先日届いた会報を読んだあとに、もう既に吹き飛んだ思いのように思っていたものが、なんだかまた、押し寄せた・・。
3・11というあの日からつい先日まで、ずっとずっと思っていたこと・・・。書きたくても上手く言葉になんなくて・・どんどん過ぎて行った日々とこれまでの思いがね・・。
でも今は、届いた来年のSHOCK再演のお知らせに、(光一さんがまたSHOCKをやれる・・ということに)本当に本当に良かった・・と心から・・・。
そして、ましてや、会報の「千秋楽に発表しようと思っていたことがあったんだけど・・・」「それはもうきまってしまったことで・・」という「何か発表がある・・」っていうそれは博多座?のことなのでしょうね。その時から既にもう決まっていたこととあればなお・・・。
「受け入れてもらえるものなのか・・というようなこともあるし・・」と、ちょっと光一さんの微妙な言葉?もあるけれど、そうやって話は地方公演からインターナショナルなところへと向かっている?んでしょうね・・、きっと・・。
あれから(あの日から)流れている今日までの2ヶ月半という時(とき)は、感じ方は人それぞれでさまざまではあるのでしょうが、3・11の震災は、季節は移ろったにしても、状況的にもまだまだついこの間のことと思えるし、今もそれを感じて過ごす日々で、こうして普通に生活できている私たちのこれから(日常)にもまだまだ課題は多くて・・。
でも、SHOCKが止まってしまったあの日の帝劇でのこと思うと、それとこれとを決して切り離して考えることはできない同じ日の、それが理由という出来事なはずなのに、それはなんだかずいぶん前のことのようにも感じていて、あれから2ヶ月・・?というそれだけの時間しか流れてないなんてとても思えないような気さえして・・、なんだか遠く?に感じてしまっている自分もいたりしている・・。変だよね、どちらも同じ日のことだったというのにね・・。
あれからすぐの光一さんは、ジャニーズとして、KinKiとして・・、もちろん光一さんとして、復興支援のMarchingJに力を注いで、日々そこに思いを寄せながら、自分たちにできることで皆に勇気と元気をと、そこに寄り添った活動・・・。
そして、SMAPの番組出演の中では、復興に向けての光一さんからのメッセージ、エールの言葉などは聞くことはできても、あの日以降の光一さんの自身の心(胸)の内は、私の知る限りでは♪CONTINUEをかけてくれたあの日のラジオで喋ってくれた言葉と一か月前の(4/23の)トーチューに載っていた「自分もステージに立つのが当たり前だった生活を奪われた」という文面の言葉以外の他にはなくて・・・。
もっともっと知りたかった・・、それ以上語れないのはわかっていても、その胸の内を・・その気持ちを・・どんな風に押し込めてしまったのか・・?と、あのような形で終えた今年のSHOCKだけに、必ず・・絶対絶対再演されるはず・・と信じてはいてもやっぱり切なかったな・・。
それにトーチューの震災についての光一さんの文面も写真も、誠実ではあるものの・・やはり痛々しい感じに思えてしまったし・・。
状況や理由は度外視して言うなら(←実際、できないわけだけど)やっぱりね・・、千秋楽を迎えさせてあげたかったし・・
「おめでとう・・」って言いたかったし、言ってあげたかった・・・。
以前・・もう何年か前だけど、光一さんが「千秋楽を終えたあと、舞台セットを壊すところ(ばらし)は絶対見たくない。あのせつない・・なんとも言えない、言葉では説明できない感覚・・・。それだけは何年も経験していても慣れることはない・・・」と言っていたのを思い出し、だったら今回のように千秋楽を迎えることなく、それを余儀なくされた突然のばらしなどはどんなにか・・・とも思ってた・・。
会報でも「プレイヤーとして判断を待つしかなかった・・」と言っていて、確かに演ずる側というものはそうではあるのだろうけれど、
そうであるのならばなおさら、その思い、その辛さは・・・とも思っていたし、インタビューの中で今年のSHOCKの手応えについて至る話になると「今はそういう話、あんまり出来ないかな。・・・そっちに気持ちがいかないようにしているのに・・」という言葉にも遭遇した・・・。
何が正しい判断とか言い切れない、その思いも無念さもただただ複雑と・・・。
握手のこともいろんな思いが交錯して連鎖して・・・難しいと・・・。
でも、もし幕をあけることができたとしたら作品の内容からして、そこに来られた人には勇気を届けるとかできたかもしれない・・でも来られなかった人の気持ちは・・と考えると・・難しいと・・。
どうするにしても、どう対応してたとしても、そこにはそれと引き換えにその逆の立場や物事が存在してしまうし生まれてもくる・・・。
