還暦ホノルルマラソンを夢見て

メタボを改善し、還暦から新しい人生目指して、あくなきチャレンジをブログります。

はじめてのRUN

2020年04月20日 | 走り始め
 このブログを書き始めて、今回で10回目となりました。区切りなので、始めて走った時の事をお話したいと思います。
 2019年9月4日(水)、午後5時30分。買ったばかりのなんちゃってランニングシューズを履き、Tシャツ、半ズボン姿、97kgの、おっさんが玄関から出て来ました。盛大な拍手が聞こえそうです。自転車に乗った中学生の女の子が、見てはいけない物を見てしまった表情で通りすぎます。軽いジャブ。一瞬の目眩。そんなことに、あやパパははびくともしません。意を決しているから。これから起こるであろう、もっと大変な状態にも立ち向かわないといけないのですから。
 とりあえず、準備運動。屈伸したり、アキレス腱伸ばしたり、を何回か繰り返すと、あらら、もう息が上がって来ました。うーん久しぶり、いや相当久しぶりの運動しようとした運動です。布団から朝起きるだけでもだいぶ力が必要な感じのなで、このようにいろいろ動くともう、体のあちこちが「おい、いつもと違うぞー。」と声を挙げ始めます。息が上がってきた事を、準備運動ができてきたなと勘違いして、家の前の道を南に歩き出します。
 家の前は、南向きに700mほど道が曲がりながら続いています。でも、車で時々走る程度で、自分の足では歩いたことさえありません。歩きながら、だんだん小走りにしてゆきました。「お、まだなんとか走れるなー」と、一瞬思いましたが、周りを囲む脂肪さん達が、上下左右に鈴なりに揺れています。一歩着地すると、”ぼょーん”となる感じですね。
 50mぐらい過ぎて、まだ大丈夫。100m、脂肪さん達が平安の眠りを妨げられて、”なんや、なんや”と騒いでいます。”うんどう、ハンタイ、ぜったい、ハンタイ”脂肪さんのシュプレヒコール?もリズムに合わせて。息が上がってきました。もちろん、そんなに早く走っている訳ではありません。恐らく7分/kmぐらいでしょう。
 200m、もう身体中の使えるエネルギー使った感じ。脂肪さんたちは、参加拒否、どうにかして宿主の無謀な試みを断念させようと、頑張っています。
 300m、こんなに走ったのは三十年ぶりかなーと、ほぼ呼吸困難になっている状態で考えました。そうすると、自分が”良くやっている、偉いぞ”と脂肪達とは逆の声もしてきました。
 400mもう限界だー。でも、続けます。道に並ぶ電柱が、次々に、”もうちょっと、ここまでおいで”と応援してくれます。
 500m、永遠に続くと思われた道の端が見えてきました。体はもう限界ですが、とりあえずあの端までなんとか行こう。と決めました。
 600m、だんだんと視野が狭くなってきた感じ。今の私なら、1kmをダッシュ(5分30秒程度/km)してもこんなことにはなりません。ペース配分も、何から何まで初めてなので、無理さ加減も格別です。暗くなってきました。
 650m、もう限界突破してる。死にそーだー。なんか、上下運動している自分がいますが、景色が全然変わらない。この50mが今の所、人生最長の50mです。今のところ。時間が進まない?。ランニング的相対性理論は、光なんかと逆で、遅く進むほど時間も、遅くなるのかー??、頭の中も、回路がショートしています。
 道の端、なんとかたどり着きました。歩きながら息を整えようと思いますが、ゼイゼイ言っているのに、息を止めている感じ。間にあっていないという事でしょうね。こんな苦しい事は中々ありません。水に溺れたらこんなこんな感じなのでしょうか。
 まあ、なんとか700mぐらい走りました。横を通る、おばちゃんが「アホなやつがおるで。」と、目で刺してゆきます。いくら刺されても、息が苦しいので大丈夫と言うか大丈夫でないと言うか。もう、今日はこれでおしまい。帰ってビール飲も。こっちの決断も早いです。脂肪達は大賛成です。”揚げ物も頼むでー”と調子に乗っています。で、リクエストにお応えして鳥カラで、今日はご苦労さん会です。
 こんな、調子の1日目でした。あまりにしんどかったので、それ以降、初日の”あの”しんどさに比べたら、”こんなの”ヘッチャラと思えるようになりました。今は、いろんなこともわかったので、無理する前にやめていますが。
 皆さんは、無理なさらずにお願いします。下のコスモスは、その頃に咲いていたので、彩の為に付けました。英語の花言葉は「the joys that love and life can bring(愛や人生がもたらす喜び)」だそうです。走ることで、喜びが得られるようになるのは数ヶ月先ですが、、、、

 秋桜の 揺れる愛こそ 永遠に咲く 遥かな先の 道標なり  あやパパ




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