も時間がかかり体が持つかな?と思うがますます元気な様子。

学校は母子分離なので親たちは授業終わるまで控え室で待機している

楽しいんだ、先生達は生徒より楽しそうにかかわっていただいている

雰囲気が良く、生徒たちは毎日笑顔、笑顔で過ごしていました

我が子も先生や友達と楽しそうに笑顔で暮らせていること

この子の人生、自分で選んだ学校、思う存分楽しい時間ができたこと

心豊かに、存分に笑い楽しむ 皆の笑顔が輝いている

この子たちにこんな楽しい時間を与えてくれた先生方に心から感謝したい

 

 

 

 


支援学校 高等部高校合格

2023年04月28日 | うさちゃん

中学は訓練主体の支援学校でしたが高校は訓練ばかりではなく

様々な学校教育を終え新たな環境の場でもあった。

うーさんは今まで何事もできない、人一倍頑張っても

何ひとつ成果がなく落ちこむことの多い生活でしたので(本人の思う)

ほとんどの方が受験するので高校受験で又自分だけがダメなこと

受験しないと言っていた。私も今まで十分頑張ってきたので

うーさんのできることをしっかり伸ばして心穏やかに過ごしていけばよいと思っていました。

が、その後学校で話し合ったのか受験することとなりました。

苦しむこともあったろうに本人が決めたので受験することになりました。

高校合格発表は河北新聞に掲載されました。私は喜んでいるだろうと切り抜きをもって

うーさんを迎えに行きました。

喜んでいるだろうとの思いとは別に無言のままでした。学校へ見に行きたいとのことで

うーさんと合格発表を見に行きましたました。ジーとみていて私はもういいと思いましたが

帰ろうの掛け声に頭を振りいつまでも発表の名前をじーと満足するまで見続けていました。

名前欄を見続けて何をかんじたのでしょうか?

 

 

 

 


葛籐2

2023年04月16日 | うさちゃん

うーさんは私の話をジーと聞いていた。

何の反応もなくいつまでもジーとしていた。

朝からなにも食べないのでおなかすいたから

ご飯にしよう

その夜うーさん休んでから私は父親に今日の出来事を全部報告した

父親もまたいつまでもむごんのままでいた

うーさんはその後私の話は分かったけど自分の気持ちが切り替えられない

そんなうーさんの様子を又不憫でならなかった

そして時は、薄紙一枚づつはがれるように気持ちが切り変えてくれていった。

この話

亡父親の誕生日に集まってくれみんなに話してあげた

この話をジーと聞いていた姪が、ポツリと

私 うーちゃんが私に何か言おうとしてうなりながら声を出していたんだけれど

私はうーさんの言うことが何もわからなかった

その時から今までずーとわかってやれなくて胸の中がもにゃもにゃしていたの

彼女は20年近く思い詰めていたのです

姉もまた私もそんなときがあったと

そんな会話をみんなで話しあい心を通い合った

 

 

 

 

 

 

 


葛籐1

2023年04月13日 | うさちゃん

うさちゃん20歳過ぎたころ私の家に初孫が生まれました。当然うさちゃんも含め

みんなで産湯の周りに集まりみんなは笑顔笑顔でした。それからなんか月過ぎたでしょうか

赤ちゃんはすくすくと育ち始めていたころ、うーさんはデイサービスへ行く時間になっても喜ばない、

食欲がなく楽しみな「集いの家」へも行かないと言い始めた。

今日は赤ちゃんも来ないし家には誰もいないからゆっくりうーさんと話をしよう

と2人で布団に入る。

言葉のないうーさんは自分の気持ちを伝えるには難しい

こんなにゆっくりするのしばらくぶりだね。うーさん浮かぬ顔

体どこか痛いの?頭を振る(ちがう)

みんな赤ちゃんのはなしでもちきりでやきもち焼いている?頭を振る

体がどこもいたくないけどおきないの?(うん)

ごはんもたべたくないの?(うんの合図)

ご飯を食べないと死んでしまうよ(うんうん)と反応する

今うーさん死にたいわけ?(うんうん)

どうして?言葉のないうーさんの言い分を解すには会話が延々続く

ようやくわかったのは

赤ちゃんは訓練もしないのに何でも自分でできてくる

自分は毎日毎日なんねんも続けて訓練しても何にもできない

情けない、悲しい、苦しい 死んだ方がいいという

そう思うの?

そこまでわかりうーさんをしっかり抱いてごめんねごめんね

お母さんも悔しい悲しい

と2人で大声を出して泣きました。思い切りなきっづけてから

うーさん本当にごめんね・お詫びしてもお詫びしてもお詫びしきれない

申し訳ない。あなたが生まれたとき首にへその緒が巻き付いていてなかなか出てこないため先生は思い切り引っぱったんだそうです。

すると首にどすぐろく紫色の跡が二重についていたのです。(この後はしばらく取れませんでした)

先生は後5時間呼吸ができなかったら命の保証はないですと父親に言ったそうです。

でもねうーさんは生き返ってくれた。家族中みんな喜んでみんなあなたを大事にしたよね

それから病気と闘い、訓練が始まるとみんなで応援したよね、わかるか?家族みんなであなたのことを応援していた事。

 

 

そして毎日頑張って訓練しているの見てお姉ちゃんたちも自分のこと家のお手伝いをみんなで協力していた事しっているよね

家族ばかりでなくお外に出れば知り合いの方はあなたが頑張っている姿を見て健康な自分はもっと頑張らねばと思う方もたくさんいたと思う

あなたは何もできない死んだ方がいいと思うけど

あなたの頑張りを見てじぶんももっとがんばらねばと思う人がどれだけいたか?

だからあなたは家族にとっても社会にとっても必要な人なの

今まで20年も頑張って訓練したのでこれからはあなたの知りたい事、野球の見方もわかってきたし

旅行や楽しいこと沢山できる、わかるか?

必死で話すわたしのことばを理解できたか分からないけど

うーさんのため自分を鼓舞するためにも話しかけている私がいました。

うーさんはジーと聞いていた

2人で寝ていた枕やお布団は涙でびしょぬれになっていた

朝9時からはじまりもう午後4時を回っている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は初孫だけれど次から生まれてくる子供たちはいるはずここでしっかりとうーさんの気持ちを聞き

しっかりと伝えてやらねばと心に決めて話し合いを続ける・