「そりゃぁ・・ね、身体的には・・しんどいわけ・・。しんどくないわけがなくて・・・。テレビでしんどいとか言うのもどうかと思うけど、でも観に来てくれているお客さんにはそんなのは一切関係のないことだから・・・。常々自分に言い聞かせているのは、その日その日の一公演一公演をぶっ倒れるまでやること・・・でないと後悔するから・・」とドキュメンタリー番組で言っていましたよね・・。(自分、なんだか見なくても頭の中、そんな言葉がよぎってしまうほど何度も見てしまっているもので)
そう言っていたね・・と、ふとその言葉を思い出して・・・。でも、そう言いながらそうやって演じ続けてきた大切なそれをいきなり奪われ、止められた・・というそのことのほうが、光一さんにとってどんなにか、気持ちも身体もしんどい日々だったのではないかとか・・・、
・・そんな風にずっとずっと思っていた日々でした。
その頃からすでに決まっていた博多座であれば、それが支えであったことと今は思えますよね・・。
4月の頃に、ワケあって友人にSHOCK関連の映像(初日だとか100周年関係のWS映像などの)ダビの約束をしたもので、そんな作業を、映像を並べて何度も見ながらやってました。時には別の友人から映像、協力してもらったりなどしながらもね・・(←ありがとう)
そんなことしながら光一さんの映像眺めつつ・・、こんな状況になってしまったSHOCKのことを思いながらなんだかモヤモヤ・・・ずっとずっと今書いてきたようなこんなことをこんな風に思ってて・・、でも上手く言葉にならなくて・・、書きたくてもかけない日々が続いてて・・・。
で、先日聞けた来年のSHOCKのお知らせに、また光一さんが舞台に立てるということに私は本当に本当に良かった~と思えて・・。ましてや届いた会報を読んで、あれからずっと付き合ってきたモヤモヤしてたそんな思いはもうどっかに吹き飛んだ?とも思っていた自分だったはずだったけど、そう思ったらなんだか急に、書けそうな気もして・・、そんな気持ちでいたんだってことを今日はダラダラとこうして記してしまいました。
ドキュメンタリー「堂本光一・すべてはステージのために」のその番組、明日の24:15~再放送(再々放送?)になりますが、嬉しいですね~!
結局、またしっかり見ちゃいますからね(汗)
こんな折です、また違った思い(感覚)で観れることとも思えます。
ではでは、本日の長文、お許しください・・・
3・11というあの日からつい先日まで、ずっとずっと思っていたこと・・・。書きたくても上手く言葉になんなくて・・どんどん過ぎて行った日々とこれまでの思いがね・・。
でも今は、届いた来年のSHOCK再演のお知らせに、(光一さんがまたSHOCKをやれる・・ということに)本当に本当に良かった・・と心から・・・。
そして、ましてや、会報の「千秋楽に発表しようと思っていたことがあったんだけど・・・」「それはもうきまってしまったことで・・」という「何か発表がある・・」っていうそれは博多座?のことなのでしょうね。その時から既にもう決まっていたこととあればなお・・・。
「受け入れてもらえるものなのか・・というようなこともあるし・・」と、ちょっと光一さんの微妙な言葉?もあるけれど、そうやって話は地方公演からインターナショナルなところへと向かっている?んでしょうね・・、きっと・・。
あれから(あの日から)流れている今日までの2ヶ月半という時(とき)は、感じ方は人それぞれでさまざまではあるのでしょうが、3・11の震災は、季節は移ろったにしても、状況的にもまだまだついこの間のことと思えるし、今もそれを感じて過ごす日々で、こうして普通に生活できている私たちのこれから(日常)にもまだまだ課題は多くて・・。
でも、SHOCKが止まってしまったあの日の帝劇でのこと思うと、それとこれとを決して切り離して考えることはできない同じ日の、それが理由という出来事なはずなのに、それはなんだかずいぶん前のことのようにも感じていて、あれから2ヶ月・・?というそれだけの時間しか流れてないなんてとても思えないような気さえして・・、なんだか遠く?に感じてしまっている自分もいたりしている・・。変だよね、どちらも同じ日のことだったというのにね・・。
あれからすぐの光一さんは、ジャニーズとして、KinKiとして・・、もちろん光一さんとして、復興支援のMarchingJに力を注いで、日々そこに思いを寄せながら、自分たちにできることで皆に勇気と元気をと、そこに寄り添った活動・・・。
そして、SMAPの番組出演の中では、復興に向けての光一さんからのメッセージ、エールの言葉などは聞くことはできても、あの日以降の光一さんの自身の心(胸)の内は、私の知る限りでは♪CONTINUEをかけてくれたあの日のラジオで喋ってくれた言葉と一か月前の(4/23の)トーチューに載っていた「自分もステージに立つのが当たり前だった生活を奪われた」という文面の言葉以外の他にはなくて・・・。
もっともっと知りたかった・・、それ以上語れないのはわかっていても、その胸の内を・・その気持ちを・・どんな風に押し込めてしまったのか・・?と、あのような形で終えた今年のSHOCKだけに、必ず・・絶対絶対再演されるはず・・と信じてはいてもやっぱり切なかったな・・。
それにトーチューの震災についての光一さんの文面も写真も、誠実ではあるものの・・やはり痛々しい感じに思えてしまったし・・。
状況や理由は度外視して言うなら(←実際、できないわけだけど)やっぱりね・・、千秋楽を迎えさせてあげたかったし・・
「おめでとう・・」って言いたかったし、言ってあげたかった・・・。
以前・・もう何年か前だけど、光一さんが「千秋楽を終えたあと、舞台セットを壊すところ(ばらし)は絶対見たくない。あのせつない・・なんとも言えない、言葉では説明できない感覚・・・。それだけは何年も経験していても慣れることはない・・・」と言っていたのを思い出し、だったら今回のように千秋楽を迎えることなく、それを余儀なくされた突然のばらしなどはどんなにか・・・とも思ってた・・。
会報でも「プレイヤーとして判断を待つしかなかった・・」と言っていて、確かに演ずる側というものはそうではあるのだろうけれど、
そうであるのならばなおさら、その思い、その辛さは・・・とも思っていたし、インタビューの中で今年のSHOCKの手応えについて至る話になると「今はそういう話、あんまり出来ないかな。・・・そっちに気持ちがいかないようにしているのに・・」という言葉にも遭遇した・・・。
何が正しい判断とか言い切れない、その思いも無念さもただただ複雑と・・・。
握手のこともいろんな思いが交錯して連鎖して・・・難しいと・・・。
でも、もし幕をあけることができたとしたら作品の内容からして、そこに来られた人には勇気を届けるとかできたかもしれない・・でも来られなかった人の気持ちは・・と考えると・・難しいと・・。
どうするにしても、どう対応してたとしても、そこにはそれと引き換えにその逆の立場や物事が存在してしまうし生まれてもくる・・・。
「そりゃぁ・・ね、身体的には・・しんどいわけ・・。しんどくないわけがなくて・・・。テレビでしんどいとか言うのもどうかと思うけど、でも観に来てくれているお客さんにはそんなのは一切関係のないことだから・・・。常々自分に言い聞かせているのは、その日その日の一公演一公演をぶっ倒れるまでやること・・・でないと後悔するから・・」とドキュメンタリー番組で言っていましたよね・・。(自分、なんだか見なくても頭の中、そんな言葉がよぎってしまうほど何度も見てしまっているもので)
そう言っていたね・・と、ふとその言葉を思い出して・・・。でも、そう言いながらそうやって演じ続けてきた大切なそれをいきなり奪われ、止められた・・というそのことのほうが、光一さんにとってどんなにか、気持ちも身体もしんどい日々だったのではないかとか・・・、
・・そんな風にずっとずっと思っていた日々でした。
その頃からすでに決まっていた博多座であれば、それが支えであったことと今は思えますよね・・。
4月の頃に、ワケあって友人にSHOCK関連の映像(初日だとか100周年関係のWS映像などの)ダビの約束をしたもので、そんな作業を、映像を並べて何度も見ながらやってました。時には別の友人から映像、協力してもらったりなどしながらもね・・(←ありがとう)
そんなことしながら光一さんの映像眺めつつ・・、こんな状況になってしまったSHOCKのことを思いながらなんだかモヤモヤ・・・ずっとずっと今書いてきたようなこんなことをこんな風に思ってて・・、でも上手く言葉にならなくて・・、書きたくてもかけない日々が続いてて・・・。
で、先日聞けた来年のSHOCKのお知らせに、また光一さんが舞台に立てるということに私は本当に本当に良かった~と思えて・・。ましてや届いた会報を読んで、あれからずっと付き合ってきたモヤモヤしてたそんな思いはもうどっかに吹き飛んだ?とも思っていた自分だったはずだったけど、そう思ったらなんだか急に、書けそうな気もして・・、そんな気持ちでいたんだってことを今日はダラダラとこうして記してしまいました。
ドキュメンタリー「堂本光一・すべてはステージのために」のその番組、明日の24:15~再放送(再々放送?)になりますが、嬉しいですね~!
結局、またしっかり見ちゃいますからね(汗)
こんな折です、また違った思い(感覚)で観れることとも思えます。
ではでは、本日の長文、お許しください・・・